【滅びの魔女】ベファーナ①

 世界が一瞬白一色に染まり、石畳を蹴る音が一斉に鳴り響く。

 そして、肉を斬り裂くような音が七つほぼ同時に聞こえてから、世界は再び白以外の色を取り戻した。

 元通りになった世界では、私の周囲に物言わぬ骸と化した七名の愚か者が大地に倒れ伏している。その光景を無感情に見やりながら、私は剣にわずかにこびりついてしまった血を振り払い落とした。

「は……ぁぁぁあ? ちょっと、待ってよ。どういうことなんだい?」

「一瞬で全滅、だと。いや、それはまだいい。そいつら程度なら、それくらいできる奴はいなくもない。――オレ、みたいにな。だが、それはまともにやり合えたらの話だ。目潰しを喰らったはずなのに、なんでおまえは普通に剣振るえてんだよ、おかしいだろ。それともあれか、魔女様は東方の刀術使いだかうさんくさい連中の言う、心眼だったかよくわからないものを持ってるってのかよ」

 目眩まし戦術によほどの自信を持っていたのか。呆けたように目を何度も瞬かせるネルヴァに、驚きのあまりかよくわからないことをのたまってくれるユディス。二人の反応があまりに滑稽すぎて、むしろ哀れにさえなってしまうほどだ。

「心眼、がなにかはわかりませんが、当然そんなものではありません。ただ私に目潰しなどなんの意味もなかっただけの話です。生憎と、今の私の目は、貴方たちのようには見えていませんから」

 そう、私の目は本来の意味ではまったく見えていない。ただ視えているだけのこと――


 ――私が生まれ故郷の村を出て、世界を巡り始めたのは二十歳の頃。エルフの成人の儀式を兼ねてのものではあったが、世界を見てみたいと思ったのも本当のことだ。ずっとエルフのくにの中で過ごしてきた私にとって、話だけに聞く外の――人間たちの世界がどんなものかは、とても興味深い関心事だったのだから。

 そして飛び込んでみた外の世界は期待どおりに――否、期待以上に刺激的なものだった。狭い森の世界では見ることのできなかった数多の物たち、会うことのできなかった人間をはじめとする様々な人たち(中には土妖精ドワーフのようになかなか気の合わない連中もいたけれど)との出会いは、私に世界の見え方を一変させるだけの刺激を与えてくれた。

 そんな風にあちこちを旅していくうちに、自然と顔見知りが増えていった結果、いつしか私一人ではなく他人と徒党パーティーを組むことが多くなっていき――そのうちにそれが常の状態になっていった。

 人間と、或いは他の種族の者たちも交えての旅は一人でしてきたものとはまた違った刺激があり――率直に言ってしまえば、とても楽しいものだった。

 私とその仲間たちがそうして各地を遍歴する刺激的な毎日を送っているうちに、知名度もどうやら自然と上がっていったようで。一年が過ぎた頃には、私たちはそれなりに名を知られた一団として、それこそ各国の王侯貴族や有力者たちから直接仕事を依頼されるようにまでなってしまっていた。

 知名度が上がった理由のひとつとして、私の魔法の力が極めて高く評価されていたということもある。だからだろう、自覚できないうちに私は――もしかしたら、仲間たちも――思い上がっていたのだ。私はなんでもできる、特別な存在だと。

 だから――致命的な間違いを犯すことになるのだ。なにも、気づかないままに。

 それは、ずっと狭い世界に閉じ込められていた私には、森を出るまでまったく知るよしもなかったこと。どこの誰が始めたことなのか、なにがきっかけになったのかは今でもわからないことだけど。当時、一部の国では人間以外の種族――特に妖精種族に対する迫害の風潮が強くなり始めていた。

 はじめは小さな種火のようだったその風潮が、いつの間にか風に煽られるように大きくなっていき、やがて無視できないほどの大きな炎になっていく。その流れの中心にいたのは、ある大国の国王だった。

 彼がそうなった理由は誰も知らないが、異常なほどの他種族への憎悪がその行動はくがいの源になっていたのだろう。

 暴虐の王に引きずられるように妖精排斥、人間至上主義の流れは広がっていく。誰も止められないまま。

 そしてかの大国が近隣の妖精の村を焼き払ったのを契機に、戦争が始まってしまった。後の世で妖精大戦と呼ばれることになる大戦争が。

 私たちも当然のようにそれに巻き込まれてしまう。各勢力の思惑に翻弄されながらも、エルフである私は当然として――仲間も戦争を収めるために動いてくれた。……残念ながら、結果としてなんの意味もなかったのだけど。

 そう、私たちの懸命な努力も虚しく、戦線は拡大の一途を辿った。犠牲者もそれに応じて増えていく。人間よりも妖精の被害の方が遥かに多い形で。

 数年で終わることを願った争いは十年が経っても終わりを見せてくれない。国も人心も町も村も自然も荒れ放題に荒れ、世界の終末をうたう終末論者さえ現れる始末だった。

 櫛の歯が欠けていくように、なにもかも失われていく。少しずつ、けれど確実に。知り合いが、援助者が、敵対者が、仲間さえも。

 そんな状況に私は焦っていたのだろう。状況を打破できる手段を求めて、私ならできることがあるはずだと足掻き続けて、ついふらふらと悪魔の誘いに乗ってしまうことになる。

 ――結果は、もちろん最悪だった。

 私の魔法が暴走したせいでエルフの森は壊滅し、私は故郷も家族も友人も大切なものをなにもかも失い、【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】としての悪名だけが残されることになった。

 最終的に、大戦が終結するのに二十年が掛かった。無惨な戦禍の跡だけが残された世界は、私が旅を始めた頃の美しさは欠片もなく、ただただ醜悪だった。

 その有り様に耐えられなくなった私は、いい機会とばかりに目を潰すことにした。もうなにも見なくて済むように。この残酷で醜い世界が見えないように、と。

 なのに――世界はそれさえ許してくれなかった。

 確かに目を潰したはずなのに、世界が見えなくなることがなかった。目を潰す前と同じようにくっきりと、なんの支障もなくすべての光景が意識に映し出されてしまうのだ。どうやら、私の生まれ持った魔力が作用しているらしい。つまるところ、私から魔力が消えない限りはなにひとつ視えなくなることはないのだと、そういうことだった。

 ……もう、どうでもいいと思った。世界に絶望した私は各地を逃げるように渡り歩いた末に、辛うじてまだ残っていた深い森の片隅に隠れ住むようになる。

 もう誰にも関わるまいと、ひとりでひっそり隠遁生活を始めた私は望みどおり一人だけの生活を送り始める。とは言っても【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】と悪名高き私だ、ごく稀に私を討伐しようと恐れ知らずの愚か者が姿を見せることもあった。正直殺されてやってもよかったはず、のくせに。それでも――意地汚くも――命だけは惜しかったのかすべて軽く撃退していくうちに、その頻度は少なくなっていく。

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