一章 【滅びの魔女】

スパルタの魔女

 かくして彼女たちの救世の旅は始まった――

 わたしが物語の主人公になれる器かどうかは、この際考えないことにして。吟遊詩人が謡う英雄譚なら、おそらくそう語られていただろう。その後は波瀾万丈の旅が行われ、最後には世界が無事救われることになる。そこで語られるのは――たとえば魔物との戦いなど、様々な苦難を颯爽さっそうと乗り越える場面といった――華やかな部分ばかりで、枝葉末節の地味な部分が語られることはない。

 しかし、物語ではない現実だと、その地味な部分を避けて通ることなんてできやしない。

 だから雑用が――もとい、従者として旅についていくことになったわたしは、当然最初からそれこそ馬車馬のように働かされるのだろうと覚悟していたのだけど。

「…………あれ? これでいい、のかな……?」

 ゴトゴトとちいさく揺れる馬車の荷台の中で、首を傾げながらひとり呟くわたしがいた。

 自分の荷物を馬車の荷台に置いて、それから御者を任されるのかと思っていたのだけど。遅れて二人が馬車に乗り込むと、そのままなにか指示されることもなく馬車が動き始めてしまったのだ(なお、二人とも御者台に乗ったままなので、荷台の中はわたしひとりになっている)。

 とりあえずほっとしたような、拍子抜けしたような気分のまま適当な位置に腰を落ち着けた。それからなんとなく外を見てみたくなって、内窓――幌の一部を切り取って開けられるようにしているようだ――を開けてみる。影姫時代には滅多にできなくて、できたとしてもそっと隙間から覗き見るくらいだったけれど、そうして窓を全開にして見る村の光景は見慣れた景色のはずなのに、不思議と新鮮に感じられた。

 村の中だからかとてもゆっくり進む馬車のおかげで、村長の家も中央の広場もあちこちの麦畑もじっくりと見ていられる。それは我が家――いいや、リンツ家も同じだった。おそらく最後になるだろう光景を見送ると、わたしはそっと内窓を閉じる。もうお別れは済ませたのだから、これ以上は未練になってしまうだろうから。

 そんな風に馬車の中の時間を自分なりに過ごしていると、車輪が地面を踏みしめる感触が変わったのを感じる。それまでは王宮御用達の馬車と同じくらいに穏やかだった揺れ方が、すこし強くなったように。

 そして、それから少しだけ進んだかと思うと、ゆっくり馬車が停止する。

「…………?」

 なにかあったのかともう一度内窓を開けて、外を眺めてみた。ちょうど村の境界線を越えた辺りだろうか。ここから街道までは一応馬車道が通っているとはいっても、街道やあるいは村道に比べると整備はされていないので、揺れが大きくなったのもなるほどではあったのだけど。一見した限りでは、特に止まらないといけないようななにか――誰かをいたとかまたごろつきが現れたとか――が起こった様子は見えない。

 だったら、どうして止まったんだろう? と思ったところで、御者台の方から乗込口――と言っても、ただの白い幕が垂れ下がっているだけではある――が開く。そこから二人ともこちらに乗り込んでくるのを見て、わたしは自らの運命を悟った。……なんて、単に最初の予想どおりにわたしが御者をやらさ――もとい、任される時が来ただけの話なんですけどね。

「それじゃあ、これでドリード村から離れることだし、そろそろ従者として御者を任せても大丈夫かな?」

「あ……はい、わかりました」

 いつものにこやかな笑顔で指示を出してきた御主人様エストと入れ替わる形で、御者台に向かう。すると、そこには手狭ではあるものの一応二人が座れそうな空間があり、当然のようにオルテンシアが待ち構えていた。話し相手とかは考えられないから、見張りとかお目付役とかそんなところなのだろう。きっと、おそらく、いや間違いなく。

「えっと、すみません……失礼します……」

 恐る恐る声をかけてから、御者台の彼女の隣に腰を下ろす。なんとなく落ち着かない感じがするのは、板敷きの座席が少し硬く感じるからで隣の黒ローブさんのせいではない、はずだ。

「それでは、速やかな出立をお願いします」

「あ、あのですね。まずお聞きしますけど、これからどちらに向かえばいいですか? その、目的地もなにも、わたし聞かされてないんですが……」

 気ままな旅ならまだしも、世界を救うというちゃんとした目的がある旅なのだから、向かう先もちゃんと決まっているはず。そう考えてのわたしの問いに、

「ああ、そう言えば伝えていませんでしたか。うっかりしていたようですね、失礼」

 相変わらずの冷淡さ満点で――ただし、声も相変わらず綺麗すぎた――オルテンシアが答えてきた。

「まずはルエンを目指してください。その先の目的地は、着いてから教えることにします」

 彼女が告げたルエンとは、ドリード村から一番近く――と言っても、馬車でも一週間はかかってしまう――にある大きな町だ。各地への中継点にもなってる都市だから、どこが本来の目的地になるにしろ、まずはそこに向かうというのは妥当だろう。

 基本村に引きこもっていたとはいえ、六年も過ごしてきたのだ。一度だけ義母と一緒に行ったことがあったから、なんとか行き方はわかる。

 だとしたら残る問題は、どうやって馬車を走らせるのか、だ。

 義母と乗ったのはただの乗合馬車で、御者のやり方なんて見た覚えはない。王宮の馬車に乗ったときだってただ乗せられていただけで、馬を走らせる方法を学ぼうなんて思うはずがなかった。

(……ああ、どうしよう。どうすれば、ここを乗りきれるかな?)

 必死に記憶と頭を巡らせる。そう言えば、影姫をやっていた時代に年始の余興に行われた競技レースで、騎士たちが馬を駆って競い合ってたのを見たことがあったような。あれって、どんな風に馬を走らせていたっけ……?

「――それじゃ、出発しますね」

 必死に探り出した記憶を頭の片隅で駆け巡らせながら、わたしは一度座り直して御者席での立ち(座り?)位置を整えると、ちょうどオルテンシアとの間に置かれていた鞭を手に取った。

 一瞬の間を置き、目の前の馬のお尻に向けて鞭をしならせる。記憶の中の騎士と同じように。

「!? 貴女、なにを……っ!」

 隣からなぜか慌てたような声が耳に届くけれど、それが頭に届く前にわたしの鞭が馬のお尻に叩きつけられた。その瞬間、

 ヒヒーーーーーンンッッ!!

 けたたましいいななきとともに、馬がいきなり走り出してしまう。当然繋がったままの御者台も荷台も引きずられる形になって、わたしたちに激しい揺れが襲いかかってきた。

「きゃあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ――――っっっ!!!」

 思わず口から悲鳴がこぼれ、そのまま舌まで噛んでしまう。もちろん、それでも揺れは止まらない、馬が止まらないから。がん、がん、がん、と下から突き上げてくる振動に、全身揺らされまくる。走る、走る、走る、暴走する馬の速さに合わせて、景色が目まぐるしく通り過ぎる。御者台に必死でしがみつかないとこのまま身体ごと放り出されてしまいそうな、そんな突然の嵐の中。

 隣の黒い彼女が御者台から颯爽と跳び出すと、魔法のように暴れ馬の背中に飛び乗った。そして、器用に跨がったまま体を伸ばすと、片手で背中のたてがみを優しく撫でながら馬の耳に頭を近づける。黒ローブで隠されてなにをしてるかは解らなかった――なにかを囁いていた?――けれど、それだけであんなに暴れていた馬があっという間におとなしくなった。

 それで、ようやく暴走していた馬車も止まってくれる。気付けば目の前に大木が迫っていて、もう少しでぶつかるところだったと理解して、背中に冷たいものを感じてしまうわたしだった。

(これって、もう少しでわたし……ううん、みんな死んでたかもって、こと……?)

「ああ、むごいことをしてしまいましたねスライブ。ですが、もう大丈夫ですからね。少しの間、そのまま休んでいてください」

 誰か――おそらく、馬本人(馬?)だろう――の名前を口にしながら、穏やかに言い聞かせるていで語りかけてから、オルテンシアがおもむろに地面へ降り立つ。それから、つかつかと靴音を立てながら――少なくとも、わたしの耳にははっきりと聞こえた――、御者台にしがみついたままのわたしに近づいてきた。

 と思ったら、身構えるわたしの脇をすり抜けて白い幕をめくりあげる。

「大丈夫ですか、【我が主マスター】。怪我など、ないでしょうか?」

「え? ああ、大丈夫だよ【師匠マスター】。それより、今の揺れってもう終わりなのかな? わりと楽しかったから、もっと続いて欲しかったんだけど」

「…………【我が主マスター】…………」

 二人の会話が耳に届く。状況にそぐわない、脳天気で子供っぽいエストの言葉にオルテンシアが絶句したのが――幕越しでも――わかった。

 会話を続けるかどうか迷ったのか、少しだけ逡巡した雰囲気が醸し出されたかと思うと――結局なにも続けないまま、オルテンシアが姿を見せる。

 それから、満を持して目の前に立ちはだかってきた彼女に、わたしは反射的に平伏しながら慌てて口を開いた。

「あ、あの、ごめ……なさい。あの、ですね、これは……」

「【下僕サーバント】、貴女にひとつ訊きたいことがあります」

「あ、はい」

「馬車に乗ったことはあると貴女は答えましたが、それはつまりただ乗ったことがあるだけで、御者の経験も知識もなかったということですね?」

「…………はい、そのとおりです」

 ダンゴムシみたいに縮こまりながら、わたしは素直に答える。答えるしかない。ああ、こんなことならあの時適当にごまかさず、ちゃんと答えておけばよかったと後悔しながら。

「成程、理解しました。こちらにも確認を怠った不手際もありましたので、ひとまず不問とします。ですが――」

 不問、とのご沙汰に罪悪感は抱えたまま、ひとまずほっと胸を撫で下ろす。そこで、一瞬無防備になってしまったわたしに、

「貴女には【下僕サーバント】として奉仕してもらう必要がありますので、今から私が御者のやり方を教えることにします。貴女が身に着けられるまで終わらせませんから、本気で取り組むように」

「……………………おてやわらかに、おねがいします…………」

 黒ローブでその表情は見せてくれないまま、オルテンシアが死刑宣告をしてくれるのでした。

 それから、容赦ない彼女の指導のもと、みっちりとしごかれる時間がしばらく続きます。

 その熱心すぎる指導に、わたしは影姫時代に聞いた話を思い出しました。

 曰く、今から遥かいにしえの時代に南方の半島にあったとある王国で、配下の兵士の脆弱さに悩んでいた将軍が業を煮やした末に猛特訓を兵士達に課したとか。特訓は苛烈を極め、死人さえ出しながらも三日三晩続けられたという。以来、厳しすぎる特訓のことをその将軍の名前から取り、スパルタと呼ぶことになったらしい、と。

 そう、結論から言います。オルテンシアはまさにスパルタでした――

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