【救世主】の簡易診断

「いらっしゃ、って、お客さんどうしたんです――」

 重いドアを押し開けて倒れ込むように屋内に入ると、宿の店主の慌てたような上擦った声が耳に飛び込んでくる。わたしはそれを聞かなかったことにして、素早く周囲に視線を巡らせた。

 ――エストの姿はない。なら、いるのは客室へやの方だろうか、と。

 一瞬でそれだけ思考を巡らせると、すぐに階段へ向かい一気にのぼりつける。そのままの勢いで客室のドアを思いきり開けると、部屋の中で退屈そうにベッドでゴロゴロしていたエストがガバッと跳ね起きた。

「ああ、お帰り。そんなに慌ててどうし――って、ベファーナ!? いったい、なにがあったんだい、リア!?」

「わかりません! ただ、広場で休んでたら、突然倒れてしまったんです。それで、ぜんぜん意識が戻ってくれないから、そのままにして置くわけにもいかないのでここまで背負って戻ってきたんですけど。……だいじょうぶ、ですよね?」

 見知った顔を見られたからだろうか、経緯を説明しながら――脱力のあまり――そのまま座り込んでしまいそうになる。

 わたしの拙い説明でも事態の重大さを理解してくれたのか、エストはわたしの背中からぐったりしたままのシアの身体を引き離すと、そのままベッドの上に横たわらせてくれた。

「ベ……【師匠マスター】はこの様子だけど、キミの方はなにも変わりはないのかな? どこかおかしなところとか、気分が悪いとかはあったりする?」

「いえ――ううん、わたしは大丈夫。特になにも変わったことは――あ、そういえば、広場で休んでるときにいきなり耳鳴りがしたかな。それは一瞬だけだったんだけど、そうしたらいきなりシアが倒れてきたの。……これって、なにか関係があるのかな?」

 わたしの言葉ぎもんにその端正な顔をかすかに歪めたエストが、無言のままシアの身体に手を伸ばして手袋越しにあちこち触れて回っている。まるでお医者様が患者の身体を診ている時のように。

 それから顔を上げて、こちらにその綺麗な碧の瞳を向けてくると、

「僕自身は魔法を使えないから確実、とは言いきれないけど。【師匠マスター】がこうなっているのは、おそらく体内の魔素マナが足りなくなってるからだろうね」

 確実ではないと言いながら、それでも確信を持っているようにはっきりと言い切ってきた。

魔素マナ、が……?」

「そう、どうやってかは不明だけど――たぶん魔素マナを一時的に消失させるような魔法を誰かが使ったのかな。その影響で意識を失ってしまったんだと思う。キミが耳鳴りになったのも、たぶんそのせいだね。シアは強力な魔女だから意識まで失ったけど、キミは元々魔素マナをほとんど持っていないから、耳鳴りだけですんだってことじゃないかな」

 エストのその専門的な説明は、少し前にキーシャから魔法についての手ほどきを受けていたおかげで、なんとかわたしも理解はできた。

 そのことにかの偏屈老婆へ――心の中で――感謝の念をこっそり送ったところで、彼のまっすぐな視線が自分を、なおもじっと見据えていることに気づく。頭の方にそれが向けられていることから、広場での栗から赤に戻った髪色の記憶を甦らせたわたしは、エストの言葉の意味の裏になんとか思い至った。

 わたしの髪に掛けられた幻惑の魔法が消えたのも、つまりはシアの意識を奪った魔素マナ消失の魔法によるもので。今のわたしは彼の前に、王女アデルと同じ姿を晒しているのだということに。

「――っ」

 そこまで考えたところで、反射的にうつむいて息を呑み、指摘がくるのを身構えてしまう。

 ……けれど、いくら待ち構えていても、わたしの髪への言及はやってこない。どうしたのかと思い顔を上げると、エストはとっくにこちらからは視線を外していて、ただベッドに横たわるシアを心配そうに見つめている。

 その真摯な姿を見て、わたしは恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。

(ああもう、いやになるなぁ。今一番大事なのはシアのことなのに、自分のことばっかり考えているなんて。ホント、ダメなんだから、わたしは……)

 ちゃんと反省するために、自分で自分の頬を思いきりはたいて、己に活を入れ直す。

 驚いた顔を見せこちらに視線を戻すエストに、横たわるシアを見つめながら問いかける。

「それで、シアを元に戻すにはどうすればいいの? こうなった原因はわかったけど、それでよくなるわけもないんだから、なにか対処はしないといけないはずだよね? 今の状態に効果がある薬とか、エストくんに心当たりはないの?」

「……そうだね。体内から魔素マナが抜けているのが問題なんだから、なんらかの手段で補充できれば回復はすぐにできると思うよ」

「!? そんな手段があるの――っ!? だったらそれを使えば、」

 勢い余って身を乗り出しかけたわたしを広げた白い――手袋をつけた――手で止め、苦笑を滲ませながら言葉を続けるエスト。

「残念だけど、少なくとも今の手持ちでそれができそうな心当たりは一切なくてね。だから、現状どうにかできる手段はないんだよ」

「そんな――っ」

 その無慈悲な答えに絶句したわたしは、それでも一縷の希望を掴むために記憶あたまを巡らせる。

「そう、だ。今日シアに連れられて行ったキーシャさんの魔法屋なら、どうかな? あそこならなにか良さそうな薬なり、道具なりがあるかも――」

お嬢さんレディ、落ち着いて聞いてくれるかな?」

 不安に追い立てられるようにまくし立てるわたしに対し、エストは正反対にゆったりとした口調で語りかけてくると、

「確かにあのお婆さんの店に行けば、もしかしたら有効な手段が見つかるかもしれないね。だけど、忘れちゃいけないことがひとつ。【師匠マスター】をこんな風にした魔法使いは、正体も目的も居場所もぜんぜんわかっていないわけだよね。だとしたら、キミがここを出て店に向かうまでに襲われる可能性もあるんだけど、ちゃんと対処できる自信はあるのかい?」

「それは……あるわけない、けど。でも、」

「そうだよね、戦う力のないキミには無理だし、僕だってそんな自信はない。この状況で無事に戻れる保証なんて、どこにも存在しないんだ。だったら、ここは無理に危険を冒す場面じゃないよね。少なくとも【救世主メサイア】としては、従者にそんな無茶はさせられない」

 噛んで含めるように築き上げられる正論の砦に、わたしは立ち向かうこともできなくなる。

 だって、他ならぬエストにそこまで言われてしまったら、わたしなんかがなにを言ってもただのわがままになってしまうから。

「――それに、そもそも言ってしまえばただ魔素マナが足りなくなってるだけで、毒を盛られたり病気になってるわけじゃないからね。時間が経てば自然に回復するはずだよ。まぁ、こうなったのもはじめてのことだから、いつまでかかるかまでは正直わからないんだけど……それでも一晩もかからないだろうから、今できることはとりあえず患者を安静にして、僕たちはそれを見守ることくらいだね」

 不安を溶かせそうなくらい穏やかな声音で言い聞かせながら、【救世主メサイア】がわたしの手を優しく握りしめてくる。

「だから今は僕らまでおかしくならないよう変に不安がらず、落ち着いてシアの回復を待つのがいいんじゃないかな。――ああ、喋りすぎたから喉が渇いちゃったね。お嬢さんレディ、悪いけどお茶を用意してもらえるかな? もちろん、二人分で」

 柔らかく陽だまりを思わせるような微笑みに、わたしも強張った笑みでなんとか応えると、御主人様の要望に従って従者のお仕事をこなすお茶を淹れるために動き始めるのだった。

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