第四話

「東はメインコサンガイ皇国仏心

 西は弥陀の救い極他世界

 南は世界念仏

 北は釈迦に申す下ろす

 千代経るに此の里に立ち出でて

 射つ者も射たるる者も 一時のたまをふれん……」


 仰向けに横たえた熊の体に塩を撒きながら、統領シカリが朗々と唱え言葉をしている。熊の霊魂を鎮め、次の豊猟を祈る、「解体ケボカイ」の儀式である。

 唱え言葉が終わると、古式にのっとって熊の体を解体し、切り分けた肉の一部を山神様に捧げる「モチグシ」の儀が執り行われる。これは、獲物を授けて下さった山神さまに感謝を伝えるための儀式である。


 切り分けた肉は狩猟隊レッチュウの面々にわけられる。

 今回は手柄を立てた銀作に、いっとう大きな肉を……とは、ならない。優遇されるのは射手ではなく、熊を発見した者。あとは全員に同じだけ、平等に配られる。事情があって来られなかった仲間の家にも、後で届けられる。「マタギ勘定」と呼ばれるもので、これもマタギのしきたりの一つである。


「えがったなぁ。栄助ん所に、良い土産がでぎでよ」


 切り分けた肉を麻袋にしまいながら、父・金五郎が銀作にだけ聞こえる声で、そっと言って笑った。

 栄助は、銀作より五つばかり年上の、狩猟隊における兄貴分で、出産を間近に控えた女房がいる。山神様は、結婚や出産といった祝い事を嫌うといわれているので、念のため今日は狩りへの同行を控えたのであった。

 熊の肉はお産を軽くするので、妊産婦に食べさせるとよいと言われている。初めて仕留めた熊の肉が、栄助の家族の力になるかと思うと、じんわりと胸が熱くなった。嬉しかった。


 下山する前に、みんなで鍋を囲んで腹を満たすことになった。

 熊肉とともに、持参した菜っ葉や干し茸を加えて、味噌仕立ての汁に仕立てる。

 一同、ぐるりと車座になり、箸をとった。

 料理が得意なマタギが鍋の面倒を見たので味は上々だが、木椀ワッパに入れられたものは残さず食べなければならない掟があるので、若い者は喋る暇もなく、とにかく顎を動かしている。熊の内臓ヨドミは特別歯ごたえがある。嚙み切れない分は呑み下すしかない。

 

「しかし、銀作も立派になっただなぁ。小せぇ頃は、ぼーっとした洟垂れ小僧だったのによ」


 そう言ってからかうように笑ったのは陽蔵という名の老マタギである。

 マタギ歴は五十年を超える長老で、熊の習性についての知識に長けており、勢子頭せこがしらを務めていた。


「しょっちゅう、あぢごぢふらふら歩いて、シカリにどやされてたべ。それが、一発で大物の頭撃ち抜くようになるとはなぁ」

「へえ。陽蔵さんが、撃ちやすいどごにイタズ呼んでくだすったんで、上手く撃てタタケました。どうも」


 銀作はにこりともせず、ぺこりと頭を下げる。すると、「ハァー、たまげだべ!世辞まで言うようになったが!」と、一同は一層面白がって笑った。しかし実際、勢子の腕が悪いと熊は射手の所まで来ずに脇に逸れてしまうので、勢子頭である陽蔵の功績は大きい。


「こりゃ、数馬も負げてらんねァな」


 誰かが言った言葉に、隣に座っている数馬が微かに身をこわばらせたのを、銀作は鋭く感じ取っていた。

 数馬は銀作と同年で、赤ん坊のころから一緒に育った幼馴染である。銀作よりも体は大きいが、どうにも気が優し過ぎるところがあり、今のところ目立った手柄は立てられていない。……そこには恐らく、おのれの手で生き物の命を奪う事へのためらいがまだ残っているからだろうと、銀作は考えていた。

 数馬は大きな肩をすぼめて、申し訳なさそうに自分の椀に目を落としている。

 その肩を、父親の玄馬が軽くたたいた。口元に穏やかな笑みをともしている。玄馬は金五郎と同年で親友同士だが、豪快で感情的になりやすい金五郎とは異なり、いつも冷静で理知的な男である。


「なんも、焦るごだね。マタギの修行は一生かけてするもんだ。お前や銀作だげでね。おも、金熊きんくまも、シカリ達に比べりゃ、まァだヒヨッこだんて。焦るごだね。な、金熊」


 金熊とは金五郎のことである。「のごとき見た目の五郎」だから、いつしか親しみを込めてそんなあだ名で呼ばれるようになった。

 親友の言を受けて、金五郎はいつものにっかり笑顔で大きく頷いた。


「んだんだ。さ、お達。うづむいでねで、とっとと。もっと食ぇ!」


 そう言って、息子二人の椀に山盛りの肉を盛ったのであった。

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