温い夜襲

 ――浅い眠りから、意識がゆっくりと浮上する。

 まだ半覚醒のぼんやりした状況の中で、徐々に知覚の焦点が現実に合わさり始めるのを感じた。気になるのは、少し耳障りな金属音。どうやらこれのせいで目が覚めてしまったらしい。

「――――っ!?」

 そこではっきり覚醒する。途端に大きくなった金属音が、剣戟の音だと理解する。

 慌てて毛布を跳ね上げ、すぐ起き上がって周囲を確認しようとするものの、灯りのない荷台の中は真っ暗でなにが起こってるかもよくわからない。ただ、幌越しに馬車の外側に灯りが複数点いているのが確認できることからも、外で誰かが戦っているらしいことだけがわかった。

 と――

「――ああ、起きたんだね。大丈夫? すぐ動けるかい?」

 出入り口の白い幕を捲りあげ、エストが中に顔を覗かせながら声を掛けてくる。見たところいつもどおりの格好で、腰の剣も抜いていないようだ。

「あ、はい。一応動けます」

「じゃあ、とりあえず巻き込まれないように注意しながらだけど、一度外に出てみる? ずっと中にいても外の様子がわからないから不安でしょ?」

 その言葉どおりなので、彼の指示に従って注意しながらそっと馬車の外に顔を出してみた。

「――ああ、起きてきたのですね。見学するのは構いませんが、私の後ろからはけして動かないように」

 さっき聞いたばかりのものと同じような忠告をいきなり投げかけられる。顔を向けると、いつもの黒ローブが夜闇に溶け込みすぎてわかりづらいけれど、御者台にベファーナが悠然と腰掛けているのが見えた。

 御者台に突き刺すように立てられた杖の先端に白い輝きが灯り、周囲を目映く照らし出している。その割に荷台の中が眩しくなかったのは、荷台に向かってだけ光量が絞られているから。それはもしかしたら、わたしを起こさないようにと配慮していたのだろうか。意図は微妙にわからないものの、魔女の魔法が相変わらず規格外なことだけはよくわかった。

 それから、彼女にならって視線を剣戟の音の方に移動させる。

 魔法の光と焚き火の灯りで照らし出されたおかげで、わたしでも状況はどうにか見て取れる。

 襲撃者はちょうど五人だったみたいで、こちら側のユディスと部下の四人であわせて五人と、それぞれ一対一で斬り結んでいるようだ。

 それぞれの組み合わせが勝手に慌ただしく動き回るので、あっちを見ていたらこっちの展開がわからなくなり、こっちを見てしまったらそっちがお留守になってしまうなど。戦いなんてほとんど見たことがない素人には正直ついていけないところがあるけれど、どうやら状況としてはこちらの方が押しているみたいだった。

 中でもユディスが一番有利なようで、圧倒していると言っているくらいなのは、素人のわたしでもよくわかる。相手はすっかりたじたじでひたすら防戦一方になっていて、倒されるのを防ぐのがやっとな感じだった。

 他の四人はそれに比べるとまだ互角に近そうだけど、それでもみんなこちら側が押しているように見える。もちろん、なにかのきっかけに流れが変わることもあるのだから、楽観視しすぎるのも危ないと危機感はしっかり持っておくべきだろうけれど。それでも、少しほっとするくらいは許されるべきだと思った。

「うーん……こんなもの、なのかなぁ」

「そうですね。こんなもの、なのでしょうね」

 その一方で、わたしのすぐ傍で仲良く観戦中のお二人が、なにやら意味ありげな会話を交わしている。うん、なんだかよくわからないけど、なにがこんなものなのだろうか?

 ――と、わたしが首を傾げて二人に聞いてみるべきか我慢するべきか悩んでいるうちに、襲撃者とユディスたちとの斬り合いに新たな動きが表れた。

 ピィィィーーーーーーッッッ!

 ユディスの剣から逃げ回っていた男が、諦めたように大きく後ろへ飛び退くと、いきなり指笛を吹き鳴らす。すると、それが合図だったのか他の四人も一斉に相手から飛び離れて、全員が一斉に引いていった。

 後には、それまでの剣戟の音が嘘のように静寂だけが残される。

「……よし、全員問題はないな。万一負傷があれば申告しておくように。ひとまず相手は引いたようだが、くれぐれも油断だけはするなよ。今夜のうちにもう一度襲撃がある可能性は頭に入れて、警戒を怠らないようにな。――これは、アデリア様。起こしてしまったようですね、申し訳ございません」

「ああ、いえ、謝らないでください。皆さんは懸命に頑張ってくれただけですので。各自の奮闘見事でした、守っていただき感謝します。もし次もあれば、その時は同じようにお願いしますね」

 部下たちに指示を送った後こちらに気づき頭を下げてくるユディスに、気後れしながらなんとか王女らしく感謝の言葉を返してみた。少なくとも危険を感じさせず守ってくれたのは事実であり、感謝を伝えることに後ろめたさを感じる要素は微塵もないのだから。

「は、過分なお言葉ありがたく頂戴いたします。我ら一同改めて身を引き締め、一層の尽力でアデリア様の護衛を務めさせて頂きます」

 畏まって本物の騎士のように振る舞うユディスに、背後の部下たちも倣って頭を下げてくる。もっとも彼らのものは、その武装のように不揃いなものではあったけれど。

「おつかれさまです、皆さん。ご無事でなによりですけど、少し拍子抜けというか――相手がそこまで本気じゃなかったような気もするんですけど。ユディスさんはどう思います?」

「そうですね、その点については私も同感です。あちらの腕がそこまでではなかったのもあるでしょうが、それを抜きにしても少し温すぎだったかと。おそらくですが、今夜は様子見だった――のではないかと思われますね」

「様子見、ですか。確かにそんな感じでしたね。でも、どうして彼らはわざわざ様子見なんてしたんでしょうか。一回目の襲撃で本気を出した方が面倒はないですし、こちらに余計な警戒を与えないで済むと思うんですけど」

 素朴な口調で、核心を突いていそうな発言をする金髪の少年に、灰色の青年は手に持ったままの剣を腰の鞘に戻しながら、

「それについては、私のせいもあるかもしれないですね」

 少し苦笑いしながらそんなことを呟いた。

「アデリア様が襲撃された際に、私がお助けしたわけですが。少しやり過ぎた――本気を出し過ぎてしまったのではないかと。複数の仲間が簡単にやられた相手が護衛についているのを見て、返り討ちに遭うのを警戒して慎重になるのも、連中のような三下なら不思議ではないでしょうから」

 内容は自慢に近い類のものだけど、言ってる本人はどこかばつが悪そうに見えなくもないので、わたしとしてはそこまで嫌味は感じない。ただ、目の前の二人はそうでもないのかそれ以外になにか理由があるのか、どこか白けたような表情を浮かべている。

「……成程。あちらが本気ではなく、あくまで様子見だったことの理由はそれで説明がつくでしょう。ですが、こちらも本気で相手をしているようには見えませんでしたが、それはどうしてなのでしょうね。敵が本気でなかったことは、こちらが本気で立ち向かわなかった理由にはなりえません。敵の数を減らすためにもここでひとりふたりは殺しておくべきだったとも思うのですが、騎士様はその辺りはどう考えているのです?」

「確かに、敵の数は少しでも減らすべきというその考えは私も理解できますし、戦場でならそうしたかもしれません。ただ、今回はあくまでアデリア様の護衛ですから、一番にアデリア様の安全を優先した次第です」

 御者席に座ったままのベファーナによる冷ややかな問いしてきに、ユディスは部下に周囲の警戒及び探査の指示を出し終えてから、彼女の正面に向き直ってその理由を詳しく説明していく。

「あちらがこちらを警戒して本気を出してこなかったということは、逆に言えばこちらが本気を出してしまえばあちらも本気を出してくる可能性があるということになります。そうなってしまうと互いに深手を負う可能性も高くなり、思いがけず命を失う危険も考えなければなりません。今夜に関しては、そこまで危ない橋を渡る必要は感じなかった、と判断したわけですね。それに今は真夜中と言うことを考えれば、相手を殺そうと深追いしたところを誘い出されてしまい、その結果別働隊にアデリア様が襲われる危険も考慮しなければなりません。どうでしょう、おわかりいただけましたでしょうか、魔女殿?」

 騎士様(偽)の過剰気味に丁寧な説明を受け、魔女様は一度振り返りこちらに視線を――ヴェール越しに――投げかけてきたかと思うと、また彼に向き直ってからわざとらしく大仰に肩を竦めた。

「成程、貴男の意図は理解しました。ええ、理解はいたしました。ですので、これ以上の追求はやめておくことにしましょうか。貴男たちには今晩も含めて、セラムスまでの道中の安全の確保をぜひともお願いしておきます。くれぐれも、私の手を煩わせることがないように。さもなければ、敵ごと貴男たちを滅ぼしてしまうかもしれませんから、ね」

(【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】だけに、ってこと……? いやいや、ベファーナ、なんでそんな余計な挑発なんてしちゃうわけ? ほんとうに、あなたって、他人を怒らせる天才だよね……っ!?)

 こんな状況でも相手を煽る発言を欠かさないベファーナに、心の中で文句ツッコミが止まらない。止まってくれない。

 時と場合をまったく考慮する気もない相手の態度に、ユディスもさすがに呆気にとられてしまったようだった。一瞬の気まずい沈黙の後、それでも苛立ちかんじょうを爆発させるようなことはなく、

「そう……ですね。魔女殿の手を煩わせることのないよう、もちろんアデリア様に傷ひとつでもつけられることのないように、我ら一同全力で務めさせていただくとしましょう」

 最低限の礼節を保ったままなんとか答えを返す灰色の騎士(偽)。

 お見事と誉め称えたい英雄的行為ではあったけれど、それでもさすがに動揺を隠しきれるわけもなかったらしく。その引きつりきった顔は魔法の光に照らし出されて、まるごとすべてを露わにされてしまったようだった。


 ――それからセラムスに着くまでの六日の間に、襲撃があったのは結局一度だけだった。やはり夜襲で同じように本気な感じもあまり見られなかったので、こちらも同じように適当に追い払うだけで済んでしまった。

 そんな風に、余計な大過もないままわたしたちは旅を続け、セラムスに無事辿り着いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る