馬上の語らい -魔女編-

 春になり少し強くなった日ざしが天蓋を覆っている木の葉をかし、木漏れ日になってわたしたちにまっすぐ降り注いできている。

 そんな清々しい気候だけど、肝心のわたしの気分はそれほど気持ちよいものではなかった。

 それがどうしてかと言えば、単純にお尻が痛くてたまらないからだ。

 旅が始まってもう三日目になるけれど、相変わらず整備されていない山道ばかり続いているせいで、段差で馬車が揺れるたびに御者台もぐらぐら揺らされてしまうことになる。クッション、なんて気の利いたものは――ああ、用意しておけばよかった――持ってないから、その揺れの影響をわたしのお尻は全面に受けてしまうと、つまりはそういうことなわけで。

 結論として、今のわたしは地獄のまっただ中にいるということだった。

 それでも午前中はエストとの会話が弾んだから気が紛れてくれたのだけど、今は隣に座る相手がオルテンシアなのでぜんぜん気が休まらない。休まってくれない。

「…………はぁ……」

 なので、隣にはバレないようこっそりため息をつくことで、気を紛らわす振りをする。ついでに痛みが少しでも分散できるように、お尻の位置をちょっとずらしてみた。

 と――

「……先程から、なにをしているのです? ごそごそと――ああ、そういうことですか」

 その様子を目敏く見咎めたのか、オルテンシアが誰何すいかの声をかけてきたかと思うと、自分もごそごそとなにかをやり始める。

 進行方向に注意を配りながら横目でちらりと見やると、なにもなかったはずの空間からクッションが取り出されてきた。……って、ホントにどこから出してきたの?

「尻が痛いのなら、これを使いなさい」

「あ、はい、ありがとうございます」

 差し出されたクッションを受け取り、言われるままお尻の下に敷く。それだけでだいぶ楽になったので、わたしも感謝の言葉を素直に口に出せた。

 そのついでに、ではないけれど。珍しく優しさを(わたしに)垣間見せてくれたから、機嫌が悪くない今がチャンスと、思い切って友好的会話を試みることにする。……主に、今後のわたしの胃のために。

「そういえばエストく――エストさんから、赤ちゃんの頃にオルテンシアさんに拾われて育てられたって聞いたんですけど、それって本当のことなんですか?」

「……話が弾んでいた様子は窺えましたが、そんなことまで話していたのですね。【我が主マスター】の言葉を疑うのは【下僕サーバント】としてあるまじきことですが……まぁいいでしょう。すべて本当のことですが、それがどうしました」

「だったらオルテンシアさんはどう考えても三十歳は超えてないとおかしくなりますよね? どうしようもなく気になって仕方ないのでできれば教えて欲しいんですけど。オルテンシアさんって本当はいくつなんですか?」

 顔が完璧に隠されているせいで勝手に膨らんでしまった好奇心に突き動かされるまま、わたしは一気呵成の勢いで問いかけてしまった。少し、いやずいぶん調子に乗りすぎちゃったかな?

「どうしてそこまで知りたいのか理解できませんが。そのせいで仕事がおろそかになっても困りますから、答えはしますが。私の年齢は、八十……二、だったはずです」

「はち、じゅう……に?」

 わたしの不安をよそに、変わらず泰然と答えるオルテンシア。そんな彼女とは対照的に、わたしは冷静さを一気に奪われてしまう。

(嘘、嘘、嘘でしょ。ありえないありえないって、そんなこと。義母さんより年上だなんて、普通にありえるわけがない、はず……)

 頭の中で懸命に否定するけれど、否定しきれないのが怖い。魔女ならありえるかもと、想像できてしまうのが恐ろしい。

 だからわたしはその想像きょうふから逃れるために、話題を変えることにした。

「そ、そんなに長生きされてるなら、さぞかしいろいろなところを旅してるんですよね。暗黒大陸に行ったのはエストくんから聞きましたけど、それ以外だとどこに行ったことがあるんです?」

 ……あれ? あんまり変わってないかな?

「どこに、と漠然と言われても答えようがないのですが。昔――そう、六十年ほど前に故郷を出て各地を旅したことはありますが……特に貴女に語るような話ではありません。その後も、【我が主マスター】が外に出られるようになるまでは一切動いていませんし、一緒に旅を始めてからは貴女が聞いた通りですから。

 それに、そもそも私よりも貴女の方が、他所よその国については詳しいのでは?」

「え? え゛え゛ぇ゛? そ、そんなことはないですよ。わたしなんて村から出たことなんてありませんから! あ、ルエンとか、近くの町くらいなら行ったことはありますけど、でも国の外に出たことはないですし……って、もちろん帝国領になってからの話ですけど」

 厳密に言えばドリード村に帝国の役人が来たことはないから、帝国領になっているのかは正直わからない。けれど、王国の本領土との間にあった小国も帝国に滅ぼされ帝国領になっているのだから、実質帝国に支配されていると考えてもいい、はず。

 いずれにしろこの話題を続けるのはこちらの胃によろしくない。だからわたしは、急いでもう一度話題を変えることにした。

「そ、そういえば名前のことなんですが。エストくんは短くて呼びやすいんですけど、オルテンシアさんは少し長くて呼びづらいときがあるので、呼びやすいように短く愛称で呼んでもいいですか?」

「……まず、『くん』ではなく『さん』付けを心掛けなさい。本来なら【我が主マスター】に様を付けて呼ぶべきですが、そこまではさすがに私も望みませんから。いいですね?」

「あ、はい」

 鋭いオルテンシアの指摘に、反射的に背筋が伸びる。エストくん、すごいね、ばっちり正解だよ、と。心の中でそう呼びかけながら。

「それで愛称、ですか……。私としてはまったく必要ありませんが、貴女がどうしてもと望むなら、勝手にしなさい。好きなように呼べばいいでしょう」

 すると、思いがけず(本当に!)、許可が出てしまった。その事実に驚きながら、わたしはこの機会を逃してなるものかと、ふさわしい愛称を見つけるために頭を全力で回転させ始める。

 と言っても、愛称の付け方の法則? なんてよく知らないから、結局は適当なものになってしまうのだけど。だから、どうか怒られませんように、と。そう祈りを込めながら、わたしは思いついた愛称を恐る恐る発表する。

「じゃあ、ですね。縮めて無難なところで、『シア』ってのはどうでしょう? ほら、わたしの愛称が『リア』だから、お揃いになっていいんじゃないかと、思った、んです、けど……」

「……………………」

 反応が、ない。長い沈黙がふたりの間を隔てるように、無情に横たわっているようだ。せめてヴェールさえ外してくれたら表情が見えて、反応を窺うこともできるのに。ヴェールで隠されたままの顔を、ずっとこちらに向けられたままなのは辛すぎなのですが。

(というか、なんでこっちを見つめたままずっと無言なの? せめてなにか、反応して欲しい。うぅ、胃が痛いよ……)

「…………好きにしなさい。貴女がそう呼びたいだけなのだから、私から論評する必要もないでしょうし。いくらでも好きに呼べばいいでしょう」

 長すぎる沈黙の後に、オルテンシア――シアはようやくそう答えてくれた。許可が出たことに驚きながら、謎の達成感を噛み締めてしまうわたしに、

「ただし、貴女のことを私がそう呼ぶことはありません。【下僕サーバント】、で充分ですから。貴女もそれで問題はないでしょう?」

「あ、はい」

 当然のように、まるで神託を下すみたいにそう宣告してくるシア。黒のヴェールで隠されて表情全体はよくわからないけれど、少しだけ風にめくれかけたその隙間から覗く真っ赤な唇は、その口角がどこか上向きに吊り上がっているように見えた。

 ――まるで、笑っているみたいに。

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