影姫/【救世主】/【滅びの魔女】②

 ぴくりと、銀色の眉が吊り上がったのを視界の隅に捉えたまま、さらに言葉を続けていく。

「だって、考えてもみてくださいよ。わたしのことをほとんど脅迫みたいな形で強引に旅に連れて行ったかと思うと、従者だからと勝手に【下僕サーバント】呼ばわりするんですよ。おまけに仕事で少しでもヘマをしたら、容赦ない説教ときついおしおきが待っているんですから。エストくんには溺愛してるとしか言えないくらいにだだ甘なのに、わたしに対してはエスリアみたいに激辛に扱っておいて怖くないのか、なんてよく言えますよね。そんな人、怖いに決まってるじゃないですか」

 子供や老人が迂闊に生で食べたら刺激で死にかねないくらいの、激辛の代名詞にさえなっている香辛料トウガラシの名前を出して喩えられたのは、我ながらうまく喩えられたと自画自賛したいくらいだ。実際、隣で聞いていたエストが慌てて口を押さえたのだから、それは間違いないだろう。

「だから、シア――ベファーナが【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】だとわかったからって、それでさらに怖くなるということはありませんね。というか、もう今更かなって」

 わたしがそう言い切った瞬間、耐えきれなくなったのか吹きだしてしまう【救世主メサイア】様。一方、【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】様は氷の無表情はどうにか保てているものの、それでもわたしの態度に戸惑いを隠しきれないのか眉根をかなり寄せてくる。

「それを本気で言っているとしたら、貴女は【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】を侮っているとしか思えませんね。同種であるエルフを滅ぼしてしまいながら、今も平然とこうして生きている忌まわしき三大魔女の一角を。それとも――真逆私の手では本当に滅ぼせたわけがないと、高をくくってでもいるのですか?」

「いえ、信じてはいますよ。きっと――いえ、間違いなく滅ぼしてしまったんだろうな、と」

 少なくとも、これまでの彼女の並外れた魔法の力を見ていたら、それも充分に可能だと思わせられる(実際、どんなやり方で滅ぼしてしまったのかはまるで見当もつかないけれど)。ただ、だからと言って彼女を怖いと――傍にいたくないと考えるくらいに恐ろしいと感じるかと言えば、必ずしもそうはならないだけのこと。……たとえば、わたしのように。

「だとしたら、どうして他の者たちのように私を本気で怖がろうとしないのか、まったく理解できませんね。王女の正体が明らかになったからと、無理な強がりをしているとしか思えません」

「いえいえ、強がってなんかいませんよ」

 そう、確かに偽りだらけのわたしだけど、この気持ちはけして偽りなんかじゃない。なぜなら――

「だって、これまでの振る舞いを見ていたら、自分の欲を満たすために同じ種族を滅ぼしたりするような悪い人――エルフにはとても見えませんから。だから、ベファーナが本当にエルフを滅ぼしたんだとしても、それはやむにやまれぬ事情があったからそうなってしまったんだと。わたしはそう思ってるんですけど、違いますか?」

「……本当に、貴女は愚かですね。あまりに愚かすぎて、言い返す気力もなくなりました。ですから、貴女がそう思いたいならそう思っているのでいいでしょう。真実は私だけが知っていればいいものですから、関係ない者は好きなように受け取りなさい」

 相変わらず目を閉じたまま、放り投げるように言い捨てるベファーナ。けれど、その口元が少しだけ緩んでるように見えるのは、やっぱりわたしの目がおかしいのか。思わずごしごしと目を擦ったところで、一応確かめておいた方がいいことがあったのを思い出した。なので、ついでに訊いておく。

「あ、一応念のためですけど。とある小国を一日で滅ぼしたとか、魔法の儀式のために村人全員を生贄にしたとか、そんなありえない噂を聞いてしまったんですけど。そんなこと、絶対してませんよね?」

「……【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】という存在は、多くの者たちにとっては生け贄の羊スケープゴートのようなもの。己の隠したい罪を押しつけるのに実に都合のいい存在、だということなのでしょう。答えはこれで充分でございますか、王女殿下?」

(最後のは、どう考えてもわたしへの嫌味……だよね?)

 余計な一言がくっついていたけれど、聞きたかった答えは聞けたので満足できたとは言える。ただ、なんだろうか、この妙な気分は。

「あー、それ、なんですけど。わたしの呼び方って今後は王女やらその辺りで通すつもりですか、もしかして? いえ、別にそれで問題はないんです。ないんですけど、その、お二人にそう呼ばれるのを考えると、なぜだかこう背筋がぞわぞわってしてくるんですよね」

「どうやら貴女は他人に対してだけでなく、自分に対してもこだわりが強すぎるようですね。呼び方くらい相手が呼びたいように呼ばせればいいでしょう。どう呼ばれようが、それで己の本質が変わるわけでもないでしょうに」

「うーん、僕はどっちの気持ちもわかるかな。確かに自分がちゃんとある人なら他人からどう呼ばれようと本質は変わることはなく、そのままでいられるだろうけど。自分を持てていない人だと、どう呼ばれるか次第で本質も変わってきそうだからね。だから僕らに王女様とか呼ばれたくないなら、これまでの呼び方で呼んでもいいんじゃないかな」

 ただし、と話に割って入ってきたエストが茶目っ気たっぷりに付け加えると、

「色々とややこしいことになりそうだから、ユディスだったっけ。彼の前ではちゃんと王女様扱いすることになるけど、それで構わないよねお嬢さんレディ?」

 わたしに向けて片目をつぶりウインクしながら、軽い調子で言ってくるのに頷き返す。

「ああでも、僕としては正直二人が羨ましいかな。僕なんて一つしか名前を持ってないのに、二人とも名前を複数持ってるんだから。相手や場合に応じて使い分けできるって考えたら、なんだか潜入活動中の密偵みたいで格好よくて、ちょっと憧れちゃうよね?」

「――【我が主マスター】。密偵に憧れちゃうだとか、巫山戯たことを言うのもいい加減にしてください。どうか戯れもほどほどに、もう少し【救世主メサイア】としての自覚を持っていただけるようお願いします」

 エストのとぼけた発言を見かねて、ベファーナが困り果てたように苦言を漏らす。彼女が言うように、【救世主メサイア】としては不適切な発言なのは間違いないところだろう。けれど、ベファーナの求める堅さよりもエストの語る柔らかさの方に惹かれてしまうわたしとしては、ここは彼の方に味方をするの一択しかありえなかった。

「うんうん、わかります。複数の名前を見事に使い分けることで、敵を翻弄して難度の高い任務を鮮やかに果たしていく密偵、ほんと格好いいですよね。わたしだってちょっとは憧れちゃいますから。――どうです、エストくんも新しい名前考えてみますか?」

「いい考えだね、お嬢さんレディ。じゃあ、折角だからさっそくやってみようか。どんな感じがいいかな?」

「そうですね。わたしとしては――……」

 わいわいとはしゃぎながらエストの別名を考え始めるわたしたちに、ベッドの上のベファーナが頭を指で押さえながら困り果てたように「……これ以上は、どうか部屋の外でお願いします」と呟く。それを受けて、ふたり分の笑い声が部屋中に響き渡った。


 ――この旅のどこかでわたしの正体を明かすことになるのは、はじめから覚悟していたこと。なのに旅の日々を重ねていくに連れて、その日が来ることを恐れる気持ちが強くなっていってしまったのは、この三人でいることがいつの間にかあたりまえに――心地よくなってしまっていたから、なのかもしれなくて。

 だからとうとうその日が訪れることになり、三人の在り方が変わってしまうことも覚悟しあきらめてしまっていたけれど。エストもシア――じゃなくてベファーナも、変わることもないままに在ってくれたことが、わたしにはとてもありがたいことだった。もしもひとりだったら、そのまま涙ぐんでいたかもしれないほどに。

 もちろん、わたしがそう思ってしまったことなんて、他の二人(特にベファーナ)には絶対に内緒ではあるけれど――

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