魔女の素顔
「すみませーん、失礼しまーす」
聞こえないくらいに小さく、でも挨拶はしたのだと言い訳できるくらいにははっきりと口に出してから、シアが魔法で作り出した――これも簡易の――脱衣所に足を踏み入れる。
脱衣所、なんて言っても乾かして
それが示す意味を読み取ったわたしは、ごくりと唾を飲み込んだ。
(シアの素顔……いったいどんな感じなんだろう? 本当に八十二歳なら老婆みたい、なのはさすがにありえないだろうけど……うう、早く見てみたい)
暴れ回る好奇心をどうにかなだめながら、心持ち急いで服を脱いでいく。靴下、男物のシャツとズボン、カーディガン、
そうして準備が整ってしまうと、わたしは恐る恐る足音を忍ばせながら浴場に向かう。簡易温泉の湯面から立ちのぼる湯気のおかげか、幸い視界は制限されているようだ。
背中まで届いている長い銀髪が、水を吸って輝くように煌めいている。その美しい後ろ姿に見とれつつ、わたしは最後の勇気を振り絞って彼女の隣に進み出た。
「あのー、すみません。隣、失礼、しますね」
「…………は?」
間の抜けた声を出してしまった様子のシアのことは(とりあえず)無視して、恐る恐る湯に足を
成程、エストが言っていたように充分温かいし、湯の表面も綺麗に澄み切っているのはとても雨水を使ったと信じられないほどだ。
「――なにをしているのです、【
「ごめんなさい、シアさん。でも、エストく――【
予想どおり文句をつけてくる魔女様に対して、すかさず切り札を放ってみる。効果は抜群だったようで、すぐに押し黙ったかと思うとわずかばかりの沈黙を挟むと、不承不承といった態度をあからさまに――表情にも!――見せながらわたしの入浴に許可を出したのだった。
かくして無事に許可も出たということで、わたしも安心して先客の目の前で湯船に体を沈み込ませる。それから視線を上げて、目の前のひとをまじまじと見つめた。
縁に掛けた腰から伸びる脚はすらりと長く、無色の液体を透かして見える爪先――真っ白な肌色からその造形に至る――まで非の打ち所なく、とても美しい。傷も染みもなにひとつない瑞々しい肌は湯に濡れていることもあり、どこか艶めかしさを感じてしまう。
それはくびれの深い腰の上からも同様で、立派に膨らんだ――思わず自分のものと比べてしまい、憂鬱になってしまった――ふたつの半球も含め上半身の肉付きもバランスよく、芸術家が題材に選びそうだと思えるくらいに『美』そのものだった。
白銀に輝く長髪に切れ長の翠眼、鮮やかな紅が
そしてシアのそんな規格外に若々しい美しさと、彼女が口にした八十二歳という年齢と。本来相反するはずの二つの要素が矛盾しない理由を、わたしはその耳に見つけたのだった。
――人ではありえないほどに長く伸びた、その両耳に。
「……そっか。シアってエルフだったんですね。どうりであんなに顔を隠していたわけです」
これまでのシアの言動でおかしかったところの大部分が一気に腑に落ちたわたしは、無意識のうちにそう呟いていた。
そう、すべては話に聞いただけで、わたしはこれまでエルフに会ったことは一度もない。
なぜなら、エルフは四十年ほど前の妖精大戦で国ごと滅んでしまったからだ。数名か数十名か生き残りのエルフがいるという噂はあるけれど、はっきりと存在を確認できた人は誰もいないとのことだった。
だから、今こうして本物のエルフが実在していることに興奮すると同時に、わたしはシアがかたくなに素顔を晒そうとしなかった理由も理解できてしまったのだ。
そんなわたしの呟きに当の本人は不機嫌そうに唇を引き結ぶと、言葉を返すこともないままただ苛立ちまぎれか足で水面をかき混ぜ、飛沫を跳ね上げさせる。
(ああ、怒ってる苛立ってる腹立ててる。わかる、わかります、わかっちゃいますけど、でもそんなひとと一緒に入浴だなんて、絶対にくつろげないじゃないですか~~っ)
この気まずい空気を払拭させて安らぎと憩いの時間を手に入れるためにも、なんとかシアのご機嫌を少しでも取っておかないといけない。そんな決意を胸に秘めて、わたしは目の前の不機嫌な魔女に声を掛けてみた。
「そ、そういえばシアはやっぱり花は
咄嗟に口から出たとは言え、その話題の
オルテンシアとは花の
「……唐突になにを言ってくるかと思えば。意図がよくわかりませんが……花としては特に好きでも嫌いでもありません。たまたま、そう名付けられただけのことです」
「あー……、そうでしたか。わたしの考えすぎってことですかね、すみません」
あっさり外されてしまった思惑に、わたしは謝罪しながら悔しさをこっそり噛み殺す。でも、否定されたからってすぐに次の話題を出せるわけでもないから、なんとか話題を繋げてみるしかない。
「じゃ、じゃあ紫陽花についてのシアの気持ちはわかりましたけど、ついでに聞いてみてもいいですか? 紫陽花って花の色がいっぱいありますけど、その中で何色が一番好きですか?」
「またよくわからないことを聞くのですね、愚かな【
そうやって、むりやり絞り出した問いかけにシアは呆れたように呟くと、
「色の好みと言えるほどのこだわりはありませんが、あえて選ぶとすれば――そうですね、やはり青でしょうか。白も悪くはないのですが、私には少し眩しすぎますから。……それは兎も角、貴女の方はどうなのですか、【
それでも律儀に答えてくれた。それも少しだけ、口角を緩めたように下げながら。
(あれ? どうしてそんなに優しいのかな? って、もしかしなくても、質問返されてる? あわわわわ……)
予想外の反応と展開に内心慌てふためきながら、わたしもちゃんと答えるために改めて考えてみる。紫陽花で、何色の花が好きなのか。
……自分で質問しておいてアレだけど、正直ピンと来ない。どの色だっていいように思える。けれど、その中でも選ばない――選びたくない色がひとつだけあった。
「そう、ですね。赤だけは絶対にないですけど……わたしが好きな色を選ぶとしたら、白……かな?」
脳裏に浮かんだ赤は花のものではなく、今は遠い誰かの髪の色。その面影を懐かしく思い返しながら、わたしはそう答えてみる。
するとシアは――そろそろ冷えてきたのか――湯船に体を沈めてから、その翠色の瞳でわたしの眼をまっすぐに見据えてくると、
「『赤だけは絶対にない』、ですか。成程、だから貴女は髪の色を赤から今の栗色に変えたということですか」
いつもの涼やかな声音で冷たく切り込んできた。
「な……っ、な、なんの話ですか? わたしの髪の色は、なにも弄ってませんけど」
「そうなのですか? それならこれは――どういうことなのでしょうね」
それでもわたしがどもりつつなんとか否定しようとするのに、シアは顔が触れ合うぐらいにぎりぎりまで近づいてくると、わたしの無防備な股間に腕を突っ込んできた。
「こちらの色は赤のままですが。頭髪の色と陰毛の色と。どちらが変えやすいか、どちらをまず変えようとするかは考えるまでもない、明白なことだと。【
(な、ななななに!? なにを、なにをやってるんですかこのヒトは――っ!? ひと? エルフ? いや、どちらでもいいですけど、とりあえずその手を今すぐ、あそこから離してください~~~~っっ!!)
いきなりの問題行動に思わずパニック状態になってしまう。叫び喚くことさえできず、どうすることもできないまま頭の中もひたすら空回ってしまうだけ。魔女の言葉の奥の意味に気づける余裕もなく、わたしはいきなりの肉体接触にどう対処すればいいのか必死に答えを探し続けた。
結果――
「そ、そそそうですねっ! 髪の色とあそこの色が違うのって変ですよね! そんなわたしと違って、シアさんはあそこの色も髪と同じ銀色でとても綺麗でいいですねっ! おっぱいもわたしなんかとは違ってとってもおおきくて綺麗ですしっ!」
「ちょっと、なにを――」
「うわ、こんなにおっきいくせにとってもやわらかいのはどうしてなんですかっ!? 指がこんなに食い込んで、でも離したらすぐに元に戻るのホントにすごいです! すっごくうらやましいなぁ……っ!」
「いいから、その手を離しな、さい――っ! 【
「ああもうっ、なんなんですかこれ。肌が柔らかすぎて手にぴったりに吸いついてくるから、いつまでもこうして揉んでいたくなるの、ほんと反則じゃないですか! エルフってずるいですずるいです……ずるいです」
「……わかり、ました。私が、エルフがずるいので結構、です……。ですからもう、指を離しなさい……。もう離して……ください…………」
気づけば頬も体も真っ赤に染め上げて、息も絶え絶えになったシアが目の前にいた。
どうやら混乱のあまりに暴走してしまったわたしが、彼女の全身を――ぶっちゃけおっぱいを集中的に――揉みしだいてしまっていたらしい。おそらく直前のシアの行為に影響されたのだろうけど、我ながらなんてことをしでかしてしまったのかと自分自身に恐れ
己の中に棲まうそんな悪魔の存在に恐怖を覚えてしまったわたしは、それでも掌にいつまでも残っている柔肌の感触を反芻してしまいながら、ほっと(ない)胸を撫で下ろしてしまう。
さきほどのシアの指摘は、間違いなくわたしの核心を突いてきていた。それが意図してのものだったのかそれとも偶然だったのかはわからないけれど、むりやりすぎるやり方でもうやむやにできたのは僥倖だったと、そう言えなくもないだろう。――少なくとも、二人にどこまで明かすべきなのかまだ決めかねている現状では。
(……たぶん、わたしの素性についてはある程度わかってるんだろうな……)
二人の言動からはそう推測される。影姫――つまり本当は偽物だったところまでわかってるかまでは不明だけど、少なくともわたし――リアン=リンツが偽の名前で、その正体がスティリア王国の王女だったことまでは。
……などと、そんな将来の火種はひとまず脇に置くことにして。わたしはこの機会を逃さないように、ついでにもう一揉みしておくのだった。うん、やっぱりマシュマロみたいに柔らかくて素敵だなと、そんなことを思いながら。
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