騎士ならざる者の呪い

「な、なんのつもりです? じょ、冗談なら、すぐにやめてもらえますか?」

 前触れも感じられないままに、喉元にぴったり触れる冷たい鋼の感触に声を震わせながら、わたしは背後の男にそう呼びかける。口に出した冗談という言葉はもちろん本気ではない、けれど。それでも一縷の願いを託して、その単語を口にしたのだった。

 ただし、その浅はかな願いが通じるわけがあるはずもなく。

「冗談、ですか。は、王女様はつくづくおめでたいのですね。――オレが冗談でこんなことをするとでも思っているのか?」

 あっさり一笑に付されてしまう。その本気を示すように、途中で口調を荒々しいものに豹変させると、灰色の騎士(偽)がわたしの身体を締めつける力をさらに強めてきた。胸とお腹に襲いかかる圧迫感に苦しみながら、わたしはそれでも彼に呼びかけてみる。

「冗談、じゃないなら、なんの、つもりですか? あなたは、王国の再興のために、わたしを探していた、はずですよね?」

「王国の再興? は、そんな世迷い言を本気で信じていたのか。クソったれな王国なんざ、滅んでざまあみろとしか思ってねぇのに、そんなことするワケねぇだろ。本当にめでたすぎるぞ、この王女様は。まさか、頭の中が砂糖菓子ででもできているんじゃないだろうな」

 新しい通路の前のベファーナと、彼女よりは少しこちらに近い位置にいるエスト。二人の動きを牽制しながら、ユディスは吐き捨てるようにわたしの言葉を否定した。その変貌ぶりに驚きよりも哀しみが強く湧き出てしまう。これまで彼が見せてきた忠節も気づかいも誠実さもすべて嘘だったのか、と。

「……すべて嘘、だったというわけですか。だったら、ユディス。あなたはいったいなにが目的だと言うのです?」

 ユディスの本性は、どうやら組織の間では周知のものだったのか。部下の四名は特に動揺した様子も見せず、慎重に二人への距離を詰めようとしている。一方、その二人にも特に慌てた様子もなく、今は黙ってユディスの様子を注視しているようだった。

「ああ、オレの目的か。そうだな、今はまずそこの魔女をとっ捕まえて褒賞金をたんまり頂きたいところだな。後はおまえをどうするか。帝国に反乱を企てた謀反人として売るのもいいが、このまま嬲り殺してやるのも悪くはないかもな」

「――っ。あなたは、どうして王国を、わたしを、そんなに嫌っているんですか。なにがあっ――」

「は、今更オレにそれを聞くか。めでたいだけでなく察しも悪いとはな。王族ってのは本当に自分のことばかりで、下々のことなんざ気にも留めてないのが丸わかりだろ、おい。少しは恥ずかしいとか思わねぇのかよ」

 容赦なくぶつけられる強烈な悪意に、息が詰まる。

「そんなもの、おまえらがオレの人生を――親父の一生を台なしにしやがったからに決まってるだろうが」

「お父様、の? それは……」

「親父については教えてやっただろ? 覚えてねぇとは言わさねぇぞ。アデリア=ヴィルフォルド。おまえが【呪いの魔女カースド・ウイッチ】に呪いを掛けられたせいで、オレの親父は騎士を辞めさせられる羽目になったんだからな」

「辞めさせられたのは近衛団長だけで、騎士を辞めたのは自分からだったんじゃ――」

「つくづく王族ってのは、頭がおめでたいようだな。団長を罷免されたやつが、そのまま騎士を続けられると思っていたのか? 本人が続けようと思ったところで、周りが許してくれるわけがないんだからな。むりやりでも辞めさせられるに決まってるだろう?」

 彼の感情の昂ぶりが、怒りの激しさが剣先の微妙な震えからはっきり伝わってきて、わたしはそれ以上言い返すことができなくなってしまった。

「騎士を辞めさせられてからの親父は、お定まりの酒浸りの毎日だったよ。仕事もせず飲んだくれるばかりで、五年も持たず死んじまいやがった。そうなる前は謹厳実直を絵に描いたような立派な騎士だったのにな!」

「…………」

「そのおかげでオレだって騎士になる夢は叶わなくなった。次の年には従士として仕える先も決まっていたのにな! それからは生きるためになんでもやったさ。騎士の誇りなんざドブに捨てて、汚れ仕事でもなんでもな! それもこれもすべて呪いを掛けやがった【呪いの魔女カースド・ウイッチ】と、簡単に呪われやがった王女様のせいってことだろ!?」

 まるで悲鳴のような怒鳴り声に耳を塞ぎたくなってしまうけれど、それも果たせない。そんなこと、できるはずもない。彼の言う王女はアデルのことでわたしは影姫にせものだから関係ない、と。そう言い訳することだってできるはずだけど、そんなことをするなんてわたし自身が許せないのだから。

「それでも――呪いに掛かったままなら、まだ許せたかもしれない。けどな、たった九年だぞ。たった九年で解けるような呪いに掛けられたからって、なんでオレの親父が死ななきゃならなかったんだ! だったらおまえもここで親と一緒に死んでろよ! なんで一人だけ生き残ってやがるんだ!」

「……正直、わたしではどうすることもできないことが多すぎますが、あなたがわたしを憎む理由はわかります。わたしで償えることがもしあるのなら、ちゃんと償えるようにしたいとも思います。――ですが、それはわたしだけの問題です。関係ない方まで巻き込みたくはありません。だからどうか、この場はお二人だけでも見逃してはもらえませんか?」

 わたし自身に罪はない。そして、アデルにだって罪はない……はずだ。けれど、だからって逃げていいわけでもない。影姫として六年も勤めあげてきた誇りにかけて、王族としての義務があるのならアデルの代わりにわたしが果たすべきなのだろう。ただ、そこに【救世主メサイア】とその従者が巻き込まれる必要なんてないはずだった。

「は、なにを勝手なことを。この二人を巻き込んだのはそもそもおまえだろう。だったら――」

「そうですね。巻き込まれたのがどちらかは兎も角。私たちが見逃してもらう必要は特にないでしょう。少なくとも、そちらにそのつもりは最初からなかったようですし。――いいかげん、出てきてもらってもよろしいですよ。いつまでも隠れているのも辛いでしょう?」

 ユディスの言葉を遮る形で、ベファーナが入ってきた通路に向けてそう呼びかける。

 すると、魔法の光が届かず暗がりになっていたそこから、ぞろぞろといくつかの影が姿を現した。

「やれやれ、まいったね。ちゃんと気配は消してたつもりなんだけど、こうもあっさり気づかれるなんてさ。さすが【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】って誉めるべきなのかねぇ」

 諸手を挙げてベファーナを誉め称えたのは、長い茶髪を後ろで纏めているあの蓮っ葉な女性だった。さらにその背後から、半端な武装を施した四人の男たちが続いて姿を見せる。

「ホントは物陰からこっそり襲いかかるつもりだったんだけど、まぁいいや。こっちには人質がいるんだから、ちゃんと大人しくしといてよ魔女さん。じゃないと、扉が開けられなくなっても知らないからね」

 からからと嗤う女性を護るように、彼女の前に陣取る男たち。ユディスたちを含めて包囲網が完成してしまったようだった。

 最悪に近い状況に、わたしが背筋に冷や汗を垂らして絶体絶命の心境になっているのに、ベファーナはまだ余裕のある素振りで左右てきを見回している。――と、首を動かせないのでよくわからないけれど、今、視界の端に金色のなにかが揺らめいたような?

「大人しく、ですか。さて――基準がわからないので難しそうですね。このくらいなら、許されますか?」

 冷めた声で呟くと、いきなり杖を床に思いきり叩きつけるベファーナ。それを見て、周りを取り囲んでいた全員が色めき立つ。さすがにユディスも無視できなかったのか、彼女を警戒して剣先がわたしの喉から少しだけ離れた。

「――っ!?」

 その間隙を突くように死角から突然姿を見せたエストが、わたしの喉に手を伸ばす。

「っ!? ふざ、けるな――っ」

 一瞬遅れたものの、素早く反応したユディスの剣がわたしの喉に向けて振るわれる。その軌道上には、エストが伸ばした腕が――

 ガッッッ!

 少し鈍い音がした。「なんだ、と……?」と呆然と響く驚きの声。灰色の剣士の視線の先、わたしの喉元では、鋼の剣が絹の手袋に真っ向から受け止められてしまっている。

(え? 嘘? なんで? ど、どうやって止めてるの? 嘘、でしょ)

 本来ありえない光景に、さすがにわたしとユディスの動きが止まった。一瞬生まれた隙を突くように、金髪の少年の脚が灰髪の青年の胸を思いきり蹴り飛ばす。たまらず壁際まで吹き飛ばされたユディスだったけれど、それでもなんとか一回転して体勢を立て直し、膝立ちの状態のままこちらを睨みつけてくる。

お嬢さんレディ、大丈夫かな?」

「あ、はい、だいじょう……って、きゃあぁぁ――っっ!?」

 とりあえず危機を逃れてほっと一息――と思っていたら、いきなり抱き上げられてしまう。そのままお姫様抱っこでベファーナの所まで運ばれてしまったところで、ようやく解放された。

「こんなところかな、【師匠マスター】」

「ええ、上出来です【我が主マスター】」

 息の合った会話を交わす二人に、わたしもほっと胸を撫で下ろす。けれど、ようやく振り出しに戻っただけで、まだなにも解決したわけではない。

 その証拠に、抜き身の剣を片手に立ち上がったユディスリーダーの元に、仲間たちが集まっていく。

「油断した、とは言いたくないんだが、油断したと言うしかないな。ずっと手袋してておかしな奴だとは思っていたが、いったいなんでできてやがるんだ、そいつは」

「人質はいなくなったけど、別に状況は変わってないよね。どうするつもり? 逃げるにしても、アタシらをどうにかしない限りは無理でしょ?」

 彼女の言うとおり、戻る通路は彼女たちに塞がれていて、わたしたちが障害なしに進めるのは新しく現れた隠し通路しかない。進むか退くか。どちらを選ぶつもりなのかと横目で様子を窺ってみると、二人とも相変わらず余裕綽々のようだった。

「どうするつもり、ですか――」

 わたしとエストの二人を通路まで追いやってから、むしろ堂々と敵前に進み出ると、ベファーナは再び杖を床に突き立て――今度は床面に沿って滑らせる。まるで、なにかの図形を描くように。

「こうするに決まっています――」

 その瞬間、壁と床の隙間辺りに線が走り抜けたかと思うと、小部屋の床が一気に崩落した。

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