幕間

幕間②

 目の前にそびえ立つ、自分の背よりもはるかに高くて見たこともないくらいに豪華な扉の前に立っていたわたしは、何度も唾を飲み込みながら声が掛かるのをじっと待っていた。

 そうしてわたしにとってはすごく長い時間――実際にはたぶんそれほどでもない時間が過ぎてようやく、

「お待たせしました、どうぞ中にお入りください。王女殿下がお待ちです。――よく我慢できたね。入り口の段差で転ばないよう、気をつけてね」

 扉の脇で控えていた騎士様がそう告げて、扉を開いてくれた。

 優しい声を掛けてくれた彼にぺこりと頭を下げ、わたしは部屋の中に足を踏み入れる。王女様のお部屋は想像通り、いや想像以上に豪華で綺麗でなによりも素敵だった。部屋を飾り立てている装飾がすっきりしていて、なにもごてごてしていないのがとてもよかった。

 この部屋の主の今までの愛されぶり、幸せぶりがあからさまに見て取れるようで、わたしの密かな決意をさらに強めてくれたから。

 さて、こんな素敵な部屋に住んでいる王女様、わたしとは違ってとても幸せなお子様だろう彼女はどんな子なんだろうと、そんなことを考えながら彼女の姿を探して窓際に近いベッドに視線を向けたわたしは――ただ絶句するしかなかった。

「……はじめまして。私が、スティリア王国第一王女の、アデリア=ヴィルフォルドよ。こちらから呼んだのに、ベッドに寝たままで、ごめんなさいね」

 大きなベッドの上で上半身を起こしてこちらに笑顔を見せる少女は、わたしが勝手に想像していた幸せに満ちあふれた姿とは全然違って、とても弱々しく儚いものに見えた。

 胸元まで垂らされた赤い髪、それよりやや色の濃い赤褐色の瞳、血の気の薄い赤の唇とは対照的に色白の肌に包まれた顔は――綺麗って言うとなんだか自慢みたいに聞こえそうだから可愛いにしておくけれど。なるほど確かに、はじめて見る同い年むっつの王女様は、わたしを見つけたあの兵士が言っていたようにわたしそっくりだった。

 けれど、その顔は王女様とは思えないほどに痩せているように見えた。部屋と同じように派手ではないけれど、王族にふさわしく上等な仕立ての夜着に包まれた肩も、手首まですっぽりと覆っている長袖に隠された腕もみんな、驚くほどに細く。

 恵まれた王女様のはずなのに、ただの農民の娘だったわたしと同じように。

「私がこんなに、体が弱くなければ、ちゃんと立って挨拶、できたのだけど。……なんて、私の体が弱くなかったら、そもそも貴女に、影姫をやらせようなんて話は、出なかったから、意味はないんだけど、ね……」

 そんなわたしの生き写しみたいな少女が、時折咳き込みながら少し申し訳なさそうに笑っている。王女様との対面と聞いた時にはまったく想像できなかった薄幸そうなその姿に、わたしはなにも言えずただ立ち尽くしていた。

 本当なら、憎めたはずだったのに。自分とはまったく違う、幸福と愛情に満ちあふれた華やかな在り方に今のわたしとの絶望的な違いを思いしらされ、同じすがたを持っているはずなのにどうしてこうも境遇に差があるのかと、彼女を恨めたはずだったのに。

 いま目の前にいる王女様は、わたしと同じだと思ってしまった。顔や姿形だけじゃなくて不幸な境遇もなにもかも同じなのだと、そう考えてしまった。そうなってしまったら、もうそれでおしまいだった。

 その時にはもう、わたしは懐に抱えてきた決意さついを隠したまま、彼女の側にいることを選んでしまったのだ。

「あなたのこと、はじめて聞かされたときは、正直信じられなかったけど、本当に私と、そっくりなのね。驚いたわ。よかったら、お名前聞かせてもらえる?」

 王女のお願いに素直に名前を教えると、彼女は可憐な花のような笑みを浮かべて見せた。

「そう、いい名前ね。でも、ごめんなさい。私の影姫になるからには、その名前は使ってはいけないの。ほら、お城の外の人には、ばれちゃいけないものね」

「ああ……そうなんだ。なん、ですね?」

 慣れない敬語をたどたどしく使いながら、わたしは王女様の言葉に素直に納得していた。確かに王女様が別の名前を使うのはおかしいよね、と。

 だとしたら今の名前を捨てることになるけど、もう呼んでくれる人もいなくなったから、それで別に構わないのかな? なんだか少し寂しい気もするけど、それでいい気もした。

 そんな風に思っていたから、だから――

「でも、ふたりともアデリアだと、わかりづらいわよね。だからそうね、私たちふたりだけのときとか、大丈夫そうなときには、私のことはアデルで、貴女のことはリアと、そう呼び合うってことで、いいかしら?」

「……うん、わかった。わかりました、ええと、アデル」

 アデルにそう提案されたときは、なんだかとても嬉しかった。新しい名前を、わたしだけの名前をもらえた気がして。そこからわたしの新しい人生が始まるのだと、そう希望が持てた気がして――


 事実、そこからわたしの新しい人生は始められた。もしかしたらそれは、わたしの短い人生の中でも一番幸せな六年間だったのかもしれない。

 たった六年しか保たなかったのだとしても――

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