死んだ移送器《ゲート》

 渡り鳥の鳴き声につられて空を見上げると、青空が夕焼けの赤に上書きされようとしているところだった。紫になりきれない、青と赤が複雑に入り混じった玄妙で美しい光景に、手綱をる手を止めてしばし見入ってしまう。

 ……幸いなことに、スパルタ――もとい、オルテンシアの厳しい指導も、太陽が天頂から傾きかける頃にはどうにか終わってくれた。

(ほんとうに、よかった……。もしも一日中続けられていたら、きっと、わたし、明日の太陽は見えなかったに違いないから……)

 その後は魔女様の指導の成果を発揮して、なんの問題も起こすことなくルエンまでの街道をまっすぐ進んできたのだけど。辺りが暗くなってきたから、とりあえず今日の移動はここまでになるだろうか、と。

 期待を込めながらわたしが思っていたところに、監視役のオルテンシアが声をかけてくる。

「そこで止まってください」

「はい、わかりました」

 指示に従い、すぐに馬車を停止させ、御者台から地面に降りる。

 ああ、たった半日だけのはずなのに、どうしてこんなに疲れているんでしょうか(ため息)。

 さて、とりあえず日が暮れきらないうちに野営の準備をしないとだけど、どんな風に作業分担されるのか。もしかして全部わたしに押しつけられるのかもと、密かに戦々恐々しながら後から降りてきたオルテンシアへ視線を送ってみた。

 その彼女はといえば、荷台から出てきて馬車から降りようとしているエストに手を差し伸べている。そうして御主人様がちゃんと地面に降りたのを確認すると、周囲の様子を少し見回してからなにやら二人で会話を始めてしまった。

(……なにを話し合ってるのかな? お仕事を頑張るのは別に問題はないんだけど、その、もう少しだけでも態度を柔らかくして欲しいよね。……無理、なのかな?)

 やがて話し終えたのか、二人が離れる。エストは馬車を近くの木にロープで縛りつけてから、荷台に戻ってなにか作業を始めた模様。一方、オルテンシアの方はこちらに近づいてくると、

「さて、私はこれから薪を集めに行きます。貴女も一緒についてきなさい」

「あ、はい、わかりました」

 どうやら今回のわたしのお仕事は、薪拾いということらしい。……思っていたより楽そうだと、きっと思ってはいけない。油断したら後で痛い目を見るのに違いない、と。自分にそう言い聞かせながら彼女の後についていき、鬱蒼うっそうと茂る森の中を薪になりそうな枯れ木を求めて動きはじめる。

 夕闇に染まる森の中はすでに薄暗い。さすがに足下が危ないし薪も探しにくいので、活性化させた灯照石をランプに組み込み照明にした。

 そうして柔らかな光に照らし出される夜の森を見つめるうちに、落ちている枯れ木をひとつひとつ選定しながらも、わたしはうっすらと浮かび上がる既視感に戸惑ってしまう。この道を、この光景をどこかで見たような、そんな不思議な感覚に。

 すると――

「【下僕サーバント】、こちらに来なさい。私の後についてくるように」

 今晩用の薪がひとまず確保でき、野営地に集められたと思える頃になって、オルテンシアがそんな言葉を投げかけてきた。

 一仕事終えた瞬間を狙い、追加でなにか仕事を言いつけられる予感かくしんを覚えながら、ただの下僕であるわたしが指示に逆らうこともできることもなく、そのまま彼女の後についていく。

 どうやら森の奥に入っていくみたいで、緑と黒の深度が高くなってきた。どこか遠くから、遠吠えめいたものも聞こえてくる。なにかに襲われる危険の予感に、スカートではなく足首まで届くズボンを選んだ先見の明を誇りつつ、わたしは深い下生えを掻き分けていった。

(……あれ? ここは、――)

 足を進ませるほどに既視感が強くなる。そして、少しばかり歩いた末に辿り着いたその場所に、ようやく既視感の正体に気づいた。

 深い森の中、不自然に開けた空間。ぽっかりと空いたその空白にはなにかの姿もなく、ただ中途半端に生えかけた下草しか存在しない。その光景を目にした瞬間、頭の中に遠い記憶が濁流のように雪崩れ込んでくる。

(やっぱり、そうだよね。あれ? でも、どうしてなくなってるの……?)

 一気に頭の中が飽和したせいで感じた目眩に頭を押さえながら、記憶の中にあったものがない事実にわたしが違和感を覚えてしまっていると。オルテンシアが無造作な足取りで空き地の中央に進み出て、なにもない空間にその手を伸ばす。

 すると、驚いたことにそれまでなにもなかったはずの空間に、人の背丈ほどの大きさの――やはり見覚えのある――姿見が姿を見せた。

「――ああ、予想どおりもう死んでいましたか」

「っ、あの、オルテンシアさん。これは、いったい?」

 鏡面に細い指先を触れて呟く彼女に、わたしがたまらず問いかけてしまうと、

「ただの移送器ゲートですが。姿が見えなかったのは、単に魔法で隠されていただけですね。もっとも、本体の方はもう使い物にならなくなっているようですが」

 淡々と事務的に、けれど知りたかったことにはすべて答えが返ってくる。あれ? もしかして優しい? と錯覚してしまうくらい細やかに。

「そう、ですか……」

 だからそう呟いてしまったのは、オルテンシアの答え方に対しての反応ではなくて。わたしの命を助けてくれた移送器がとうに使えなくなって死んでしまっていたことに、寂しさを覚えてしまったからなのだろう。……きっと。

「どうしました、【下僕サーバント】。寂しそうな様子ですが、なにかありましたか。そういえば、それほど驚いてはいないようですが。移送器ゲートがここにあることを、もしかして知っていましたか?」

「あ、いえ、なにもありません。驚きはしたんですけど、正直よく知らないものなので、反応が弱くなったのかもですね」

 黒い魔女の鋭い指摘に、なんとか平静を装ってごまかしてみた。そこからの追及をかわそうと、今度はこちらから攻めてみる。

「もしかしたら、これが使えたらこれからの旅も楽になったかもしれないのに、ってがっかりしちゃったのが表に出たかもですね」

「確かにまだ使えたのなら行程は短縮できたでしょう。ただし、さすがに馬車を通すのは難しいので、結局は無理だったかと。その後のことも考える必要がありますから」

「あー、なるほど。そうですね、馬車の問題がありましたか。あれ? だったら、どうしてここに来たんですか? オルテンシアさんこそ、ここにこれがあることを知ってたんじゃないんですか?」

 食いついてくれたことにほっとしながら、さらなる核心に迫ることにした。さて、どう返してきます?

「そうですね。最初から知っていました。これを作ったのは私ですから、あたりまえでしょう」

「…………は?」

 思いがけない反撃に、わたしはあんぐりと口を開けてしまう。作ったって、どういうこと? 確か作られてから三十年は経ってると聞いたのだけど。……ああ、ただのでまかせ、ですか。

「折よく近くに野営を構えることになったので一応状態の確認に来た、というところです。それがどうかしましたか?」

「あの、ですね。ただの確認、だけなら、わたしがついて行く必要ってなかったのでは?」

 ヴェールで隠されたままの表情を、それでも少しでも読み取ろうと真剣に見つめながら、そう問いかけてみる。

「……単に【我が主マスター】とふたりきりにさせると、貴女が余計なことをしでかさないか心配だっただけのことです。既に一度、貴女はやらかしていますから」

「…………すみませんでした。申し訳ありませんでした」

 馬の暴走の件を思い出し、反射的に謝ってしまうわたしだった。

 それはともかくとして、わたしの未熟すぎる観察眼では、彼女の思惑はどうやら読み取れそうもない。表情が見えない上にその冷静すぎる態度や言動もあって、防壁はまさに鉄壁と言えるのだから。

 けれど、このわたしを強引に旅の従者に選んだことに加えて、わざわざここにわたしを連れてきたことを考えても、なにか隠された思惑があっても不思議ではなかった。少なくとも、脛に傷持つ身としては、警戒しておいて損はないと思えるくらいには。

「さて、聞きたいことがもうないようでしたら、無駄話はこれまでにして。速やかに野営地に戻るとしましょう」

 そんな決意を密かに固めたところに、淡々と涼やかな声がかけられる。黙ってわたしが頷くと、先導するようにオルテンシアが一歩踏み出した。来た道を戻りはじめる彼女についていく前に、わたしは立ち止まったまま一度だけ背後を振り返る。

 そして、役目を果たし終えた移送器ゲートに、深く体を折って頭を下げた。今この瞬間精一杯の、感謝の気持ちを込めて――お別れをするように。

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