|封印《あかず》の扉

「こうするに決まっています――」

 ベファーナがそう告げた瞬間、小部屋がいきなり崩落する。目の前で突然落下していったベファーナの姿に驚き、慌てて手を伸ばそうとしてしまうわたしの身体を、思いがけず力強い腕が捕まえてぎりぎりのところで引き止めてくれた。

お嬢さんレディ、大丈夫かい? 気をつけないと、ダメだよ」

「あ、はい、すみません」

 いつものように優しく嗜めてくれるエストに、わたしはいつものように感謝するしかない。すると、わたしの無事を確認して安心したように微笑んでから、健在の通路に寝そべって状況を確認するように下を覗き込む【救世主メサイア】。

 気になったわたしも、彼の背後から恐る恐る覗き込んでみた。

 どうやら、かなり下の方まで墜ちたらしい。お互いに手を伸ばして、やっと指先が触れるかどうかくらいの距離があるように見える。とは言え、ベファーナはまったく無事な様子だったので、わたしもどうにかほっとできた(ユディスたちの方も無事な様子なので、そっちの方はまだ心配ではあるけれど)。

 あちらもこっちを見上げてきてるようで、ヴェールで隠された顔が正面から見える。笑みでも浮かべたのか、黒いヴェールの端に赤い唇がちらっと覗いたような気がした。

「それでは、【我が主マスター】。よろしくお願いします」

「了解。【師匠マスター】も不埒者の相手、よろしくね。好き放題、やっちゃっていいからね」

 そんな会話を交わしながら、エストが腰の剣を下に放り投げるように落としてしまう。その剣をベファーナが問題なく受け取ったのを確認すると、彼はそれでもう用は済んだとばかりに立ち上がった。

「それじゃ、奥に向かうとしましょうか、王女殿下?」

「え? あ~…………はい?」

 それから――なぜか――気取った態度で片目をつぶりウインクしながらの【救世主メサイア】の提案に、わたしは咄嗟にうまく対応できずに変な反応をしてしまう。すると、そんなわたしの慌てぶりにくすくす笑いながら、手を差し伸べてくるエスト。まるで騎士のように、恭しく。

「どうぞ、王女殿下。この先はなにがあるかわかりませんので、お手をお貸しいたしましょうか?」

「……えっと、いえ、ひとりで歩けると思うから、手を貸してもらわなくても大丈夫、かな? それよりも、ベファーナの方は、放っておいて大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫大丈夫。むしろ僕らのが足手まといになるから、一人の方がいいくらいだね。そっちの方がベファーナも気兼ねなくやりたい放題できるだろうから、尚更だし」

 だから僕らは僕らの役目を果たそう、と。

 その透き通った碧い瞳でこちらを見つめてそう告げると、彼はそのまま隠し通路の奥に向かって歩き始めた。

 後ろ髪は引かれながらもエストの言葉に納得してしまったわたしは、結局そのまま彼の後をついていくことになる。ふたり分の足音を響かせながら、さっきまでと変わらない――少なくとも見た目は――通路を慎重に進んでいく。

 他に誰もいないのだからわたしたちの足音以外の音が聞こえるわけがないのに、さっきから他の音がやけに耳につくと思ったら、それはどうやらわたしの心臓の音のようだった。どっくんどっくんと、うるさすぎて仕方ない。でも、この先に待ち構えているものを思えば、そうなってしまってもしかたない――のかもしれない。

 そうして、それほど時間をかけることもなく、わたしたちは通路の終点にまで辿り着く。

「……ここ、でいいのかな?」

 わたしは恐る恐る、隣の【救世主メサイア】様に尋ねかけた。

 目の前の突き当たりの壁には、一面に立派な扉が備えられている。見たこともない金属――少なくとも、鉄や銅ではなさそうだ――でできているのか飴のような不思議な光沢を放っていて、その中央辺りにスティリア王国の家紋である翼を広げた鷲が刻まれていることから、ここが目的の封印の扉なのは間違いないようだった。

「ああ、そのはずだよ。……っと、確か聞いた話だとこの辺りに仕掛けがあるはずなんだけど。――あ、これかな?」

 その紋章の辺りをなにやら探っていたエストが、目的のものが見つけられたのか弾んだ声を上げる。彼の手が触れてる辺りをよく見ると、確かになにやら円形の窪みのようなものがあった。それはちょうど、王家の証のペンダントがぴったりと嵌め込められそうな。

「それじゃ、アデリア様? ここにあのペンダントを嵌め込んでもらえるかな? そうしたら、ペンダントにキミの血を数滴でいいから垂らして欲しい。そうしたら王家の血に反応して、封印が解けて中に入れるようになるはずだから」

「う、うん。わかった。じゃあ、嵌めるね」

 言われるままに扉に近づいて、首から外したペンダントを穴に嵌め込んでみる。あたりまえのように、それはピタリと嵌まり込んだ。

(これで、後は、血を垂らせばいいわけだよね。……アデル、お願い、力を貸してくれる?)

 護身用として携えていたナイフを懐から取り出し、わたしは心の中で今は亡き恩人に祈りを捧げた。――ああ、正直に本音を言えばこのまま逃げ出してしまいたい。わたしみたいな偽物の役立たずになにができるのかと、わたしの影が耳元でさっきから囁き続けている。それはきっと、正しいのだろう。これまでわたしが成し遂げたことなんて、なにひとつないのだから。今回だって、きっとそうなるに決まっている。

 そう確信しているはずなのに、わたしが持ったナイフはゆっくりとだけど、ぷるぷると震えながらだけど、確実に指先に向かっていた。だって、わたしは確かに誓ったのだから。義母セルマに、親友アデルに、なによりもわたし自身に。わたしができる限りでいいから、精一杯最後まで頑張ってみると。

「~~~~っ!」

 ナイフが指先に触れた瞬間、思い切って刃を横に走らせた。あまりに勢いがよすぎたせいで、二、三滴でいいのにそれ以上の血が噴き出して、ペンダントにふりかかってしまう。慌てて指先を舐めて血を止めながら、反応してくれるのを祈りながらじっと見守る。見守り続ける。

 けれど――

 いつまで待ってみても、血が止まるまで待ってみても、ペンダントも扉もなんの反応もしてくれなかった。

「えっと……これは、反応なしってことで、いいのかな……?」

 だから、エストがぽつりと呟いたのに耐えられず、わたしは思いきり叫んでしまう。止まった血の代わりに、大粒の涙をこぼしてしまいながら。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……っっっ!!! みんなわたしが悪いんですっ! わたしが偽物だから、わたしが本物の王女じゃないから、開いてくれないんです! ただの偽物なのに、本物のふりをしてついてきて本当にごめんなさい……っ!」

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