第十六話

「……俺がこごさ来ると、わがってだみでェな言い草だな」


 玄馬は口の端をゆがめて笑った。ぞっとするほど冷たく、酷薄な笑みだった。

 数馬はなぜか、初めて解体ケボカイの儀を見た時のことを思い出した。シカリの手にした山刀ナガサによって、喉元から胸にかけて、すうっと引かれた赤い切れ込み。べろりとはがされた皮の下から脂肪と筋肉が現れた時、あまりの生々しさに数馬は思わず目を逸らした。

 あの時と同じ種類のおぞましさを父の顔に見たような気がして、数馬は震えが止まらなかった。


「あの手拭い……」


 銀作が静かに口を開く。


「いづのまにが失ぐなっでだと言ったが、嘘だ。本当は、いつ失ぐしたもんか、すぐわがった。あの日は陽蔵さんが足さくじいて、添え木を固定するさらしの代わりに、あれを使ったばかりだったがら。家さ帰っですぐ、失ぐなってるのに気づいた。陽蔵さんちからうちまでの帰り道で会った人は、あんた以外にいない」


 正確に言えば数馬の魂にも出会っているが、肉体のない数馬が銀作から手拭いを奪えるわけがない。

 銀作は更に、懐から取り出した手紙を広げて見せた。そこには、夜、一人でこの場所へ来いと、奇妙に歪んだ文字で殴り書きされていた。


「それに、多少筆跡変えたとごで、あんたのはわがる。昔、散々手本にしてたがらな……」


 玄馬はふっと自嘲するような笑みを浮かべた。しようと思えばいくらでも言い逃れはできただろうが、玄馬にはそのつもりが無いようだった。


「そうか……皮肉だべな。お前を陥れるために用意したもんに、逆に足元さ掬われだっでか」

「なしてこんた手の込んだごど……」


 銀作の声に怒りはない。ただ、声とともに絞り出す息には、冷たい悲しみがみていた。


「自分でも色々考えました。でも、どうしてもわがらね。おらが何かしましたか。そんたにまで憎まれること、何かしましたか」

「自然の中に生きるものの中には、生まれつき毒をもつ奴がいる」


 一見、何の脈絡もないようなことを、玄馬は話し出した。


「草も、蟲も、おのが身を守るために毒を出す。それは、生き残るために天から授けられたもんで、当の草や蟲に悪気があるわげでは。俺はな、人間にもそういう奴がいると思ってる。何の悪気が無ぐても、当人も知らぬ間に吐き出す毒で、周りの人間を殺してしまうような奴が……」


 樹間を吹き抜ける風が唸る。ざわざわと騒ぐ木々は男の発する気に怯えているかのようだった。

 玄馬の顔から笑みが消えた。その目には憎しみが満ちていた。


「お前が悪りわげじゃねぇよ、銀作。だどもな、お前の存在は数馬にとっては毒だったんだ。ただ隣に立って息をする……それだけでお前は数馬を殺しちまったんだ」


 数馬は一層困惑した。なぜそこで自分の名前が出てきたのか、全くわからなかった。

 自分の父親はこんなふうに話すような男だっただろうか?

 聡明な父だった。いつでも理路整然と、子どもにもわかりやすい言葉を選んで話してくれる人だった。

 今の玄馬は、まるで日本語の形をした別の言語を話しているかのようだ。

 息子の困惑を他所に、「数馬はな……」と玄馬は話し続ける。


「生まれた時はとてもしったげ小さくて病がちでな……うちは姉さん女房で、歳がいってからのお産だったんて、一時は母子ともに命が危ねなんて言われたごどもあった。それがどうにか、あれだけ大きでがく丈夫に育ってよう……もう他には何も望まねぇって思ったもんさ。生ぎでるだけでいい。いっそ、マタギにならなぐたっていい。焦らねで、ゆっくり歩めと、何度も肩をたたいたもんだ。

 それをな、銀作。お前が全部ぶちこわしちまうんだよ。数馬の隣で、まるで手本のように、マタギの子はこうあるべきだとでも言うかのように、輝かしい成果を次々あげちまう。この狭い里の中で、才にも血筋にも恵まれた人間と常に比べられ続けるってことが、どんたに苦しく辛ェことか、お前にはわがらねだろうなァ……

 お前が隣にいるせいで、数馬はいつもえっかだ焦ってた。焦って、焦って、焦り続けて、遂には雪庇マブを踏んで、彼岸の向こうまでとんで行っちまったんだ……」

「だがらナラクオトシなんか仕掛けたんですか」


 銀作は納得できないというように首を横に振る。


「おらを陥れる、そのためだけに、あんたにむごい罠を……山神様の狩座に」

「いねぇよ!」


 突然、玄馬が激昂した。大音声があたりの木々までビリビリと震わせた。


「いねぇんだよ!神も、仏も!いるってんなら教えでけれ!なして、数馬は死んだんだ!?滝つぼに落っこちたお前が助がっで、なして数馬は助がらなかったんだ!いるんだとしたら、そりゃ贔屓する神だ!お前を……お前達、統領シカリの一族ばかりを可愛がる神だ!そんた神なら、いらね!俺は信じね!」


 玄馬の手が、腰の山刀ナガサの柄を握った。

 濡れたように光るその切っ先が銀作の喉に向けられるのを見た時、数馬は自分の核が、どこか暗渠あんきょに落っこちていったように感じた。

 山刀はマタギの魂だ。

 仲間に向けていいはずがない。

 

「お前が全部盗っていっちまったんだよ、銀作。数馬が得るはずだった、手柄も、天運も!なして、お前みでぇなヒヨっこが一の射場ブッパさ着げる?じっちゃが狩猟隊レッチュウ統領シカリだがらでねが。お前がいなきゃ、一の射手は数馬だった。お前がいなきゃ、数馬が逸って谷に落ちるごどもねがった。全部全部、お前さえいなげりゃえがったんだよ、銀作!」


「もう、やめろよ、お!」


 数馬は魂を引き裂かれるような声で叫んだ。気が触れたような父親を、これ以上見ていられなかった。


「悪りィのは俺だよ!俺が逸って、勝手に谷さ落ぢだんだ!銀作は関係ねぇ!」


 涙ながらの息子の叫びは、父親には届かない。

 玄馬は山刀の切っ先を銀作に向けたまま、ナラクオトシの方を顎でしゃくった。

 見開いた両の目に、異様な光が灯っていた。


「少しでも数馬に悪ぃで思うだば、お前、あん中さ入れ。おのれで仕掛けた罠にかかった、馬鹿なマタギ……それで、こんただ騒動も終ぇだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る