第八話

 頭を一つ振って気持ちを切り替えた銀作は、ふと人の気配を感じて顔を上げた。


「―――数馬?」


 声に出すつもりはなかったのに、思わずつぶやいていた。

 数馬は振り返った。黒々としたどんぐり眼がぼんやりと銀作を見つめる。

 顔色が悪く、目の下に隈が浮いていた。

 数馬は一瞬、目の前にいるのが誰かわからないというかのように、ぼうっと銀作を見つめていたが、やがて「……ああ」とかすれた声を出した。


「銀作。おばさんの墓参りか?」


 銀作は曖昧にうなずく。

 いつのまにか数馬がそこにいたことよりも、具合が悪そうなその見た目に動揺していた。


「お前、しょっちゅう墓参り来てんだってな。まめだよなぁ」

「……お前は?」

「俺は、まァ……なんでもねよ。最近、よぐ眠れねもんだがら、景色のえ所に行きだぐてな……鉄砲の稽古しででも、調子が出ねぇし」


 数馬は気だるげに眉間をつまみ、頭を振る。


具合あんべりのが?」

「……この辺が重だぐてよ。腹もあんまがねんだよな。風邪でも引いだがな」

 

 かすれた声でそう言って胃の腑の辺りをさする幼馴染の姿を見て、銀作は眉をひそめた。

 どういう言葉をかけたものかと考えあぐねていた時、背後で草履が土を擦る音がした。


「あ……こんにちは」


 小鳥のさえずりのような軽やかな声だった。振り返ると、日輪ひわという娘が、手に包みを抱えて立っていた。勢子頭の陽蔵の孫で、銀作や数馬とは、子どもの頃に同じ手習い所で学んだ昔馴染みである。

 数馬が「ひぅっ」と妙な音を立てて息を呑み込んだ。青白かった頬に赤みが差し、背中に板を入れたように直立する。


「お久しぶり。偶然ね」


 日輪はにこりと微笑んだ。くりくりとした丸い黒目が可愛らしい。その名の通り、秋になると北方から渡って来る、マヒワの鳥のようだ。


「ひ、ひ、日輪さん、しばらく!偶然だべなァ……こんたどごで会うなんて」


 上ずった声で数馬が言う。先ほどの日輪の言葉をそのまま繰り返しているような、中身のない挨拶である。おそらく本人も、自分が何を言っているかよくわかっていない。

 数馬の動揺を、日輪は笑わなかった。軽く会釈をすると、ひとつの墓石の前に進み出て、あら、と小さく声をあげた。その墓石は既に清められ、供え物の包みも置かれていた。


「考えることは同じねぇ……」


 ちょっと切なげな微笑みを浮かべ、日輪は自分が持ってきた包みを隣に供える。そして、静かに手を合わせ、目を閉じた。

 隣で数馬がもじもじと日輪の様子をうかがっている。銀作は自分が使った柄杓と手桶を手に持つと、さっさと墓地を後にした。慌てた様子で数馬が追ってくる。日輪と話したい気持ちはあれど、二人きりの空間には耐えられなかったようだ。


 


―――


 見上げれば突き抜けるような青空。鳶が弧を描くのも優雅な、秋のひよりである。まっすぐ家に帰るのも馬鹿らしく、銀作は少し遠回りして林の中を通って帰ることにした。


「日輪さん、きれいになったべなァ……」


 夢の中のようなふわふわとした口調で数馬が呟く。


「銀作もそう思わねが?」

「……ん?」

「ああいう女子おなごは、好みでねが?」

「……ンン」

「栄助にいは二十歳で嫁コもらったべ。お前にもそろそろ話があってもおがしくねェべや」

「…………」

「……コマタギでさえなぐなったら、俺だって」


 ぼそりと呟いた数馬の声には、隠しきれない悔しさと羨望が滲んでいる。

 この三年、数馬は目に見えた手柄を立てられてはいなかった。そのため、未だにマタギ見習いのままである。本マタギとして鉄砲の腕にも磨きがかかり、着々と猟果を挙げている銀作との隔たりは大きくなる一方で、日に日に焦りが募っていくようであった。


 もしかして、数馬の心に懸かっているのは、それなのだろうか……と銀作は思った。

 実の所、銀作は日輪が少し苦手である。志々間の里の娘はみな勤勉で働き者だが、おしなべて内気な者が多い。その中で、誰にでも分け隔てなく朗らかに接し、必要とあらば自分の考えをはっきり述べることも厭わない日輪は、村の者たちから一目置かれていた。容姿もまた里一番と評判の小町娘である。真正面から話しかけられると気後れした。

 日輪の方は銀作に対し特別な情を抱いている様子は微塵もない。しかし、シカリを祖父に持つ自分と、同じく歴史あるマタギの家系に生まれた日輪。その間にもし縁談が持ち上がったとしたら、当人の感情以外には障害になりうるものが何もないのも確かであった。それが数馬の焦りに拍車をかけているのかもしれない。

 重い苦悩で目の下を真っ黒に染めた幼馴染に、銀作は何も言ってやることができなかった。マタギに伝わる魂鎮めの真言ならばいざ知らず、ちっぽけな銀作個人の言葉では、何を言っても救いにはならないような気がした。

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