ルエンの町

「さぁて皆さん、ウチの今日の目玉は丈夫で扱いやすいヨクト産の羊毛だよ。いつものズボンや下着だけじゃなく、外套や毛布にしたって文句なし。今日を逃したらいつ手に入るかもわからない逸品だ。早い者勝ちだよ、さぁさ寄ってきな寄ってきな」

「こっちはミレド湖で獲れたばかりの鰻だよ。身もたっぷり詰まって栄養たっぷり、味も上々だからね。そこの奥さん、今晩の夕食にどうだい!?」

 ――ドリード村をってから馬車に乗り一週間と一日(増えた)をかけてようやく辿り着いた、一度義母ははと一緒に訪れてから約三年ぶりに訪れたルエンの町。

 シアの要望リクエストに従って訪れた市場では、商人たちの客引きの掛け声が何重に飛び交っていた。百人にも満たないドリード村と違い数万人が住んでいるこの町は、やはり賑やかな喧噪に満ちていると感じる。

 けれどよくよく見てみれば、市場に立つ商人たちや通りを行き交う人々の表情に心からの笑顔は見えず、記憶のものに比べれば集まる人の数や賑わいそのものも寂しいものだった。

「最近、小麦どころか野菜も果物の値段が上がってきて、ほんと困るわね」

「油や卵の出回る数も少なくなってるし、そもそも仕入れ自体が遅くなってきてるんでしょ?」

「なんでも西の街道で盗賊団が暴れ回ってるらしいから、その影響もあるんじゃない? 帝国に滅ぼされた国の生き残りの兵士たちの仕業らしいけど、早いとこ捕まえてくれないかねぇ」

 ――などと、あちこちで囁かれる噂話も不穏なものばかりで、治安も含めこのあたりの最近の情勢の悪さがうかがえる。

「……どうやら、ここにも世界の箍が外れてる兆しは現れているみたいだね」

 その様子を横目に眺めながら、エストがぽつりと呟きを漏らした。そう言われると、成程と納得しかけてしまう。少なくともそう信じられてしまうくらいに、ここ数年で世界の状況が悪くなっているのは確かな現実のようではあった。

 一方で、そんな感傷に取り合うつもりはなさそうなシアはと言えば、肉商人の露店に出向いてなにやら交渉をしていたりする。見ていると、どうやら例の熊の干し肉と鰻との交換を持ちかけている模様。

 数回のやりとりを交わしただけで交渉は無事成立したようで、熊と鰻との物々交換が完成した光景を目撃することになった。

「……なにか買い物をするのかと思ったら、熊肉と鰻を交換するだけだったんですね。鰻が欲しかったのなら、ただ買えばよかったと思うんですけど。それとも、もしかして路銀が乏しかったりするんですか?」

「路銀は充分ありますから、余計な心配はしなくて構いませんよ【下僕サーバント】。交換にしたのは、熊肉だけだと飽きてくるので別の肉が欲しかったのがまずありますが、交換することでこの時期に貴重な熊肉が市場に回るようにと配慮しただけのことです」

「はー、そうだったんですね。よくりかいできました。なるほど、です」

 ささやかなわたしの疑問に超正論で殴りつけてくると、シアはそのまま踵を返してさっさと歩き始める。すぐさま後に続くエストにかなり遅れながら、わたしも慌ててついていった。

 来た道をただ元に戻っているだけなのだから、あたりまえのことかもしれないけれど。ドリード村とは比べものにならないほど広大で、道も入り組んでいる町中を迷った様子も見せることなく進んでいく黒き魔女様。これが自分ひとりだったら、迷ってしまた挙げ句どこにも行けなくなって、途方に暮れていたかもしれない。

(……あの時は、さんざん迷った挙げ句に近衛の兵士に見つかって連れ戻されたんだっけ。ああ、なんだか懐かしいなぁ)

 先を行く彼女に遅れないよう必死についていきながら、影姫時代に何度かこっそり城を抜け出しては、こうして町を散策していた記憶が甦ってくる。

 もっともあの時は、周りのものがいちいち物珍しくて目を奪われ続けていたから、こんなに速く歩いてはいなかったはずだけど、と。

 懐かしい記憶に耽っているうちに、どうやら辿り着いていたらしい。先に足を止めた二人にぶつからないようにわたしも足を止めると、目の前の建物――隣のものより大きくて立派な、石造りで二階建ての代物だ――の看板を見上げてみる。

黄金きん鵞鳥がちょう亭』の屋号からも、ここが旅人用の宿屋なのは一目瞭然だ。立派な外観から窺えるように、それなりに高級なところらしい。はじめはシアも安宿にするつもりだったようだけど、馬車を預ける必要があったからランクを下げられなかったのだとか。

(まぁ、それで旅の路銀に問題がないのなら、わたしは上等な方がありがたいからいいんだけど、ね)

 義母ははと来たときだって安宿で済ませたし、この六年で貧乏(?)生活には慣れっこになったつもりだけど。それでも一週間ずっと野宿で過ごしてきたのだから、できれば少しでもいい宿に泊まって寛ぎたいと願うくらい許されるのではないだろうか。

 そう思いながら宿に戻ってきたわたしたちは、ひとまず市場で買ってきたものを整理するために部屋に向かう。と言ってもほとんどが食料品や薪、油など細々したものなので、すぐに終わってしまうのだった。

「とりあえず、夕食の時間まで少し空きがありますけど、どうしますか?」

 さっそく手持ち無沙汰になってしまったので、どうしようかと尋ねてみる。

 ちなみに、三人まとめて一部屋だから部屋の中には三つのベッドが並べられているのだけど、一番奥のベッドの上ではエストが横になって休んでいて、真ん中のベッドにはシアが腰を掛けた状態で寛いでいた。

「やるべき事はすべて済ませましたので、特になにかするつもりはありませんが。……ああ、やることがなく暇で暇で仕方がないどうか私に仕事をくださいと言うなら、下でお湯を貰ってきて私たちにお茶を淹れてくるのがいいでしょう。どうですか、【下僕サーバント】」

「えぇ? 別に仕事をくださいとは言ってないんですけど……」

「ああ、ちょうど喉が渇いていたところだったから、お願いしてもいいかなお嬢さんレディ

「――仕方ありませんね。少し、待っていてください」

 エストの一声で態度を急転換させたわたしは、そのまま一階に降りて下働きの中年女性からお湯を貰ってくる。それから部屋に戻ってちゃんと三人分用意されていたカップに、これまた用意されていたマクバ茶を淹れてそれぞれに――【下僕サーバント】らしく――給仕してあげた。

「こうやって美味しいお茶を飲んでると、どうしてもお茶菓子が欲しくなってくるけど。夕食もすぐだから、我慢しないとだね」

 ひょっこり始まった休息時間ティータイムの隙間を縫うように。三人揃ってベッドに腰掛けた状態でお茶を楽しんでいたら、エストが不意にそんなことを呟いた。

 話題に出されるとこちらも欲しくなってしまうものだけど、【救世主メサイア】の言うとおり我慢しないと太ってしまうかも――お肉がお腹じゃなく胸に行ってくれればいいのにね――だから、自重はしないといけないと自分に言い聞かせる。

 と、その代わりにではないけれど。

「そういえば、もうルエンの町に着いたから、そろそろちゃんとした目的地を教えてもらってもいいですよね?」

 この機会にとずっと気になっていたことを二人(主にシアの方)に聞いてみた。すると、いつものようにヴェールを着けたままお茶を飲んでいたシアが、エストと顔を見合わせてなにやら――ヴェール越しに――目配せしあったかと思うと、

「なにをそう急いているのかわかりませんが、もう少し待ちなさい。ここを出る時にちゃんと教えてあげますから、今は我慢するべきですよ【下僕サーバント】。そう、玩具をせがむ子供のように」

 それこそわたしの親にでもなったかのように言い聞かせてくる。

(え? なんですかその態度は。お子様扱いするのはまだしも、わたしは貴女の子供になった覚えはありませんけど。……というか、案の定とぼけてきたかぁ。こんな態度を取ってぼかしてくるってことは、やっぱり――)

 なんて、いろいろと湧き出てきた憤懣ふんまんや疑心や含羞がんしゅうなどをひとまとめにして、温くなったマクバ茶で一気に体の中に流し込むわたしだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る