第十四話

 どん―――と、どこか高みから突き落とされたような気がした。


 数馬は、ハッと目を開いた。

 暗く、湿った山の土の上に、大の字になって倒れていた。

 重い曇天から、水気を多く含んだ雪が、ほたほたと降り落ちてくる。

 ほとんど垂直に、あとからあとから落ちてくるそれは、瞬く間に辺りを白一色に塗り替えていく。

 こんな所にいては凍死してしまう――― 慌てて身を起こした数馬は、自分がどこにいるのかに気づいて、「わああ……っ!」と悲鳴を上げた。


 目の前に、ナラクオトシが口を開けていた。

 もう冬の初めだというのに、つやつやと光るどんぐりを、口の中にたっぷりと蓄えているのが不気味だった。

 現実から逃れるように、数馬は両手で顔を覆った。

 しかし、もう言い逃れはできない。これで三度目だ。たとえ他に見た者がいなくても、もう自分自身をごまかすことはできない。


「おれが……俺が作ったのが。こんた、ひどい……むごい罠を……」


 数馬にその記憶はない。

 しかし、昔、寝物語に聞いたことがある。

 何かをひどく思い詰めている人間は心が虚ろになり、いつのまにかそこに「眠り神」が住み着くのだと。眠り神に憑りつかれた人間は眠ったまま動き回り、自分でも知らぬ間に驚くようなことをしてしまう。そして、目覚めた時にはその一切を忘れてしまうのだ。

 ナラクオトシの大きな口は、数馬の胸に空いた虚ろ、そのものに見えた。おのれの心の闇を突きつけられたような気がして、数馬は首を左右に振りながら、ぼろぼろと涙をこぼした。


「銀作……」

 

 我知らず呟いたのは、親友の名前だった。

 今、銀作が窮地に陥っていることは知っている。

 他ならぬナラクオトシのせいであり、その傍で見つかった、銀作の手拭いのせいでもあった。

 数馬はそれを止めることができなかった。

 いや、それどころか、銀作を陥れたのは自分かもしれないのだ。

 人知れずナラクオトシを作り、盗んだ手拭いをそのそばに落とす。

 銀作が山入りを禁じられれば、時期を合わせて山に張り巡らせた罠を回収する。

 何故だ……そんなにも、俺は銀作が憎かったのか。

 日輪をとられることが許せなかったのか。

 自分の浅ましさに吐き気がする。

 喉元をかきむしりながら、数馬は額を地べたにつけて、嗚咽をもらした。


 背後で、雪を踏む音がした。

 振り返ると、銀作が立っていた。

 両の瞳に、青い炎が燃えているように見えた。


「銀作……っ」


 思わず立ち上がっていた。

 友に向かって両手をのばし、赦しを乞うように、二歩、三歩と歩み寄る。


「銀作……俺、おがしくなってまっだのがな。気がづいだら、いつもえっかだナラクオトシの前にいるんだ。お前に勝ぢだぐで、勝ぢだぐで……自分でも気づがねまま、罠なんか作っちまってだのがな」


 助けてくれ―――

 我知らず呟いていたのは、そんな言葉だった。


 変だ。陥れられたのは銀作の方のはずなのに。

 それでも、何故か数馬は銀作に助けを求めていた。

 挫けそうな時、過ちを犯しそうな時、いつもそばで、強い言葉で引き上げてくれたのは銀作だった。


「銀作、助げでぐれ。俺を、止めてくれ。俺、マタギになりでぇよ。禁じ手の罠なんか、作りだぐね。だども、もう、もう……自分じゃどうにもならねんだ……どうにも……どうにも……どうにも……っ!」


「数馬」


 銀作は澄んだ声で友の名を呼んだ。

 冷たい湧き水のように透き通った、穏やかで―――そして、悲しい声をしていた。


 清水を浴びせられたかのような心地を覚え、数馬はハッとして友の顔を見返した。

 銀作の表情は凪いでいた。喜びも悲しみも知らないような顔をしていた。

 それでも、数馬には銀作が泣いているのがわかった。

 こんな顔をするようになったのは、いつからだったろうか。幼い頃には、年相応に笑ったり、泣いたり、怒ったりしていたような気がする。いつの間にかこの男は、涙を流さずに泣く術を覚えてしまったのだ。


「落ち着いて、よぐ聞け。お前はな、罠なんか作ってはいね。何もりごどなんてしちゃいねぇんだ」


「数馬」と銀作は、再度呼びかけた。


「お前はな――――もう、一年も前に、死んだんだ。谷さ落ぢで、死んだんだ」

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