帰還の祝宴

 スティリア王国最大の町にして王都であるセラムス。わたしが影姫をやっていた頃は王都にふさわしく、住人も八万に届こうかというくらいに栄えた町だった。

 王国が帝国に滅ぼされ、ドリード村に逃れることになったわたしが訪れることができなくなって、もう六年になる。その間セラムスがどうなったのかについては、ただ帝国領に組み込まれたことくらいしか伝わってこなかったので、正直どれだけ変わっているのかを想像することも怖かったくらいだけど――

(あれ? あそこは確かお菓子屋さんがあったはずだけど、なくなっちゃったのかな? そうそう、こっそり分けて貰った砂糖菓子が美味しかったんだよね。そういえば、いつだったか一緒に遊んだ粉屋のロミアちゃん、無事だったのかな? 今も元気だといいんだけど……)

 いざ実際に見て回ってみると、街並みとかにそこまで大きな変化はないようなのに、拍子抜けしてしまうくらいだった(知ってる店がなくなってたりとか、小さな変化は色々あるようだけど)。もちろん、わたしがそう思ってしまうのはただ事前の予想があまりにも悲観的なものだったから、だけでしかなくて。

 よく見れば通りを行き交う人の表情が以前より暗かったり、数も少なくなっていたりしているように、わたしが知っている光景に比べたらやはり活気は失われてしまっている。その理由については帝国領になったからなのか、それとも世界崩壊の兆候の表れなのかまではさすがにわからない。

 馬車の中から眺めるのではなく、実際に通りを歩き回ってみればもう少し詳しい状況を掴めるだろうか。しかし、幻装魔法の解けた今の状態でこの町を歩き回るのは危険だからとユディスに止められたために、こうして馬車に閉じ込められたままのわたしではそれも無理な話だった。

 そんな不満とまでは言い切れないもやもやを抱えたまま、町の光景を見続けるわたしの隣では――いつもの黒ローブ姿の――ベファーナが無言で板敷きに座り込んでいる。なにも話しかけてこないのはわたしに配慮してくれているのか、それとも単にそういう気分ではないからなのかは、こちらから窺い知ることはできない。ただ、彼女の思惑がどこにあるにしろ、放っておいてくれるのは正直ありがたくはあった。

 ……ちなみに、なんの障害も憂いもないエストだけは外に出ていて、御者席ユディスの隣で町の光景を見物中である。ああ、目を輝かして何気ない町の光景を楽しんでいる姿が、瞼の裏に勝手に浮かんできてしまう。

 ――なんて、感傷に耽りながら身体を揺らしていると、やがてかすかな振動とともに馬車がゆっくり止まった。どうやら目的地――ユディス率いる反帝国組織(?)の拠点アジトに着いたらしい。

「どうぞ、アデリア様。見窄みすぼらしいところで申し訳ありませんが、今夜はこちらでお休み頂けますか?」

 先に馬車を降りたユディスに手をむりやり貸されて馬車を降りたわたしは、彼に言われるまま目の前の建物を見つめる。

 見窄らしいとか言っていたけれど、看板が少し傾いているのと文字が薄れて読めなくなってる以外は別にそこまでひどくもない、普通の安宿のようだった。

「お世話になるのはこちらですから、あまり気にしないでください。それでは、失礼します」

 一声掛けてから、ユディスが扉を開けてくれたままの玄関を通り抜ける。

 中に入っても宿の作りは普通だという印象は変わらなかったけれど、中に集まっている人たちの雰囲気を一見したところ、なるほどと思ってしまった。

「お、帰ってきやがったなユディス。って、ホントに王女様見つかったのかよ」

「ああ、幸運にもな。それで言っておくが、おまえたち。くれぐれも失礼のないようにな」

 いち早く声を掛けてきた上半身裸の大男に、ユディスが軽く返しながらそれとなく注意を投げかける。すると、大男の周りで思い思いに寛いでいた柄の悪そうな男たちが、一斉に不満の声を上げた。

「ああ、うるっさいよおまえら。お育ちの悪さを王女様に見せてどうしようってのさ。せっかくのうん年ぶりの故郷への帰還なんだから、少しは身の程弁えて大人しくしてろっての」

 そんな彼らをいちいちお盆で頭を叩いて回りながら、長い茶髪を頭の後ろで纏めた女性がわたしに近づいてくる。そして、ギザギザの歯を見せて快活に笑うと、優しく声を掛けてくれた。

「ようこそ王女様、アタシたちの城に。あんたの住んでたのに比べたらひどいところだけど、あいつらはアタシが責任持って抑えとくから、とりあえず一晩だけ我慢してくれるかい?」

「あ、はい、大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」

 わたしの返事にもう一度歯を見せて笑う彼女に連れられ、そのまま部屋に案内される。

 部屋の数が足りないのかそれとも一応纏めて考えられているのか、三人一緒の部屋だった。

 なのでこれまでと変わることなく、それぞれの荷物を適当に片してからやっぱり適当に、わたしたちは思い思いに過ごし始める。


 ――そうして夜になったところで、歓迎の宴が開かれることになった。


 ユディスによれば総勢四十名ほどの組織という話だったけど、だとしたらそのほとんどが宿屋ここに集まってきているのではないだろうか。そう思わせるくらいには、宴の会場となった食堂が大勢の人間でひしめき合っている。

 もちろんわたしだって、影姫時代には何回もこうした宴の類には出たものだから、慣れていないわけでもない。それでも久しぶりということもあり、参加者全員からの挨拶が完了し食事を軽く済ませる頃には、どうにも気疲れでへとへとになってしまっていた。

「お疲れみたいだね、王女様は。ま、主役として引っ張り回されてんてこ舞いなんだから、そりゃあくたびれるってもんか。とりあえず一休みってことで、こいつをどうだい?」

「ああ、ありがとうございます。ちょうど喉が渇いていたところなので、助かります。……ところで、わたしのことはアデリアでいいですよ。みなさんに言ってることですけど」

 そこで手近にあった椅子に座って休憩していたところに、給仕よろしく現れた茶髪の女性から赤い液体が入ったグラスを手渡される。ありがたく受け取って一息に飲みかけたところで、喉に襲いかかる焼けつくような熱さにせ返ってしまうわたしだった。

「ご、ごほっ、ごほっ、このお酒、かなり、きつい、ですね。ごほっ、ごほっ」

「あははっ、かなーりキツいだろ。紅月酒クリムゾンムーンってんだけど、アデリア様にはすこーし早かったみたいだね。ま、無理はしないでちびちび飲むのがいいよ」

 わたしもお酒自体飲む機会はあったけれど、大体果実酒の類だったからここまで強い酒は飲んだことはない。なので忠告どおりちびちび飲むわたしとは対照的に、蓮っ葉な彼女は同じものを平気でぐいぐい飲みまくっている。その姿に尊敬の眼差しを送ってしまいながら、わたしの視線は少し離れた席にいるユディスの姿を捉えてしまう。

「……あなたたちにとってユディスさんって、どういうリーダーなんですか?」

「ん? ああ、一言で言えば頼りになる兄貴分って感じかな。アタシよりも若いのにしっかりしてて、頭も回るからね。ま、父親のせいで割食って色々あったせいもあるんだろうけどさ」

 仲間に慕われているという彼女の言葉を証明するように、輪になってユディスを取り囲むようにしている部下たちの視線は、まさに親しみと敬意に彩られているように見えた。

「だったら……彼は本気で王国を再興しようとしているんでしょうか?」

「ああ、王女様なら確かにそこんとこは一番に気になるよね」

 懐から取り出した煙草に手近の燭台で火を点けて、ぷかぷかとくゆらせながら女性は口元でかすかに笑う。少し、面白がるように。

「そこら辺りは本人にしかわかんないかな、正直なところ。アタシは別に義理も思い入れもないんであんたのことも正直どうでもいいって思ってるし、他の連中もそっちのが多そうだけど。ユディスに関しちゃ本気でもおかしくはないから、気になるんだったらアタシらの仲間になれば確かめられるんじゃないの? ――なーんてね。ま、よく考えて決めな。他ならぬアデリア様自身のことなんだから、さ」

 そんな風に言いたいことだけ一気にまくしたてると、彼女はグラス片手にそのまま席を立った。こちらに背を向けて別の席に歩いて行く彼女を見送ると、わたしはグラスに口をつけてちびちび飲みながらもう一度ユディスの方に視線を向ける。

 すると、そこにちょうどエストの姿もあった。人懐こい彼のこと、どうやらあちこちの席を渡り歩いているうちにユディスの所まで行き着いたらしい。初対面では危うく斬り合いになりそうだった二人だったけど、どうやらうまくやれそうなのかにこやかに話をしている。

 と、どういう話の流れになったのかわからないけれど、取り巻きの中の一人がエストにどこからともなく取り出してきたリュートを手渡してきた。

(え? え? 大丈夫、なの? ちゃんと弾けるの? 楽器できるなんて、聞いたことないんだけど……)

 心配するわたしをよそに、【救世主メサイア】は平然と弦を爪弾き始める。あっという間に指が素早く動き始め、美しく鮮やかな旋律が奏でられ始めた。

 これにはユディスや部下たちも驚いたようで、たちまち拍手喝采になった。

「すご、いです。ねぇねぇ、ベファーナ。エストくんってリュート弾けたんですね。それもあんなに上手だなんてびっくりです。どうして教えてくれなかったんですか? ……ベファーナ?」

 驚きのあまり、離れたところで一人壁の花状態になってたベファーナの傍ににじり寄り、早口で話しかけてしまう。けれどまったく反応がないのに気づき、不思議に思ってわたしが顔を近づけて様子を窺うと、静かな寝息が聞こえてきた。

「……は?」

 呆気にとられたわたしの呟きのせい、ではないだろうけど。ベファーナの身体が揺れたかと思うと、そのままテーブルに突っ伏してしまう。その身体の傍には、赤い液体が半分ほど残されたグラスがひとつ。――どうやら魔女も、紅月酒クリムゾンムーンにやられたらしい。

 思いがけない事態に戸惑いながら、とりあえず周囲の様子を窺ってしまう。どうやら、みんなエストのリュートに気を取られているようで、誰もこちらに注意を払っていないようだ。

(チャンス、なのかな……? 日頃の恨み? 借り? このさい、晴らしてしまおうかな?)

 まさか酒に弱いとは思ってもみなかったけど、千載一遇の機会チャンスではある。今ならなにもかもやり放題という誘惑に従いたくなる。たとえば額に筆で文字を書いてみたりとか、いろいろと悪戯が思いついてしまう。

「……なんて、ね」

 そんな自分に苦笑しながら、わたしはベファーナの頬を――ヴェールの隙間から――つついてみた。おっぱいと同じ柔らかい感触に頬を緩ませながら、それ以上の悪戯はやめにする。なんとなく、卑怯な気がしてしまうから。

(うんそう、卑怯なのはよくないから、ね。けっして迂闊なことをしたら、後が怖いからじゃないんだから。……違うからね)

 心の中で誰にともなく言い訳をしながら、わたしは魔女の頬をここぞとばかりつつき続ける。

 考えなければならないことは、きっといっぱいありすぎてよくわからない。すぐに決めた方がいいことも、きっとあるのだろう。王城に乗り込んで二人に託された役目を果たしてしまえば、待ったなしなのだろう。

 それは充分わかっているつもりだけど、この瞬間は少しだけその責任を忘れさせて欲しくて。

 わたしはただベファーナの綺麗な寝顔を眺め続けていた。

 ……もちろん、彼女の頬をつつく手だけは止めないままに。

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