【滅びの魔女】ベファーナ②

 ――そうして何年、何十年が過ぎただろうか。

 ある日、気がつくと隠れ家から少しばかり離れたところから、誰かの話し声が聞こえてきた。どうやらどこかの貴族だかなにがしかが厄介な子供――【破壊の子レック・キッド】と呼んでいた――を捨てに来たらしい。邪悪な魔女の棲む森だからふさわしいだろうと、勝手なことをほざきながら。

 なんとなくその態度が気に入らなかった私は即座にその場に出向くと、私への暴言をほざいた屑どもを残らず始末した。哀れな赤ん坊だけを残して。

 そのまま捨て置いてもよかったはずだった。私にはなんの義理もなければ助けなければならない理由もないのだから。だから、それはただの気まぐれだったのか。それとも周囲せかいに爪弾きにされた赤子に我が身をうっかり重ねてしまったのか。

 気がつくと私は赤子を抱きかかえ、隠れ家に連れ帰ってしまっていた。

 仕方ないので子育てを始めることになった私は、すぐに異常に気づく。赤子の手に触れた物は、ほぼ例外なく砂のように崩れていってしまうのだ。赤子を拾ったときに手首を紐で繋がれていたことを思い出した私は、成程、この力のせいでこの子は捨てられることになったのかと理解した。

 紆余曲折と試行錯誤を何度も繰り返した末に、魔力で編み込んだ絹の手袋を着けさせることでその呪いのような力を無効化させることに成功した。それ自体なかなかの苦労ではあったが、実所それよりも苦労させられたのは食事をはじめとした子育てそのものだった、というのは私だけの秘密とするべきだろう。そう、色々な意味で。

 はじめのうちはそもそも私に子供がまともに育てられるのかと不安もあったが、色々と振り回されているうちにそんなもの簡単に吹き飛んでしまう。数え切れないくらいの失敗があったものの、エストと名付けることになった彼は思っていたよりも健やかに育ってくれた。

 そうして思いがけず二人での生活を送るようになってから数年が経ち、物心がつくようになるにつれてエストが外の世界へ興味を示し始める。はじめは無視を心がけていたものの、おねだりが次第に熱を帯びてくることに耐えきれなくなった私は、最終的に根負けして外へ出ることを了承してしまう(この決断については、彼の成長を考慮したところもあったりするが)。

 私にとって何十年ぶりかに触れる世界は、少なからずかつての美しさを――当然、あの時ほどではないが――取り戻していたように視えた。それはただ長い時間(人間にとっては)が過ぎ去ったからなのか、それとも私の感じ方が変わったからなのかまではわからないけれど。

 少なくとも、初めて外の世界に触れるエストにはなんら関係のないことなのは確かだった。

 最初は森周辺の散策からはじめて、それから徐々に範囲を広げていく。なにかに初めて触れるたびに顔を輝かせてはしゃぎながら、私に嬉々として報告してくるエストの姿には私も静かな喜びを禁じ得なかった。

 そうして、まるでいつかのように誰かとの旅の日々を積み重ねていたある日のこと。

 ――世界が滅ぶ夢を視た。

 はじめはただの夢だと無視していたが、何度も同じ夢を見るに至ってそれが啓示なのだと理解した。それがどこかにいるかもしれない神によるものか、それとも世界そのものの伝言メッセージなのかは知ったことではないが、いずれにしろ私の態度は無視のままだ。

 世界など滅びようがどうしようが知ったことか――それが私の偽らざる真情なのだから。

 だが、エストはそうではなかったらしい。

 夢を見たときにうなされでもしていたのか、心配そうに事情を聞かれてしまう。私が夢のことを説明すると最初は驚き、しかしじきにどうにかしないと、どうにかするべきだと息巻き始めた。

 難色を示し渋る私に彼はまむしのように食らいつき、何度も説得を続けてくる。さすがに辟易した私がそこまで拘る理由を問い糾すと、彼はとても不思議そうな表情で、

「だって、こんなに美しい世界が滅びるところなんて見たくないでしょ?」

 と、あたりまえのように答えてきた。

 私は返す言葉を完全になくしてしまう。【破壊の子レック・キッド】と忌み嫌われ魔女の森に捨てられようとしていた子供が、まさかそんなことを言い出し始めるなんて想像もできていなかったから。

 そして、私は彼が語る世界よりも彼自身の方が美しいと感じていた――

 本来憎んでもいいはずの、彼自身にはなにも与えてくれなかったはずの世界を美しいと感じるエストの心こそが、なによりも美しいものだと。

 だからこそ私はエストの提案を受け入れ、彼を【救世主メサイア】として世界を救う旅を始めることを決めたのだ。

 【破壊の子レック・キッド】に【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】。世界から弾き出され世界を呪う力を持った者が世界を救おうとする、その皮肉がなによりも面白く自分たちにふさわしいと、そう思ったのだから。


 ――そこまで思い出したところで、私はふっと我に返ることになった。一瞬か、それとも数秒くらいは過ぎたのか。いずれにしろ回想に沈んでいたのはそう長い時間ではないはずだ。一瞬、走馬灯という異国の言葉を思い出すが、これから死ぬのはこちらではなくあちらなのだからこの場合は不適当だろう。

 いずれにしろ私が沈黙している間に、彼らは私の告白による衝撃からようやく立ち直れたらしい。

「――は、本当になんでもありかよクソ魔女が。なにが『貴方たちのようには見えていませんから』、だ。それが本当なら、今までおまえは目を使わずにオレたちと互角以上にやり合ってたってのかよ。まったく、そんな反則お化けと殺し合いとか、いい加減嫌になってくるぜ」

「正直もう、笑うしかないよね。ヴェール被ってんのはエルフだってことを隠すためだろうけど、どう考えてもまともに物が見えてるように思えてないからどうなってんの? とか思ってはいたけど。目が見えてないからそんなの関係ないやって、ありえないってのよ。なんなのさ、ふざけすぎでしょ、あんたは」

「別にふざけていたわけでもなく、私としてはただあるがままにしていただけですから、その言われようは受け入れがたいものですが。負け犬の遠吠えとして済ませることにしましょうか」

 二人の皮肉を受け流しながら、残ったユディスに向けて剣を構える。わざとらしく剣先をゆらゆら揺らしてやりながら。

「いいぜ。本気で殺してやるよクソ魔女が。アジトにオレらが帰らなけりゃ、仲間が様子を見に来るだろうからな。ま、一日か二日程度ならどうとでもなるだろうよ。だから、おまえはもういらねぇから、とっととくたばっとけ」

 怒りに燃えた灰色の瞳がこちらを刺すように見据えてきた。と、鍛え抜かれた身体がゆらりと揺らいだかと思うと、一息で間合いを詰めてきたユディスの剣が、私の首筋を狙って振るわれる。

 次の瞬間、甲高い音が響いたのはユディスの一撃を私がエストの剣で受け止めたからだ。

「ちっ、これも受けやがるか。なんで魔女のくせにこんなに剣の腕が立つんだよ、おまえは」

 忌々しく吐き捨てながら、一度距離を取り直す灰色の騎士ならぬ剣士。彼は腰を落として再び剣を正面から構え直すと、野獣のような笑みを浮かべた。

「だが、だからこそおまえみたいな魔女に負けるわけにはいかねえよな。言っておくがオレが騎士になれなかったのは親父の失脚が影響したからで、オレの腕にはなにひとつ問題はないんだからな。けっして、侮ってくれるなよ――っ!」

 裂帛の気合いとともに、華麗な牽制フェイントから流れるような剣捌きで下方から斬りかかってくる。その言葉どおり、その剣の冴えは並大抵の騎士など遥かに凌駕していた。

 ――だが、それでも私には届かない。

「いいえ、貴男が騎士になれなかったのは父親の影響ではありません。貴男自身に問題があるからです」

 斬撃を剣先で軽く受け流した私は、そのままの流れで彼の左腕に斬りつける。避けきることもできずつけられた傷口から、赤い血がぱっと飛び散った。まるで、火花のように。

「オレに、問題だと? ふざけるな――」

「成程、貴男の父親の事情とそれを貴男が納得しきれない心情は、私にも理解できなくはありません。少なくとも、貴男が【呪いの魔女カースド・ウイッチ】を憎むなら、同意さえできるでしょう」

 ですが――と、私は怒りにまかせた男の斬撃を軽くあしらいながら続けてみる。

「アデリア王女――あの子まで憎むのは筋違いです。呪いを掛けられたことに非はないのですから、それがいつ解けようが彼女に関係ないことなのですから」

「ふざ、けるな。関係ないなど、そんなわけが、あるか――っ!」

「――愚か者。その、歪みきった誇りプライド。己の責任を他人に転嫁して恥じようともしない、その醜い心根こそ貴様が騎士にふさわしくない証左と何故わかろうともしない。だからこそ――貴様は騎士失格と心得よ」

 怒りに溺れたまま力任せに振り下ろされる愚剣。それを身体の軸をずらすだけでやり過ごし、結果、無防備になったその腹を一振りで斬り捨てるのはそれこそたやすいことだった。

「我こそ、【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】。それを忘れ魔女如きと侮ったこと、それこそが貴様の敗因だ。騎士失格如きには解らぬ道理、であったかもしれんがな」

 森での隠遁生活の最中、押し寄せてくる自殺志願者に辟易した私が戯れに編み出してしまった――三大魔女としての――傲岸口調を口にして、私は無様に倒れ伏したユディスの死体を睥睨へいげいする。

 結果として一蹴したとは言っても、剣筋そのものは光るものはあった。もし騎士になることができていたなら、周囲から一目置かれることも望めるくらいには。だが、そうなることはありえなかった。少なくとも、彼自身が騎士にふさわしい在り方を見つけられない限りは。

 自分は偽物だと一言告げてしまえば、少なくとも彼の糾弾から逃れることができたはずなのに。それを善しとせず他人の罪さえ背負おうとした少女の誇りこそ持ち合わせていれば、或いは違った未来を描くことができたのだと。そんなたらればを考えること自体が、或いは不遜であるのだろうかと。

 らしくもなく埒のないことを考えてしまった自分に苦笑を浮かべつつ、私は物言うこともできなくなった男の骸から、この場でまだ唯一私に言葉を掛けることのできる女へと視線を移した。

「ひ、ひ、ひぃぃぃ」

 腰を抜かしたのか、床にへたり込んで無様に悲鳴を囀っているネルヴァにため息をひとつこぼすと、できる限り優しく語りかけてあげる。

「安心しなさい。貴女は生きて帰してさしあげます。ええ――さもないと、ここに死体を残してしまいますからね。貴女にはこの死体の始末そうじをお願いします」

「あ、は、はい、よ、喜んでさせていただきます。させていただきますが――その、どうやって……?」

 すると顔を引きつらせて、まるで媚びるような声音で彼女が問いかけてきた。意味を図りかねて首を傾げ、周囲をなんとなく見回したところで言わんとするところに気づく。

「成程、大事なことを忘れていましたね。確かにこのままでは、掃除もできるはずがありませんか」

 そう呟き、私は剣を鞘に収めると床に転がっていた杖を手元に引き戻した。それから、その杖で床を叩き再び方陣を描く。

 すると足下がぐらぐら揺れはじめ、まるで地震のように下から突き上げてくる感覚に襲われたかと思うと、十数えるほどの時間で床が元通りの位置に持ち上がった。さすがにぴったり元通りとまではいかず、切れ目が残る程度のずれは残っているものの、それでも移動にはなんの支障もないはずだ。

「あ、あ、あ、ああありがとうございます。そ、それでは、し、死体を回収するために仲間を呼んできますので、し、しばらく席を外させていただきます~~~~っっ」

 引きつった声を残すと、腰を抜かしたまま床を這いずり、元通り(?)使えるようになった通路へ向かっていくネルヴァ。まるで逃げるような姿を晒す彼女を見送ると、私はそのままそちらには背を向け、隠し通路の方に足を踏み入れた。

(さて、あの二人はちゃんと役目を果たせているでしょうか。エストは兎も角、あちらは少し不安ではありますが……まぁなんとかなっているでしょう。私が鍛えてあげたのですから、それくらいはやってもらわないと困ります)

 そんなことを思いながら、封印の扉があるはずの奥に向かって躊躇わず歩き出していく私だった。

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