魔女の攪乱

 休憩用に、だろうか。広場に置かれていた長椅子に座り込んでふと顔を上げると、分厚い黒雲に半ば以上を覆われた曇り空が見えた。

 まだしばらくは大丈夫な印象だけど、日が沈む頃には一雨来そうな雰囲気だ。それまでには宿屋に帰らないといけないな、と。そんなことをぼんやり思いながら、手に持ったきじの串焼きを口に運ぶ。

「――でも、お代を出してもらって本当によかったんですか? もちろん、わたしはありがたいですけど」

 あれから魔法屋を適当なところで退散したわたしたちは、市場で消耗品の補充を終えると昼食もかねて屋台の商品を適当に買い漁り、広場で休憩がてら食べていたのだけど。なんの気まぐれか、その代金をシアが出してくれたことにわたしは驚くしかなかった。

「【下僕サーバント】への手間賃と考えれば、充分でしょう? その程度の甲斐性くらいはあるつもりです。……貴女が例の女給に支払った代価の穴埋めと受け取ったとしても、別に構いはしませんが」

「え、あー、はい。……どうも、ありがとうございます」

 最後の方は小声になったからあまり聞き取れなかったけれど、それでもそのことばに優しさが込められていたことは感じ取れた。その事実に浮き足立ってしまったわたしは、そのまま余計なことまで口にしてしまう。

「そういえば、キーシャさんでしたっけ? けっこう仲が良さそうで、ちょっと驚きました。シアにも友人がいたんですね」

「……アレは友人ではなくただの知人です。本来ありえない誤解をしてしまうとは、どうやら再教育が必要なようですね。【下僕サーバント】、まずは屋台の代金を支払って頂きましょうか」

「藪蛇――ッ!」

 切れ味抜群の切り返しに、わたしは一声叫んでから残りの串焼きをまるごとむりやり口に放り込んだ。これで証拠はすべて消えました、わたしはなにも知りませんと言い張るために。……その代償として口の中を火傷してしまうけれど、これでも安いものだろう。

 そんなわたしの醜態をヴェール越しに見届けたシアの視線に、哀れなものを見るさげすみが含まれている気がしたのは、それこそ気のせいだと思いたいところだった。

 などと、そんな風に喜劇コメディめいたやりとりを――無自覚に――繰り広げていたところに。

 キィィ――――ンンン

 不意に強い耳鳴りがして、わたしはたまらず頭ごと耳を押さえる。

 幸い一瞬だけですぐに聞こえなくなってくれたけれど、いったいなんだったのか。文句をひとりごちして大きく頭を振り気分を切り替えながら、天気のせいだろうかとか悪い病気の前兆とかじゃないといいなとか、そう呑気に考えていたら――

「ん? え、ちょ、ちょっと? わっ、わわわっっ」

 いきなり隣のエルフがわたしの肩にもたれかかってくる。恋人同士がよくやるような甘えるものではもちろんなく、まるで力尽きたみたいな無防備な倒れ方で。

 慌てて串を放り投げて、彼女の体をなんとか支える。それでもなんの反応もないのは、意識を失っているからか。急に怖くなって取り急ぎ呼吸を確かめると、そちらに問題はないようだった。

(とりあえず、生きてはいるみたいでよかった……。けど、いきなりなにがあったの? 屋台のものに毒が……なら、わたしも倒れてないとおかしいはずだし。いったいなにが――?)

 突然降って湧いたような事態に、混乱しながらもわたしは原因を探るために頭を必死に回転させる。

 と、そこで周囲の雰囲気がどこかおかしなことに気がついた。いや、いきなり他人が倒れたら周囲も騒然とするのはあたりまえなのだけど、この場合はそれとはまた違うような……?

 気になって周りを見回すと、わたしたちの周囲の人の半分以上がこっちを見ている。それもどうしてかはわからないけれど、シアよりもわたしの方を――まじまじと――見ているようだった。

(ヴェールを被ったままってことはシアがエルフなのはバレてないから、そこまで注目されなくても不思議はないけど。だからって、どうしてわたしの方をみんな見てるの? それもすごく驚いているような――って、まさか!?)

 突然、予感めいた閃きが来てわたしはシアを支える手を片方だけに変えると、思い切って自分の髪を数本引き抜いてみる。そのまま目の前に持ってきたそれは、どう見ても栗色ではなく赤色だった。

「~~~~~~っっっ!!!」

 なぜそうなったのかは、シアが意識を失った理由と同じで見当もつかないけれど。村の魔法使いが掛けてくれた髪の色を変える魔法が消えてしまっているのは、どうやら間違いない。そうすると、かつてこの町を支配していた王国の――死んだはずの――王女様が成長した姿で突然目の前に現れたのだから、みんなが驚いて注目してくるのも当然のことだろう。

 だったら、今は、この事態が起きた原因を考えるよりも、まずはここから離れるのが先決だった――

「ああもうっ、これは貸しにしますから、ちゃんと返してくださいよね――っ!」

 大声で吠えるように叫んでから、脱力したシアの体を背中に背負う。思ったよりも軽いことに驚きながら、長椅子となりに置かれたままの買い出し品と背負った身体を支える両手を見比べ、逡巡の末に一緒に持ち運ぶのは諦めて放置したまま急いでその場を離れることにした。

 肌を突き刺すような好奇の視線、勝手に耳に入ってくる余計な囁き声、ごったがえす人波の中を強引にむりやりすり抜けていく。早く、早くこの場から離れないとの思いが強すぎるのか、ありがたいはずの背中の軽さにまで苛立ちが増してしまう。

 普段の気の強さ、高圧的な言動からは想像もできない無力で痛々しい姿につのる不安に加えて、その軽さからあの遠い日に知らされた両親の身体したいの軽さまで思い出されたせいで。

「はぁ、はぁ、はぁ……。あと、すこし……っ」

 それでも、やはりひとを一人背負って歩く負担は想像以上だったのか、宿まで辿り着かないうちに息が切れ始める。背中や首筋から流れ落ちる汗が身体を濡らし、視界も曇らされる。肩や背中にのし掛かってくる重みも次第に増して、進む足取りまで重くなって――それでも必死の思いで足を動かし、ようやく宿屋まで辿り着いた頃にはわたしの足は棒のようになってしまっていた。

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