第十八話

「……お前は破門だ、玄馬」


 シカリが、ため息とともにそう言った。


「起こしてやれ。村さ、連れで帰る」


 それまで微動だにしなかった若者たちが、シカリの一言に一斉に動き出した。佐平と栄助が玄馬の両脇にまわり、半ば拘束し、半ば支えるような形でゆっくりと歩き出した。仁太は玄馬の山刀を手拭いで包み、沈痛な面持ちでその後に続く。

 いつの間にか雪は止んでいたが、陽が傾いて暗くなってきていた。シカリは火を起こして即席の松明を作り、先頭に立った。


「……おらはこの罠の始末さしでがら行ぐ。お前は先、家さ戻ってろ」


 金五郎はそう言って銀作に背を向けた。一人では大変そうだと思ったが、恐らく金五郎は一人になりたかったのだろう。銀作はうなずいて、仲間たちの後を追った。いつの間にか、数馬の姿は見えなくなっていた。



 ……それにしても、と銀作は歩きながら考えた。

 まだ引っかかることがある。このナラクオトシの大きさだ。玄馬は銀作よりずっと大柄とはいえ、それでも一人でこれを作ったと考えるには無理がある。山のいたるところに小型罠を仕掛けるのにも、相当な労力を要したに違いない。

 誰か、協力者がいた?作り方や仕掛ける場所についてなどの知識は玄馬が持っているから、力仕事を任せられる人間さえいればいい。金で雇った、何も知らない人間かもしれない。

 視線を落とし、考えに耽っていた銀作は、目の前で起こった異変に気付くのが遅れた。


「うっ……」


 不意に栄助が短く声をあげた。

 顔を上げた銀作の目には、一瞬、仁太が栄介にもたれかかっているように見えた。  

 しかし、ややあって栄助から離れた彼の手の中に、血で染まった玄馬の山刀があるのを見た時、全てを理解して、さあっと頭から血の気が引いた。

 脇腹を押さえて倒れ込んだ栄助の両手から、赤い泉のように血液が溢れこぼれていく。その様を、仁太は蠟のように白い無表情で見下ろしていた。


「栄助ェ!」


 悲鳴のような声で呼びかけた佐平に、玄馬が当て身を食らわせた。倒れた佐平の腰から山刀を奪い、こちらに突進してくる玄馬の顔には、かつて慕っていたマタギの面影はどこにもなかった。


「銀作!」


 背後で叫ぶ父の声を聞いた。しかし、玄馬が銀作の胸倉をつかむ方が早かった。

 仁太の裏切りと、栄助の負傷に動揺していた銀作は、ほとんど無抵抗に冷たい雪の上に押し倒された。振り上げられた山刀の切っ先が、月光にひらめいた。


 終わった――――そう確かに思った。

 けれど、その終わりはついぞやって来なかった。

 憎き男の倅に刃を振り上げた玄馬は、それを下ろす一瞬前に、何者かに腕を掴まれたように動きを止め、はっとした様子で自身の右側に顔を向けた。


「……かずま?」


 ふりそそぐ夕立の、最初の一滴のような声で、玄馬は呟いた。

 そこに、確かに数馬がいた。

 マタギの魂たる山刀を逆手に握る玄馬の手を、透きとおった手のひらで掴んで押さえていた。

 両目から、涙が滔々と、したたり落ちていた。

 胸にぽっかりと空いた黒い穴の中で、闇がゆっくりと渦巻いている。

 その闇は徐々に大きく広がり、やがて数馬の全身を包んで、形を変えた。

 ぱっくりと開いた数馬の口に、とがった牙があるのを銀作は見た。

 数馬はそのまま大きく、大きく口を開くと、呆けたように自身を見つめる父親の首に噛みついた。


 ぼきん、と鈍い音がした。

 ぶつり、と皮膚が突き破られる音もした。

 

 玄馬の両手がだらりと垂れ下がり、山刀が手から滑り落ちた。

 仰向けに転がされた銀作の顔面に、赤い血の雫が雨だれのようにしたたり落ちた。


 数馬の魂は、一頭の、月をもたない大熊へと変じていた。大熊は首が折れた玄馬をその口にくわえ、ゆっくりと歩き出した。

 その姿は、そこにいた全員の目に見えていたようだ。マタギ達はその場に立ち尽くし、突如として出現したミナグロが、玄馬の遺体を引きずって山の奥へ消えていくのを、何もできずに見送った。

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