第十七話

 しかし、先ほどの玄馬自身の怒声は思いのほか遠くまで響き渡ったようである。

 がさがさと枝葉の擦れる音がしたかと思うと、たちまち狩猟隊レッチュウの面々がその場に集結した。血走った眼で銀作を睨み、刃物を突きつける同輩の姿に、手練れのマタギたちからどよめきがあがる。


「玄馬さん!?」

「何してらんだ!」


 誰もが驚愕し、目の前の光景を信じられないという顔で見つめている。シカリでさえ、黙したまま瞠目していた。

 唯一落ち着いていたのは金五郎だった。おのが息子に山刀を突きつける親友を、射るような目でじっと睨んでいる。

 だしぬけに、玄馬が笑い出した。今まで聞いたことがない、狂気をはらんだ高笑いだった。


「お前達!遂に裏切りもんの尻尾さ掴んだべ。犯人は銀作だ。罠さ仕掛けるどご、俺はこの目で見だ!破門だ!追放だ!おい、佐平、仁太!とっとと、こいづどご取り押さえねが!」


 誰も、何も言わなかった。目の前のナラクオトシは、銀作一人で作ったと見るには、あまりに大きすぎた。何より、静かに黙している銀作より、明らかに常軌を逸した様子の玄馬に対する不信の方が勝った。

 動かない若者セタギ達に苛立ったのか、玄馬は山刀を振り回して怒鳴った。


「なんだ、お前達!なして動かねぇ!まさか、この期におよんで銀作こいづの肩さ持づ気か?シカリの孫だがら遠慮してんだが?どうなんだ!」

「玄馬」


 金五郎が口を開いた。こちらはこちらで、今までに聞いたことがない、底冷えするような冷たい声だった。


「お前、そんたに銀作のことが……おらのことが、憎かったんか」


 玄馬は言葉にならぬ唸り声をあげて、切っ先を金五郎に向けた。

 ふっと空気が揺らいだかと思うと、次の瞬間、金五郎が玄馬を殴りとばしていた。向けられた凶器をものともしない正面からの攻撃に、玄馬はなすすべもなく後ろに吹っ飛ばされた。手から離れて飛んだ山刀を、仁太が素早く取り上げた。

 金五郎は止まらなかった。玄馬に馬乗りになり、続けざまに二度、三度とその頬を殴った。


「本気で……」


 低く絞り出された金五郎の声には、血がにじんでいるかのようだった。


「本気で、おらが倅が憎ぇだば……なして、まっ先に銀作を刺しに来ねがった!いんや、その前になして、おらを刺しに来ねがった!えぇ!?」


 岩のような拳が、玄馬の頬をえぐる。口の中が切れて、鮮血が飛んだ。かつん、と近くの岩に当たって落ちたものをみれば、それは折れて飛んだ歯の一本であった。


「こそこそ小細工して、無関係な獣さ巻き込んだのはなんのためだ!ただ、ただ、おのれひとりの保身のためでねのが!銀作に罪おっ被せで!若者セタギ未来ゆくさきも名誉も踏みにじって!そんただごどして、おのれだけがのうのうと狩猟隊レッチュウさ居残るために弄した策でねのが!えぇ、玄馬!?そんなお前の、どこがマタギだっちゅうんだ!」

「黙れェ!」

 

 玄馬が吠え、金五郎の胸倉をつかみ返した。自らの血で口ひげを赤く染め、憎しみに充血した目をカッと見開いたその顔は、さながら人喰い鬼のようであった。


「黙れ、黙れ、黙れェ!ああ、金熊!お前はそうやって、心ん底じゃあ、ずうっと俺を馬鹿にしてだんだべ!鉄砲シロビレもまともに撃てタダケね、力だけが取り柄のデクの坊が!シカリの子ってだけで俺を見下して!手柄も、女も、何もかんも取っていきやがる!ああくそっ、忌々しくってならねぇよ!お前も!お前の倅も!」


 それは恐らく、玄馬の喉の奥に何十年もつっかえていた、嫉妬と怨嗟の礫だった。

 銀作は不意に理解したような気がした。なぜ、数馬はあんなにも焦っていたのか。なぜ、常に何かにおびえ、細かい粗相を気にしておどおどしていたのか。

 焦ることはない、と玄馬はいつも息子に言い聞かせていた。手柄を立てようと逸る息子を優しく宥め、過度な期待を寄せまいとしているように傍目には見えた。

 しかし、そうではなかった。玄馬は期待していたのだ。おのれの倅が、親友の倅を凌ぐその時を心待ちにしていた。おそらくは本人も気づかぬうちに。焦るなと息子の肩を叩くその手には、痛いほどの力がこもっていた。

 だからこそ、数馬は足を止められなかった。優秀な父親からの見えない圧力を感じていたからこそ、身の丈に合わぬ一歩を踏み出して、雪庇を踏み抜いたのだ。


 金五郎は怯まない。

 立ち上がり、心底失望した様子で首をふるその目には、涙が光っていた。


「お前がやったごどは、かたき討ちなんかではね。おのれの鬱憤うっぷんさ晴らす口実に、二度と数馬せがれを使うんでね。でなきゃ、数馬が……あんまりにも哀れだべ……」


 涙の混じった咆哮をあげて、玄馬が金五郎に掴みかかった。金五郎はその腕をつかみ、ぶつかってきた勢いを殺さずに背負い投げた。どしん、と土の上に叩きつけられた玄馬は、息が止まったように動かなくなった。

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