銀ー16
「……俺がこごさ来ると、わがってだみでェな言い草だな」
玄馬は口の端をゆがめて笑った。ぞっとするほど冷たく、酷薄な笑みだった。
数馬はなぜか、初めて
あの時と同じ種類のおぞましさを父の顔に見たような気がして、数馬は震えが止まらなかった。
「あの手拭い……」
銀作が静かに口を開く。
「いづのまにが失ぐなっでだと言ったが、嘘だ。本当は、いつ失ぐしたもんか、すぐわがった。あの日は陽蔵さんが足さくじいて、添え木を固定するさらしの代わりに、あれを使ったばかりだったがら。家さ帰っですぐ、失ぐなってるのに気づいた。陽蔵さんちからうちまでの帰り道で会った人は、あんた以外にいない」
正確に言えば数馬の魂にも出会っているが、肉体のない数馬が銀作から手拭いを奪えるわけがない。
銀作は更に、懐から取り出した手紙を広げて見せた。そこには、夜、一人でこの場所へ来いと、奇妙に歪んだ文字で殴り書きされていた。
「それに、多少筆跡変えたとごで、あんたの
玄馬はふっと自嘲するような笑みを浮かべた。しようと思えばいくらでも言い逃れはできただろうが、玄馬にはそのつもりが無いようだった。
「そうか……皮肉だべな。お前を陥れるために用意したもんに、逆に足元さ掬われだっでか」
「なしてこんた手の込んだごど……」
銀作の声に怒りはない。ただ、声とともに絞り出す息には、冷たい悲しみが
「自分でも色々考えました。でも、どうしてもわがらね。おらが何かしましたか。そんたにまで憎まれること、何かしましたか」
「自然の中に生きるものの中には、生まれつき毒をもつ奴がいる」
一見、何の脈絡もないようなことを、玄馬は話し出した。
「草も、蟲も、おのが身を守るために毒を出す。それは、生き残るために天から授けられたもんで、当の草や蟲に悪気があるわげでは
樹間を吹き抜ける風が唸る。ざわざわと騒ぐ木々は男の発する気に怯えているかのようだった。
玄馬の顔から笑みが消えた。その目には憎しみが満ちていた。
「お前が悪りわげじゃねぇよ、銀作。だどもな、お前の存在は数馬にとっては毒だったんだ。ただ隣に立って息をする……それだけでお前は数馬を殺しちまったんだ」
数馬は一層困惑した。なぜそこで自分の名前が出てきたのか、全くわからなかった。
自分の父親はこんなふうに話すような男だっただろうか?
聡明な父だった。いつでも理路整然と、子どもにもわかりやすい言葉を選んで話してくれる人だった。
今の玄馬は、まるで日本語の形をした別の言語を話しているかのようだ。
息子の困惑を他所に、「数馬はな……」と玄馬は話し続ける。
「生まれた時は
それをな、銀作。お前が全部ぶちこわしちまうんだよ。数馬の隣で、まるで手本のように、マタギの子はこうあるべきだとでも言うかのように、輝かしい成果を次々あげちまう。この狭い里の中で、才にも血筋にも恵まれた人間と常に比べられ続けるってことが、どんたに苦しく辛ェことか、お前にはわがらねだろうなァ……
お前が隣にいるせいで、数馬は
「だがらナラクオトシなんか仕掛けたんですか」
銀作は納得できないというように首を横に振る。
「おらを陥れる、そのためだけに、あんたにむごい罠を……山神様の狩座に」
「いねぇよ!」
突然、玄馬が激昂した。大音声があたりの木々までビリビリと震わせた。
「いねぇんだよ!神も、仏も!いるってんなら教えでけれ!なして、数馬は死んだんだ!?滝つぼに落っこちたお前が助がっで、なして数馬は助がらなかったんだ!いるんだとしたら、そりゃ贔屓する神だ!お前を……お前達、
玄馬の手が、腰の
濡れたように光るその切っ先が銀作の喉に向けられるのを見た時、数馬は自分の核が、どこか
山刀はマタギの魂だ。
仲間に向けていいはずがない。
「お前が全部盗っていっちまったんだよ、銀作。数馬が得るはずだった、手柄も、天運も!なして、お前みでぇなヒヨっこが一の
「もう、やめろよ、お
数馬は魂を引き裂かれるような声で叫んだ。気が触れたような父親を、これ以上見ていられなかった。
「悪りィのは俺だよ!俺が逸って、勝手に谷さ落ぢだんだ!銀作は関係ねぇ!」
涙ながらの息子の叫びは、父親には届かない。
玄馬は山刀の切っ先を銀作に向けたまま、ナラクオトシの方を顎でしゃくった。
見開いた両の目に、異様な光が灯っていた。
「少しでも数馬に悪ぃで思うだば、お前、あん中さ入れ。おのれで仕掛けた罠にかかった、馬鹿なマタギ……それで、こんただ騒動も終ぇだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます