第三話

 マタギになることを目指す少年たちは、初めから鉄砲を構えて獲物をバンバン撃てるわけではない。最初は「コマタギ」と呼ばれる見習いとなり、雑用係として狩猟隊レッチュウに同行する傍ら、山における作法を学ぶ。


数馬かずまァ!もだもだすんでねェど、こん怠け者カラセダキ!」


 先を行く先輩マタギからげきが飛ぶ。重い背負子しょいこを背負い、黙々と急坂を登っていた銀作は、つられて後ろを振り返った。

 五けんほども離れた後方で、幼馴染の数馬が雪の中にうずくまっていた。銀作同様、背負子の上には先輩たちの荷物が積み上げられており、半ば押しつぶされるような形でぜいぜいと息をついていた。

 先輩マタギ達は、数馬にはかまわず、ずんずんと登っていく。かんじき無しでは歩けないほどの雪深い急坂だというのに、恐ろしい脚力である。


 銀作は迷わず坂を下りると、数馬の背から二つ、三つ荷を奪って、自分の背負子に移した。

 数馬が顔を上げた。汗だくになった顔が、べそをかきそうに歪んでいる。


「銀作……」

「立て。じきに吹雪さくる。こんたどご置いてかれたら死ぬぞ」


 銀作は殊更ぶっきらぼうにそう言うと、数馬が立ち上がるのを待たずに歩き始めた。下手に優しい言葉をかければ、かえって数馬から士気を奪うことになる。背後で数馬が洟をすすりながら立あがるのを耳で確かめて、銀作はにわかに勢いを増し始めた寒風の中を一心に歩き続けた。




――――


 見習いを卒業して一人前のマタギになるためには、何がしかの手柄を立てて狩猟隊の面々に認められる必要がある。

 銀作は幼い頃から祖父に連れられて山に入っていたが、コマタギとして狩猟隊に同行することを許されたのは十三の時。本マタギとして認められたのは更にその三年後であった。


 まだ雪の残る卯月の半ば。冬眠から覚め、穴から這い出た熊を狙う、春熊狩りの季節であった。


「銀作。お、今日はいち射手ブッパやれ」

 

 統領シカリである祖父・鉄五郎がそう命じた時、狩猟隊レッチュウの面々にある種の緊張が走った。

 今日行われるのは「巻き狩り」という集団猟。その中でも、最も主要なノボリマキという方法である。勢子せこと呼ばれる役が、山裾の方から尾根に向かって熊を追い立て、尾根で待つ射手ブッパがそれを撃つのである。熊は山裾から尾根に向かって真っすぐに登る習性があり、これを正面から迎え撃つのが一の射手。本来ならば、狩猟隊の中で一番腕の立つ射手が任される配置であった。

 銀作は黙って首肯し、手早く火縄銃の用意を整えた。たった一秒の判断が生死を分ける山において、シカリの命令は絶対である。


 配置につき、弾の装填を済ませた後は、熊が現れるまでひたすら待つ。

 射手が少しでも動けば、熊は背を向けて逃げてしまうため、身じろぎ一つすることはできない。さながら、何十年もそこに根を下ろしてきた一本の立ち木のように、微動だにせず待ち続けるのである。


 やがて、ホーレェ、ホーレェ……という声が聞こえてきた。脅しの銃声も何発か轟いたようである。勢子が熊を追い立てているのだ。


イタズ出た!一の射場ブッパ鉄砲シロビレ撃てタダケ!」


 シカリの号令の後、雪煙を立てて黒い塊が突進してきた。

 胸に三日月模様の斑点。ツキノワグマである。


 ―――来るが。


 初めて正面から見る黒き獣に向けて、銀作は胸の内でそう問いかけた。


 ―――来るだば、

    お前の牙が届ぐのが早ぇか、

    おらが鉄砲が当だるのが早ぇか、

    ショウブだ。


 漆黒の胸に刻まれた月の船が眼前に迫る中、銀作は高鳴る鼓動の中で、静かに自分へと問いかけた。


―――おらが魂は、今、どんた形してる?


 思い描くのはただ一つ。鈍く輝く真円の弾だ。

 恐れず、揺らがず、ただまっすぐに、獲物に向かって飛ぶだけだ。

 冷たい空気を胸いっぱいに吸い込み、唇を一文字に引き結ぶ。

 ギリギリまで引きつけて、ドン!と撃った。

 炎。

 硝煙。

 白銀に光る鉛の弾丸は、まっすぐに熊の眉間を貫いた。


 真っ白な雪原に、黒い巨体が倒れた。

 すかさず火縄銃を置き、用意しておいた熊槍タテを構える。

 頭の良い熊は、マタギを欺くために死んだふりをすることがある。

 この距離で復活されたら、二発目の装填は間に合わない。もしもの時は、この槍一本で戦う覚悟だ。

 熊は動かない。慎重に、前脚の先に視線を移す。

 雪の上の黒い拳は……開かれている。

 間違いなく絶命している。


「ショウブ!」


 銀作は腹の底から叫んだ。獲物を仕留めたことを知らせる、マタギの「ショウブ声」というものである。

 すぐさま、「ショウブ、ショウブ!」とシカリの声が応えた。レッチュウの面々に勝利を伝えているのである。

 歓声が上がった。

 仲間たちが駆け寄ってくるのを目の前にして、銀作はようやく槍の穂先を下ろした。

 ふーっ……と吐いた熱い息が、白い霧となって流れて消えていった。

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