魔女の証明

 突き立てた杖が描く方陣の効果で、方形に走った切れ込みキリトリセンの形に石造りの床がくり抜かれ、崩落が始まる。優位に立っていたつもりで驕っていた愚か者たちの驚き慌てふためく様を目で愉しみながら、私は落下特有の浮遊感を身体で愉しんでみた。

 やがて、崩落が止まる。落下高度は人の高さの二倍ほど、どれだけ手を伸ばしてみても上にのぼれない位置への調整はうまくいったようだった。

 そのまま地上ならぬ頭上を見上げると、通路に回避して落下を避けたエストとリアの二人がこちらを覗き込んでいるのが見えた。エストはむしろニコニコと笑顔なのに、リアの方はビクビクと怯えているのが実に好対照で、なんとなく微笑ましさを感じてしまう。

「それでは、【我が主マスター】。よろしくお願いします」

「了解。【師匠マスター】も不埒者の相手、よろしくね。好き放題、やっちゃっていいからね」

 爽やかな激励の言葉とともに、鞘に収められた剣が頭上から降ってきた。私は片手で簡単にそれを受け取ると、最後にもう一度笑顔を見せてから顔を引っ込めるエストを黙って見送る。

 さて、それでは好き放題させてもらうとしましょうか――

 口元に冷ややかな笑みを貼りつかせながら、私は剣を片手に背後を振り返った。

 さすがにこれだけ経てば、落下の動揺もひとまず収まっているのか。表情にはまだ驚きや恐怖の色が残っているものの、全員がこちらに向き直って身構えることくらいはできている。

「……化物、が。部屋ごと地下に墜とすとか、ありえないにも程があるだろう。おまけに部屋の形は保ったままときてるんだからな」

「悪いね、ユディス。アタシも油断しちまったみたいだね。いや、まさかこんな手を使ってくるなんて思わなかったよ。呪文なしってことはその杖にあらかじめ魔法を籠めておいたってことなんだろうけど、いくらなんでも用紙周到過ぎでしょ。どんな頭してんのさ、魔女様ってば」

 吐き捨てるように呻くユディスに、さばさばとした口調は変わらないもののそれでも内心の焦燥が滲み出てしまっている茶髪の女。それは兎も角、この杖は魔法の制御を――効果範囲や威力を想定どおりにもたらすために――するためのものであって、魔法を籠めていつでも使えるための魔具代わりにした覚えはない。

 だから女の考察は的外れ、ではあるものの。そんな考察を組み立てられることを考えれば――成程、本命切り札はあの女と言うことか。

 私の雑な考察を裏付けるように、威嚇してるつもりなのかこちらにギザギザの歯を見せつけながら、女が指輪を填めた右手を前方にかざす。

「ま、それもこれまでだけどね。いくらあんたが化物みたいな魔女だからって、魔法を使えなきゃなにもできないだろ? それはとっくに一回証明済みなわけだしね――っ」

 絞り出すような叫び声とともに指輪が目映く光り、

『閉ざせ、閉ざせ。目も口も心も閉ざせ。すべて世界は、静寂に満たされよ――』

 そのギザギザの歯が飛び出した口から、朗々と呪文が紡がれた。

 瞬間、私の身体をいつかと同じ脱力感が包み込む。視界も暗くなり、立ち眩みめいた感覚にもなる。……だが、そこまでだ。あの時のように意識を失ってしまうことはない。

(まぁ、こんなものですか。これが初見ならさすがに厄介でしたが、二度目なら対策くらいいくらでもできますからね。作戦ミス……とまで言ってあげるのは、酷と言うものでしょうが)

「……へーえ。あの時は簡単に眠っちゃったのに、今度は耐えられるんだ。ま、別にいいけどね。魔法、ちゃんと使えなくなってるんだろ? だったらアタシとしては問題なし。さ、ユディス。後はあんたらの出番だよ」

「ああ、よくやったネルヴァ。さて、【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】。驚かせてはもらったが、手品の種も尽きただろう。オレたちに降伏するなら、ひとまず命だけは助けてやってもいいぞ。なにぜおまえのおかげで、王女を追うのに余計な手間が掛かってしまうからな」

 魔素マナ消失魔法の使い手の女――ネルヴァ?――を労うと、なにやら得意げに言ってくる馬鹿が一人。私はわざとらしく大きなため息をひとつついておくと、エストから渡された剣を鞘から抜き放った。

「なにを吹き上がっているのか知りませんが。魔法を封じ込めたからと得意になるのは、五十年ほど早いのではないでしょうか。貴方たち如き始末するだけなら、私にはこれだけで充分なのですから。そこまでいきがらない方がいいでしょう。さもなければ、後で恥を掻くだけです」

 無造作に剣を構えての口上に、一瞬ぽかんと口を大きく開けてから、弾かれたようにゲラゲラと笑い出す手下の男たち。

「おいおい、本気で言ってんのかよ。魔女風情が、元兵士や傭兵たちに剣で勝てるって? 笑わせてくれるぜ、こいつはよ」

 総計八名の武装しただけの男たちがひとしきり笑った後、その中から一人、小太りの男が前に進み出てくる。手に持った大剣を肩に担いで、緩みきった表情で。――ああ、本当に愚かなことだ。

「大した自信だがよ、それが本物かどうか。この俺様が試してみてやるよ。――ま、偽物に決まってるけどな」

 ニヤニヤとだらしなく笑いながら私の目の前まで無造作に近づくと、そのまま大剣を振り下ろしてくる。

 ――刹那、鋭い銀光が一閃した。

「…………あ?」

 大剣を振り下ろした姿勢のまま、小太りの男が思議そうに呟く。そして、ふらりとその身体が揺らいだかと思うと、そのまま床に倒れることになった。首筋に、赤い線を一本残して。

「さて――まずは一人、ですが。それで、どうします? 次も一人で来るつもりですか? 私としては手間を省きたいので、できれば全員で来て欲しいのですけど。それとも、そちらから降参されますか?」

「……なるほど。どうやら【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】は、剣の腕も侮れないようだな。いいだろう、お望みどおり全員で相手をしてやる。ああ、ただし、オレ以外のな」

 さすがに真剣な表情になると、部下の男たちに指示を出しながらユディスはそう口にする。その指示に応じて、残りの七名が私をやや距離を置いて取り囲んだ。

「おまえら、さっきも言ったが。そいつは絶対殺すなよ。そいつにはオレたちを上まで戻してもらわなきゃならないんだからな。――その代わり、腕の一本、二本くらいはどうとでもしてやれ」

 首領リーダーの指示に、部下たちが素直に頷く。その様子をヴェール越しに見やり、私はもう何度目になるかもわからないため息をついた。

「……どうも、まだ余裕があるようですね。相手の力量もわからない馬鹿揃いなのか、己が幸運神の申し子だと信じ込んでいる狂人の集まりなのか。私にはどうもわかりませんが、それで本当に大丈夫なのですか?」

「さてな。オレたちがどうだろうと、おまえのやることは変わらないんだろ? だったら、答える必要はないんじゃないのか」

 私の挑発にもユディスの不敵な表情は変わらない。さすがに違和感を覚えたところで、

「……今――っ!」

 魔法使いネルヴァが鋭く叫ぶ。同時に全員が手庇てびさしなどで目を覆い、ユディスが懐から取り出した灯照石を真下に叩きつけた。

 次の瞬間、破裂音とともに世界が白一色に染まる。

 そして、石畳を蹴り出す音が一斉に鳴り響いた――

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