二章 亡国の影姫

わたしたちの目指す(べき)場所

 目覚めると、なぜか頬が少し濡れていた。

 夜中に一騒ぎがあったせいで少し寝不足な気はするものの、それが原因ではない気もする。さっぱり覚えていないのだけど、なにか哀しい夢でも見たのだろうか?

「おはよう、お嬢さんレディ。なんだかぼんやりしてるけど、もしかしてあまり眠れなかったりとか?」

「おはよう、ございます。そうですね、少し寝つけなかったので、それが後を引いてしまってるかもですね。あ、でも、御者するのに支障はないですから。心配しなくても大丈夫ですよ」

 そんなわたしとはまったく逆にぐっすり眠れた(確定)エストの爽やかな挨拶に、わたしもあくびを我慢しながら――昨日の一件のことはおくびにも出さず――普通に返してみた。

 本当なら一人だけぐっすり寝ていたことに文句を言いたいところだけど、なんとか事を荒立てることなく解決できたことを考えると、わざわざ言う必要もないだろうと黙っておくことにする(彼に詳細を明かした後の誰かさんの反応が怖かったせいもある……かも?)。

 その誰かさんシアもとっくに起きていたらしく、一人着替える必要もないこともあってか、どうやら荷物の確認をしていたようだった。

 その姿を見て、わたしも出発の準備をするべくまずは夜着からいつもの旅衣装に着替える。同年代の男性がいるところで着替えをすることに、はじめはいくらか抵抗はあったのだけど。もう一週間も一緒に旅をしているのだからいい加減慣れたもので、今では平然と着替えられるようになっていた。これは果たして成長なのか、それとも退化なのかはわからないけれど。

「荷物もみんな大丈夫? 忘れ物もないよね? じゃ、そろそろ下に行こうか」

 エストの号令に従う形で、それぞれ自分の荷物を持って食堂に向かう。

 食堂で朝食を取ってから出発という流れなわけだけど、件の女給によるお礼サービスなのか朝から山盛りの食事を出されて、宿を出る前からお腹いっぱいで苦しむという状況になってしまったのは、もう笑ってごまかすことしかできなかった(あ、味は問題なく、美味しかったです)。

「苦しそうだけど、本当に大丈夫? 少しくらいなら、残してもよかったのに」

「だい、じょうぶ、です。出された食事は、全部食べて、当然ですから。お残しなんて、許され、ませんから」

 心配して声を掛けてくれるエストに、湧き出てくるげっぷをなんとかやり過ごしながら答えを返す。そこに宿代を支払っていたシアが戻ってくるけれど、わたしの窮状を華麗に無視してくれるのはいつものことだったから、もう気にすることもなかった。

 そのまま重いお腹を抱えて宿屋を出て、隣の厩舎で預けていた馬車を回収する。

「こちらの寝心地はどうでしたか、スライブ。……そうですか、それはよかったですね」

 ロープから解放された馬の頭を優しく撫でながら、なにやら語りかけているシア。

(なにか、馬と会話が成立しているみたいだけど。まさか、そんなことはないよね……? あ、でも、もしかしてエルフならできたりするのかな?)

 ありえないというわたしの中の常識と、もしかしたらという淡い予感きたいが変に混ざり合って、よくわからなくなる。そんなことになってしまうのは、これまでにシアのなんでもありすぎる魔法を何度も見せつけられてきたからだろうか。

「――なにをぼんやりしているのです、【下僕サーバント】。馬車の準備にも手をつけず他人に任せきりとは、さぞかし偉くなったものですね。そんなにも腹が苦しくてなにもできないのでしたら、腹ごなしのために貴女だけ馬車の隣で走ってもらってもいいのですよ?」

「ひぃっ、それは勘弁してください、お願いします。ごめんなさい、わかりました、後の作業はわたしがみんなやります。やらせてください」

 そんなわたしの態度を見咎めて、またもシアが容赦の一切ない発言をしてくる。瞬時に【下僕サーバント】として平伏してから、わたしは口に馬銜はみを噛ませた馬と馬車を繋いで準備を整えると、自分の荷物を荷台に放り込んだ。

 一見これで出発の準備は整ったように見えるけれど、まだ足りないものがある。だからわたしは作業の終了といつでも出発できることを告げるついでに、ずっとはぐらかされ続けていた例の質問を最後にもう一度してみた。

「それで――とりあえずじゃない、本当の目的地はどこなんですか? ここを出るときには教えてくれる約束でしたよね?」

「そう言えば、そんな約束をしていましたか。いいでしょう、約束ですからね。教えてあげましょう。私たちがこれから向かうのは――」

「スティリア王国の元王都セラムスだよ。もっとも、実際に用があるのは王城の方なんだけど。エルドール帝国に攻め落とされた後はずっと放置されていて、今では誰も寄りつかない廃城になっているらしいから、一応目指すのはセラムスってことになるわけ」

 従者の出番を奪うように、【救世主メサイア】が目的地の名前を告げる。その名前を耳にして、わたしはすべての欠片パーツが揃ったような気分になった。

(ああ、やっぱりか。そう来るに決まってるよね……わたしを選んだんだから)

 二人の言動に辻褄を合わせるなら、どう考えてもそうなるに決まっている。スティリア王国第一王女アデリア=ヴィルフォルド。かつての王城でなにをさせるつもりかまではわからないけれど、【救世主メサイア】様が彼女を必要だと考えたことだけは間違いない。

 だから後の問題は――本物の王女はとっくに死んでしまっていて、ここにいるのはなにもできなかった役立たずの影姫でしかないということだった。

(それがわかっちゃったら……二人ともがっかりするよね。ああ、やだなぁ。見たくないなぁ、二人のがっかりする顔)

 そうなってしまうことはもうわかりきっているけれど。それでも少しでもその瞬間が来てしまうのを遅らせるために、わたしは自分の正体が二人にバレないようにとこっそり神に祈りを捧げることにする。

 ――たとえそれが儚い祈りになるのだとしても。

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