【滅びの魔女】の噂

 いわゆるおさんどん役として抜擢スカウト? されたわたしとしては、自分以外の誰かが作る料理というのは実に貴重なものと言っていい。

 だから、こうして宿屋に泊まって出された料理を食べるだけなのは、まさに天国そのものだった。

「ん……はふ、はふ……ゴクンっ。思ったより美味しいですね、これ。香草の匂いづけがうまく利いてるのかな? 参考になりますね」

 焼きたてでほかほかだったために、頬張った瞬間に口の中を思いきり火傷しながらも、わたしは上機嫌でにしんの香草焼きに舌鼓を打つ。山村に住んでいたわたしにとって、魚料理はとても貴重なものだ。それもこんな極上のものを味わえるのは、救世の旅に同行することになった甲斐もあったと言える――かもしれない。

「うん、そうだね。キミの料理とは違った方向性だけど、こういうのも悪くないかな。このやり方を活かした腕の向上、期待させてもらうよ」

「……そうですか? 私は【下僕サーバント】の方が出来がいいと思いますが」

 対照的な二人の対応だけど、両方ともわたしの料理については評価してくれているので、気分はとても悪くなかった。

 ふんふん♪ と鼻歌でも歌いたくなるくらいにご機嫌で手と口を動かし、勢いでおかわりまで頼んでしまった結果――

「……わたしは満足です。もう、ここから動きたくありません。というか、ちょっと、動けません……」

 限界を超えて食べ過ぎてしまったわたしは、食卓の上にだらしなく突っ伏す無様な姿を晒すことになった。

 嗚呼……お腹が重すぎて、動く気力が湧いてこない。途中でおかわりを後悔してしまったけれど、料理を残すのは禁則事項だから頑張った結果なので満足は……しているようなしていないような。

「大丈夫かい? 我慢できないほど苦しいなら、一度吐いてみるのもいいかもね」

「【我が主マスター】、彼女の自業自得ですからあまり気遣う必要はないかと。【下僕サーバント】、私たちはもう部屋に戻りますから、貴女も落ち着き次第可及的速やかに部屋に戻るように」

「あ、ちょ、待ってください――」

 そんな旅の仲間わたしの惨状に、背中を優しく擦ってくれるエストと、冷たく言い捨てるだけでそのまま離れようとするシア。正直お腹は辛いけれど、このまま見捨てら置いていかれるのはもっと辛いので、なんとか体を起こして二人に追いすがろうとしたわたしだけど――

 ガタガタガタッッ

 建物が軋む音とともに、不意に足下に揺れを感じる。揺れはすぐに収まる様子もなく、それどころか一気に激しくなって、とうとうまともに立つことも難しくなるくらいに大きなものになっていった。

「きゃあぁぁ――っっ!?」「うわっ、ちょっ」「~~~~~っっっ!!!」

 いろいろな悲鳴やテーブルから落ちた皿が割れる音が次々に耳へ飛び込んでくる中、わたしも立っていられなくなってしまい、慌てて目の前のものを掴んで体のバランスを保とうとしてしまう。それがなんなのか、意識することもできずに。

「…………あ、」

 と思ったときにはもう遅い。気づけば、わたしの手が掴んだ黒いローブを被った頭からそのまま引きずり下ろし、一枚の布きれで隠されていたシアの素顔を衆目に晒してしまっていた。あまりにも呆気なく。

 長く流麗な銀の髪も。宝石を思わせる翠の瞳も。なによりも人ではありえない長すぎる耳も。

(あ、あわわわわわ。や、やってしまった? ど、どうしよう、どうすれば……)

 突然の大きな地震とそれに伴う大失態とでパニックになってしまい、地震が止まっても固まったままのわたしとは対照的に、被害者のシア本人は慌てず騒がずローブを元通り被り直すと、

「……失態ですね、【下僕サーバント】。私たちは速やかに部屋に戻りますが、貴女は罰として割れた皿の片付けをして、できるだけ時間を掛けてから部屋に戻りなさい。いいですね、これは提案ではなく命令です。――では行きましょうか、【我が主マスター】」

「そうだね、【師匠マスター】。……ごめんね、お嬢さんレディ。頭が冷えるまで、少し時間を潰してくれるかな?」

「…………はい、わかりました」

 そのままエストを引き連れるように食堂を出ると、少ししてから二階へ上っていく音が聞こえた。

「――っ、大丈夫ですか? わたしもお手伝いしますね」

 食堂のあちこちにテーブルから落ちた皿の破片が散乱して、いろいろとぐちゃぐちゃになってしまっている。シアからの命令もあったけれど、その惨状を見かねたわたしは床に這いつくばって皿の破片を集めている女給の隣に座り込んで、そう声を掛けてみる。

「あぁ、申し訳ございません。お客様の手を煩わせてしまいまして」

「いえいえ、こういうときはお互い様ですから。それより結構大きい地震でしたけど、この辺りは多いんですか?」

「そんなに多くはなかったはずなんですけどね。最近はわりと数が多くて、この前ももっと大きいのが来て、数名程度ですけど死人まで出ちゃいましたから。ほんと、最近はおかしなことばかり起きて、困ってばかりですよ……って、すいませんね。お客さんに愚痴っちゃいまして」

 慣れていないのか、少し危なっかしい手つきで掃除をしている彼女が漏らす愚痴に頷き返し、わたしも怪我をしないよう気をつけながら手際よくゴミ(となってしまったモノたち)を拾い集めていく。

 と――

「……すみません、お客様。ひとつ、お尋ねしてもいいですか?」

「はい? なんでしょうか?」

 周囲をなにやら窺う様子を見せると、女給が声を潜めてなにやら話しかけてきた。

「あのお連れのお客様、黒いローブ姿の方のお名前はなんとおっしゃいますか?」

「? オルテンシア、ですけど……それがなにか?」

 本当の名前かどうかは知らないけれど、そう名乗ったのは間違いないからそのまま答えると、

「それって、間違いなく本名ですか? 本当はベファーナって言いませんか?」

 なにやらよくわからないことを言われてしまう。……ベファーナって、誰だろう?

「すいません、まだ知り合って日が経ってないので、わたしもそれ以上はよく……ベファーナ、ですか。もしも彼女の名前が本当はそれだったら、どういうことになるんですか?」

「……もしも、そうだとしたら。あの人は【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】ということになります」

 さらに声を潜めて囁かれる二つ名に、わたしもどこかで聞き覚えがあるような……? そう、あれは確か――

「それって……確か、三大魔女のひとり、でしたっけ?」

 記憶箱をひっくり返し、こぼれ落ちてきた記憶かけらを拾い上げながら、目の前の女性にそう尋ねかける。無言で頷く彼女の表情には、明らかな畏怖が刻まれていた。

 三大魔女――とは、世界に数多いる魔女の中でも特に名を知られた魔女たちのことだ。

 それぞれその在り方ややってきたこと(基本的に悪事だけど)に応じて、【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】、【呪いの魔女カースド・ウイッチ】、【裁きの魔女ジャッジズ・ウイッチ】と呼ばれているらしいけど、わたしも詳しいことは知らなかったりする。

 なので気になって、詳しそうな人にその【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】がなにをやったのか聞いてみたところ、

「あたしもそう詳しくはありませんけど。確か四十年前にエルフを滅ぼしたのが、件の魔女の仕業って話は聞いてますね」

 そんな衝撃的な話を聞かされてしまった。

(え? それって、エルフを滅ぼしたのがシアかもしれないってこと? え? え? え? ど、どどどういうこと?)

 大量の疑問符が頭の中を駆け巡る。簡易温泉で見てしまったシアの正体すがおと、エルフを滅ぼしたという話が全然噛み合ってくれない。ぐるぐると同じところで思考が空回りしてしまうわたしの耳に、女給の語る言葉が勝手に入り込んでくる。

 曰く、エルフを滅ぼしただけでなく、その後もある小国を一日で滅ぼしたとか、邪悪な魔法の儀式のために村人全員を生贄にしたとか、その他にも様々な悪行を【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】は行っているらしかった。

 ただそれに加えて、ここ数年増えてきた各地で起こっている異常事態の原因を彼女に押しつけていたのは、さすがに行き過ぎだと苦笑いを隠すのに苦労はしてしまったけれど。

「――まぁ、あの人が本当に【滅びの魔女ルインズ・ウイッチ】じゃないんなら、お客さんにとってはいいことだけどね。ただ、そういう可能性があるってことは頭の片隅にでも置いておいた方がいいよ。それで少しでも怪しいって思ったら、さっさと離れた方がいいんじゃないかと、あたしはそう思うね」

 なんて、しかめ面で真剣に忠告してくれる女給の姿を目の当たりにしたことで、私の心の中に一筋の影が差してしまったのも確かな事実だった。

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