嵐の後は温泉を作りますか?
今まで経験したことのない猛烈な嵐は、来たときと同じようにいささか唐突とも言える勢いで去っていった。
そして、嵐が去ってしまうとそれまでの大暴れっぷりが嘘だったように、周囲は静けさを取りもどしていた。空を見上げてみても黒い雲の姿はまったく見えず、ただ一面の夜空に星がまばらに輝いていることだけが確認できる。
嵐が訪れた証拠といえば、周囲にできた大量の水たまりとその周辺に散らばる木の葉や木っ端などの残骸だけ。それも結界の存在――ちなみに、もう消えてしまっている――を証明するように、わたしたちの周辺だけ見事に綺麗なままだった。
「……ホント、すごかったですね。わたしはここまでひどかったのははじめてですけど、お二人はやっぱり慣れっこなんですか?」
「慣れっこ、になるほど頻繁には経験してないけど、それでも何度か似たような嵐に遭ったことはあるかな。あれは――」
好奇心で聞いてみると、エストが簡単に食いついてくる。そのまま彼の話を聞いているわたしの視界のすみっこに、シアが結界の範囲の外側に出てなにやらごそごそしている姿が映った。
夕食の後片付けは済んだし、今日はもう移動することもないから後は寝るだけのはずだけど、いったいなにをしようというのか。疑問を抱いてこっそり観察していると、周囲を見回していた彼女はひとつ大きく頷き(ローブの動きでなんとかわかった)、手にした杖を高々と掲げ上げた。
と――
ぼぐん! という鈍い音とともに、シアの目の前の地面が陥没する。それもかなり大きく、深い範囲で。
「ちょ、ちょっと待ってください、シアさん。な、なにをしているんですか?」
「嵐のおかげで、辺りに水が大量にばらまかれていますから。温泉? とやらを試してみるいい機会だと、そう思っただけのことです。貴女も、そろそろ湯にゆっくりと浸かりたい頃でしょう?」
いきなりの暴挙? にわたしが慌てて問いかけると、
「あ~、確かにそろそろゆっくり湯につかれたらいいかなぁ、って思わないと言ったら嘘になりますけど。でも、雨水なんか使って大丈夫なんですか? 嵐の後だし、かなり汚い気がするんですが……」
「なんの問題もありません。魔法で浄化できますし、加熱して湯に湧かすことで消毒もできますから。むしろ普通の湯治場よりも安全で清潔であることは、私が保証いたします」
「はぁ……、そうですか……。」
理屈はよくわからないけれど、こうも自信満々に言ってこられると反論する気もおきない。というか、魔法が便利すぎてなんでもありですかという気分になってくる。もしかしてシアさえ居たら、【
そんな風に、わたしがやるせない思いに耽っている間にも、温泉制作は順調に進んだようだった。やることもないのでエストとよしなしごとを語り合っているうちに、それほど待たされることもなく完成してしまう。
そして――
「おかえり、エストくん。お湯加減はどうだった?」
簡易温泉に入浴できるようになり、一番手に指名されたエストが帰ってきたところでわたしはそう声を掛ける。夜着としてのゆったりした肌着に着替えた――相変わらず両手に手袋を着けたままなのが、少し異様に見えなくはないけれど――金髪の少年は、見たところこざっぱりとしている感じだけど、果たして実態はどうなのかと興味津々の体で。
「ああ、よかったよ。キミが気に入るくらいに綺麗かまではわからないけど、少なくともお湯は透き通ってて濁りなんてまったくなかったし。体もぽかぽかになれるくらい充分温められたからね」
「うん、それなら一安心かな。シアさんじゃなくてエストくんが言うなら信用できそうだし」
第三者(本当に?)からの評価を聞けて、わたしもようやく安心することができた。これでなんの憂いもなく入浴できると。
――ちなみに、エストに対する口調が砕けたものになっているのは、彼と入れ替わる形でシアが現在入浴中だからだった。お目付役がいないと気楽に話せていいなと、不届きなことを思ってしまうわたしのことは、どうか見逃していただきたい所存。
「そうそう、僕の言うことだから信用してくれて大丈夫、大丈夫。なにせ【
一見【
「だから、これで温泉に入っても問題なさそうと思えたなら、キミも今すぐ入ってきたらどうかな?」
エストがそんな提案を持ちかけてくる。
「え? 今すぐ? わたしも? でも、今はシアさんが入ってるんだから、わたしが入ると邪魔になるんじゃ」
思いがけないその提案に渋るわたしに、【
「そうかな? 別に問題はないと思うよ。一人だと広すぎるくらいに
「んー、エストくんとこうして話す時間を、わたしは無駄な時間とは思わないかなぁ?」
「うん、ありがとね。そう言ってくれるのは嬉しいし、僕もキミとこうして話すのが無駄な時間とは思わないけど。でも、時間を掛けすぎたらせっかくの温かいお湯が冷めちゃうのは、もったいないとは思うかな? それにオルテンシア――シアの後に入るってことはキミが最後になるってことだから、後片づけを押しつけられるかもしれないんだけど。キミはそれでも構わないんだ?」
結局のところ、最後の発言がすべてだった――
「いいことを教えてもらってありがとう、エストくん。わたし、今すぐ入ってくるね」
瞬時にわたしは今すぐの入浴を決めると、エストにそう宣言してから、簡易温泉へ向かうことにしたのである。
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