ルエンの町
「さぁて皆さん、ウチの今日の目玉は丈夫で扱いやすいヨクト産の羊毛だよ。いつものズボンや下着だけじゃなく、外套や毛布にしたって文句なし。今日を逃したらいつ手に入るかもわからない逸品だ。早い者勝ちだよ、さぁさ寄ってきな寄ってきな」
「こっちはミレド湖で獲れたばかりの鰻だよ。身もたっぷり詰まって栄養たっぷり、味も上々だからね。そこの奥さん、今晩の夕食にどうだい!?」
――ドリード村を
シアの
けれどよくよく見てみれば、市場に立つ商人たちや通りを行き交う人々の表情に心からの笑顔は見えず、記憶のものに比べれば集まる人の数や賑わいそのものも寂しいものだった。
「最近、小麦どころか野菜も果物の値段が上がってきて、ほんと困るわね」
「油や卵の出回る数も少なくなってるし、そもそも仕入れ自体が遅くなってきてるんでしょ?」
「なんでも西の街道で盗賊団が暴れ回ってるらしいから、その影響もあるんじゃない? 帝国に滅ぼされた国の生き残りの兵士たちの仕業らしいけど、早いとこ捕まえてくれないかねぇ」
――などと、あちこちで囁かれる噂話も不穏なものばかりで、治安も含めこの
「……どうやら、ここにも世界の箍が外れてる兆しは現れているみたいだね」
その様子を横目に眺めながら、エストがぽつりと呟きを漏らした。そう言われると、成程と納得しかけてしまう。少なくともそう信じられてしまうくらいに、ここ数年で世界の状況が悪くなっているのは確かな現実のようではあった。
一方で、そんな感傷に取り合うつもりはなさそうなシアはと言えば、肉商人の露店に出向いてなにやら交渉をしていたりする。見ていると、どうやら例の熊の干し肉と鰻との交換を持ちかけている模様。
数回のやりとりを交わしただけで交渉は無事成立したようで、熊と鰻との物々交換が完成した光景を目撃することになった。
「……なにか買い物をするのかと思ったら、熊肉と鰻を交換するだけだったんですね。鰻が欲しかったのなら、ただ買えばよかったと思うんですけど。それとも、もしかして路銀が乏しかったりするんですか?」
「路銀は充分ありますから、余計な心配はしなくて構いませんよ【
「はー、そうだったんですね。よくりかいできました。なるほど、です」
ささやかなわたしの疑問に超正論で殴りつけてくると、シアはそのまま踵を返してさっさと歩き始める。すぐさま後に続くエストにかなり遅れながら、わたしも慌ててついていった。
来た道をただ元に戻っているだけなのだから、あたりまえのことかもしれないけれど。ドリード村とは比べものにならないほど広大で、道も入り組んでいる町中を迷った様子も見せることなく進んでいく黒き魔女様。これが自分ひとりだったら、迷ってしまた挙げ句どこにも行けなくなって、途方に暮れていたかもしれない。
(……あの時は、さんざん迷った挙げ句に近衛の兵士に見つかって連れ戻されたんだっけ。ああ、なんだか懐かしいなぁ)
先を行く彼女に遅れないよう必死についていきながら、影姫時代に何度かこっそり城を抜け出しては、こうして町を散策していた記憶が甦ってくる。
もっともあの時は、周りのものがいちいち物珍しくて目を奪われ続けていたから、こんなに速く歩いてはいなかったはずだけど、と。
懐かしい記憶に耽っているうちに、どうやら辿り着いていたらしい。先に足を止めた二人にぶつからないようにわたしも足を止めると、目の前の建物――隣のものより大きくて立派な、石造りで二階建ての代物だ――の看板を見上げてみる。
『
(まぁ、それで旅の路銀に問題がないのなら、わたしは上等な方がありがたいからいいんだけど、ね)
そう思いながら宿に戻ってきたわたしたちは、ひとまず市場で買ってきたものを整理するために部屋に向かう。と言ってもほとんどが食料品や薪、油など細々したものなので、すぐに終わってしまうのだった。
「とりあえず、夕食の時間まで少し空きがありますけど、どうしますか?」
さっそく手持ち無沙汰になってしまったので、どうしようかと尋ねてみる。
ちなみに、三人まとめて一部屋だから部屋の中には三つのベッドが並べられているのだけど、一番奥のベッドの上ではエストが横になって休んでいて、真ん中のベッドにはシアが腰を掛けた状態で寛いでいた。
「やるべき事はすべて済ませましたので、特になにかするつもりはありませんが。……ああ、やることがなく暇で暇で仕方がないどうか私に仕事をくださいと言うなら、下でお湯を貰ってきて私たちにお茶を淹れてくるのがいいでしょう。どうですか、【
「えぇ? 別に仕事をくださいとは言ってないんですけど……」
「ああ、ちょうど喉が渇いていたところだったから、お願いしてもいいかな
「――仕方ありませんね。少し、待っていてください」
「こうやって美味しいお茶を飲んでると、どうしてもお茶菓子が欲しくなってくるけど。夕食もすぐだから、我慢しないとだね」
ひょっこり始まった
話題に出されるとこちらも欲しくなってしまうものだけど、【
と、その代わりにではないけれど。
「そういえば、もうルエンの町に着いたから、そろそろちゃんとした目的地を教えてもらってもいいですよね?」
この機会にとずっと気になっていたことを二人(主にシアの方)に聞いてみた。すると、いつものようにヴェールを着けたままお茶を飲んでいたシアが、エストと顔を見合わせてなにやら――ヴェール越しに――目配せしあったかと思うと、
「なにをそう急いているのかわかりませんが、もう少し待ちなさい。ここを出る時にちゃんと教えてあげますから、今は我慢するべきですよ【
それこそわたしの親にでもなったかのように言い聞かせてくる。
(え? なんですかその態度は。お子様扱いするのはまだしも、わたしは貴女の子供になった覚えはありませんけど。……というか、案の定とぼけてきたかぁ。こんな態度を取ってぼかしてくるってことは、やっぱり――)
なんて、いろいろと湧き出てきた
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