第十二話

 その日の夜、銀作の家を、玄馬が訪ねてきた。


「しばらくの間、銀作に狩りを休ませたほうがいい」


 そう、統領シカリに進言するための訪問であった。

 実はその少し前、狩猟隊レッチュウの若者たちの間で、ちょっとした衝突があった。ナラクオトシを発見した佐平と仁太は、その足でシカリの家へ向かっていた。無論、罠があったことを報告するためであるが、なぜその場に銀作の手拭いが落ちていたのか、当人に問いただそうという腹積もりもあった。


 二人は銀作の家に着く前に、二軒隣の栄助の家の前を通った。いつになく殺気立った様子の佐平を見て、たまたま家の外に出ていた栄助は不審に思い、二人を呼び止めて事情を聴いた。


「落ち着けよ。銀作が罠なんか仕掛けるわげねぇでねぇか」

「別に、銀作が犯人だとは言っでねぇ」

「だば、もうちょっと落ち着けってんだ。お前は義憤に駆られっと頭に血が上りやすぐっでいげね。その目は、ほとんど銀作が犯人だて決めつげてるようなもんでねが」

「だども、おかしいでねが。なして、罠のそばにこんたもんが落ちてんだ。関係ねぇなら、当人が説明でぎるはずだべ。どけ、栄助。俺らはシカリの家さ用があんだ」


 佐平は決して悪人ではないのだが、一度こうと思い込むとなかなか考えを変えられないところがある。銀作が自分たちを裏切ったかもしれないという疑念が怒りに変じ、下手をすれば問答無用で殴りかかりかねないほどに激していた。


「……最初のナラクオトシ、見つけたのは銀作だったべ」


 それまで黙っていた仁太が、おもむろに口を開いた。いつもと変わらぬ、ぼそぼそと聞き取りにくい声だ。


「陽蔵マタギが怪我した時も、一番に駆げづげだっていうでねが。どうも、都合がよすぎる気がしねが」

「……何が言いてぇ」

「自作自演ってやづだよ。自分で仕掛けた罠を自分で見っけたり、罠にかかった奴を助けたりして、英雄になろうって魂胆でねのが。陽蔵マタギんどごに、ほれ……なんてったか。年頃の可愛いめんげぇもいたでねが。あん娘に良いどご見せるべとか……」

「そんた馬鹿なごどあるが。あの銀作に限って……」


 あまりにも的外れな推測に、思わず栄助は噴き出した。すると、仁太はムッとしたように三白眼を鋭くした。


「お前は近所のよしみで銀作の肩持づけんど、あいづは昔がら得体が知れねどごがあったでねが。鬼が見えるとか、山で大きな女を見たとか……しょっちゅう墓場にいるどごも見るしよ。腹ん中で何考えでるかなんて、わかったもんでねぇよ」


 この一言が、普段は温厚な栄助の逆鱗に触れた。


「あいづはガキの頃から、決まって母っちゃの命日に墓参りしてんだよ!じっちゃの教えさ馬鹿正直に守って山の巡回もこまめにやるがら、俺たちが気づかなぇごどにもよぐ気づくんだ!くだらね言いがかりつけてっど、ぶん殴るぶたらぐど!」


 あわや、つかみ合いの喧嘩になりそうになったところで、騒ぎを聞いて駆けつけた玄馬によって止められた。玄馬は事情を聴き、自分が代わりにシカリの家へ行ってやるから、ここは一旦鉾を納めろと三人を説き伏せ、家へ帰したのであった。


 銀作は玄馬が持ってきた手拭いを改めた。そして、間違いなく自分のものであると、あっさり認めた。


「山に入る時、よく持って行ってたもんです。いづの間にが失ぐなってて、あぢごち探してたどごでした」

「そんたどごだべな」


 予想通りの返答だったのだろう。玄馬は深く嘆息し、疲れたように首を振る。


「だが、そう言ったところで、佐平や仁太は納得しねぇだろうよ」


 佐平や仁太は銀作を疑っている。このままでは集団猟をするにも支障が出るであろう。疑いが晴れるまでは、無理に二人と関わりを持たせないのが得策である。それが玄馬の意見であった。

 大抵の場合、親友と同じ意見をとる金五郎であるが、この時ばかりは眉を寄せて、首を横に振った。


「おらァ、得心がいがねな。疑われたまま顔見せねぐなったら、本当ほんに後ろ暗いどごでもあるみてぇでねが。銀作は罠なんが作らね。やるはずがねんだがら、堂々としてりゃ

童子わらすみでなごど言うな、金熊きんくま


 玄馬は渋面を作り、声を大きくした。


「銀作の身にもなってやれ。ただでさえ命がけの狩りで、互いを信じられねごどが、どんた危険なごどか、お前ならわかるべ。既に、銀作さ疑う佐平・仁太と、庇う栄助との間で、亀裂がでぎ始めてんだ。自分のせいで狩猟隊レッチュウがバラバラになるだば、銀作だで肩身がせまかろうよ。親ならわがってやれ。な?」


 金五郎はぐっと押し黙り、悔しそうに自身の膝へ目を落とす。

 玄馬は、ふーっといらだったように息を吐きだす。しかし、銀作と目が合うと、ハッとしたように表情をやわらげた。昔、手習い所で師をしていた時と同じ顔をしていた。

 

「……なも、ずっとこんたごどが続くわげでね。銀作が数日も家ん中さこもって、そんでも罠が減らねようなら、疑いは晴れる。ほんの数日の辛抱だべ」


 幾分声音を柔らかくし、諭すように続ける。

 金五郎は尚も納得しかねる様子で、俯き押し黙っている。


「……お前はどう思う、銀作」


 おもむろに、鉄五郎が口を開いた。

 銀作は祖父を、そして金五郎と玄馬の目を、順々にまっすぐ見つめた。


「……おらは、シカリの言う事に従います」


 静かな声でそう言った。


「おらは、断じて罠なぞ作っちゃいません。けんど、玄馬さんの言う事もよぐわかります。手拭いが罠の傍に落ちてた理由はわがらねども、持ち物の管理を怠って、疑われる隙を作ったのは、おのが不始末です。シカリが出るなと言うなら、俺は従います」

 

 祖父は―――シカリはこれを聞いて、うなずいた。

 

「……ナラクオトシを作った者がわがるまで、銀作が山さ入ることを禁ずる」

「お!」

「黙るべし、金五郎!話はしめぇだ」


 金五郎は口をへの字に曲げて、おのが父親を睨みつけた。が、やがて荒々しく立ち上がると、黙って家の外へ出て行ってしまった。

 玄馬は気の毒そうに目を伏せたが、やがて静かに頭を下げると、暇乞いをした。 


「――玄馬おじさん」


 銀作は玄馬の後を追って外へ出た。玄馬が足を止め、振り返る。


「おらァ、あの日、数馬に会った」


 藪から棒な一言である。玄馬の顔が怪訝そうに歪んだ。眉間に一本の深い皺が刻まれ、探るような目で銀作を見返す。


「最初のナラクオトシが見つかった日だ。数馬が罠の場所を、おらに教えでけだ」

「……何が言いてぇんだ」


 玄馬の低い声に、ほのかな怒気が宿った。その総身から噴き出す気迫だけで、気の弱い者ならガタガタ震え出してしまった事だろう。


 銀作は怯まなかった。

 尊敬していた。

 師であり、第二の父のようも思い慕ってきた人だ。

 わかってくれるはずだと信じた。


「数馬は苦しんでる。こんたごどになっで、誰より心痛めてんのは数馬だ。……それを、どうしても伝えたかった」


 沈黙が下りた。微かな風の音がうるさく聞こえるほどの静けさが続いた。

 やがて、玄馬は、ふっと銀作から目を逸らした。


「……せがれのこどは、俺が一番よぐわがっでら」


 それだけを言うと、玄馬は踵を返して立ち去った。

 大きな背中が離れていくのを、銀作はしばし、無言で見送った。



 翌日から銀作は蟄居ちっきょした。用を足す時と、日に三度、家の前の小川で水垢離を取る時以外は、一日中家の中にこもって過ごした。金五郎や栄助など銀作を信じる者たちは、理不尽な措置だ、なんの意味もないと憤ったが、とうの本人が粛々と日々を過ごしているので、言葉を呑んで経過を見守ることにした。

 するとどうだろうか。銀作が山に立ち入らなくなったその日以来、それまで山のあらゆる場所にはびこっていた罠が、忽然と消えてしまったのである。

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