第六話

 ミナグロを見たあの日から数えて、三度目の秋がやって来た。


「銀作」

 

 村はずれの墓地に続く、小川沿いの小道を歩いていた銀作は、不意にかけられた声に足を止めた。

 狩猟隊の先輩・栄助が、畑仕事の手を止めて立ち上がる所だった。首にかけた手拭いで顔の汗をぬぐいつつ、こちらに手を振っている。


「墓参りが?」


 銀作の手に菊の花束があるのを見て、栄助は優しい顔になった。銀作が頷くと、「ちょっとさっと待ってな」と家に入り、ほどなくして胡麻餅ごまもちの包みを二つ手に持って戻って来た。


「うちの女房かかの胡麻餅、んめァぞ。お供えにしてくれ」

「どうも」

「おーい、喜助ェ!こっち来て銀作のっちゃに挨拶しねか」


 今年三つになった栄助の子・喜助は、二けんほど離れた柿の木の陰に棒立ちになっていた。こちらに向けた小さな背中には、背守りの刺繍がある。喜助は舌ったらずな声で「行げね」と言った。


「何言ってらんだ。早ぐこっち来いよ」

「行げねぇ。うごけねぇ」


 のんびりとした声で急かす父親に、喜助は頑なに同じ言葉を返す。その声にどこか切羽詰まった響きを感じた銀作は、喜助の足元に目を凝らした。


 喜助の足元に小鬼がいた。楊枝のように細く長い指で幼子の足首を掴み、黄ばんだ歯をむき出しにしてにやにやと笑っている。喜助は鬼の姿が見えているわけではなさそうだ。ただ、急に足が動かなくなったので、ひどく困惑している様子である。懸命に足を動かして振りほどこうとしているが、びくともしない。幼子が頬を真っ赤にしてべそをかいているのを見て、小鬼はますますうれしそうに爪を立てた。


 銀作は大股に喜助のそばに歩み寄ると、性質たちの悪い小鬼を容赦なく踏みつぶした。


「ぎゃっ」


たまらず、小鬼は喜助の足を放す。間髪を入れず足先で蹴飛ばすと、小鬼は「あれーェ!」と間の抜けた声をあげて飛ばされ、近くの川にぽちゃんと落ちた。


「なした?」


 流石におかしいと思ったらしく、栄助も駆け寄ってくる。銀作は喜助の前にしゃがみ込み、足を見てやった。小さくひっかいたような爪痕がついてはいるが、血は出ていない。


「……枯れ枝が足に引っかがってたんだべ。なんもね」


 何食わぬ顔でそう言って、軽く足をたたいてやる。

 解放された喜助は、しばらく自分の身に起こったことがわからず放心していた。しかし、ふと銀作と目を合わせると、なぜかびくっとして怯えた顔になった。次いで、それこそ鬼でも見たかのように、「わァ…!」と声をあげて泣きだし、逃げるように父親に飛びつく。


「なんだなんだ、おぇ。なして泣くんだァ?隣の隣に住んでる、銀作の兄っちゃでねが。おっかなぐなんがねぞ」


 栄助は困惑が半分、可笑しいのが半分と言った様子で息子を抱き上げたが、喜助はいっそう大きな声で泣きじゃくった。しゃくりあげながら、一生懸命父親に何かを訴えている。


「め、め、めが……めが、かーってした!ぴっかーってしたァァ……!」

「あー?何言ってんだ、お前……すまねなァ、銀作。多分、眠ぐてぐずついてんだべ。さっと、昼寝させてくるべ」


 銀作はぎこちなく頷いた。

 自分がややきつい顔をしているらしいという自覚はあるが、幼子に本気で怯えられるというのは、なかなか堪えるものである。笑顔の一つでも作って見せればよいのだろうが、十年かけて作り上げてきた鉄面皮は、そう簡単にほぐれない。


―――うまぐいがねもんだな。


喜助をなだめながら家へ戻っていく栄助を見送りながら、銀作は自分の硬い頬を、ちょっとつねってもんでみた。


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