幕間

幕間①

 最後にとっさに伸ばされた手は、けして届くことはないことを――

 呆れるくらいたっぷりと時間が過ぎてからどうにか理解できた私は、そこでようやく伸ばしたままだった手を下ろした。すべてを諦めたみたいに――いいや、すべてを諦めて。

 大きすぎる喪失感を抱えたまま、もう一度だけ移送器ゲートの鏡面に指を触れる。やはり返ってきたのは、拒絶を意味する冷たい感触だけだった。

「――――っ」

 ぎりり、と歯を砕けそうなくらい強く食いしばる。なにもできなかった自分が許せなくて。

 私はアデルの影として生きてきたはずなのに、どうして肝心の場面でそれを貫けなかったのか。彼女の身代わりとして命を捧げるのが私の役目だったはずなのに、どうして一人だけ逃れてしまったのか。だとしたら、なんのために私はあの時助けられたのか――

 そこまで考えたところで、私はひとつため息をついた。切り替えなさいと、自分に言い聞かせる。もしここで私が死んでしまえば、アデルの最期の決断も無意味になってしまうのだから、と。

 無理やり自分にそう命じてから、私は改めて周りを見回してみる。

 見渡す限りどこもかしこも闇に包まれていて、やはりなにも見通せない。どこか遠くの方から獣の遠吠えのようなものが聞こえたのは、気のせいだろうか。頬に触れる空気はひんやりとしていて、少なくとも町や村のすぐ近くではなさそうだから、もしかしたらすぐ近くにも獣がいる可能性も考えられる。

 だとしたらこのままここに留まるわけにはいかないのに、どこに向かえばいいのか決める材料がまったく見当たらない。一歩踏み出すための勇気が湧いてこない。踏み出した途端、奈落に落ちてしまう恐怖イメージが消えてくれない。だから、どうすればいいのかわからない。――まるで、迷子になったみたいに。

「……どう、しよう……どう、したら……」

 動こうと思う頭と動いてくれない体と。左右から同時に誰かに引っ張られてるみたいだ。ただ焦りだけが募って、もどかしく両手を動かし続けているうちに――懐からなにかが滑り落ちる。

 なんだろう? と思って落ちたものを見てみると、それはアデルから預かったままのペンダントだった。土の上に落ちた円形の装身具は、そのまま少しだけ転がって離れたところに止まる。――まるで行き先を指し示すように。

「……アデル、教えて……くれるの……?」

 勝手に勇気をもらったつもりで、そちらに一歩を踏み出す。ペンダントを拾い、今度は落とさないように大事にしまい込んでから、私は思い切ってそのまま歩き続けてみることにした。

 どうやらここは山の中みたいだ。移送器ゲートの周りは開けていたようだけど、すぐに地面に高低差がついたかと思うと、そびえ立つ何本もの木々の間を通り抜けるようになる。

 けれど闇夜の中では足下を照らす光もなにもないので、何度も木の根っこなんかに足を取られて、転んでばかりだ。そのたびにすり傷を作りながら起き上がることを繰り返す私だけど、何度もそれが続いてしまうと、ただでさえ乏しくなっていた気力がどんどん削られてしまう。

 そこにさらに追い討ちをかけるのが、ほとんど先を見通せない真っ暗な視界と――時折遠くからなにかの遠吠えが聞こえる以外は――、なにものの気配も感じさせない凍るような静寂だった。ここには誰もいない、私ひとりだけなのだと。この先もずっとずっとひとりきりなのだと、突きつけてくるような冷たすぎる世界。それが今の私を包み込むすべてだった。

 そして、また木の根っこに引っかかってしまった私は、受け身も取れず地面に転がってしまう。あちこちにできたすり傷からのずきんずきんとした鈍い痛みと、アデルを背負って走り回った疲れが今になって出てきたせいで、起き上がる気力も湧いてこなくなってきたけれど。

「…………アデ、ル……アデ……うぁ……あぁ……っ」

 譫言うわごとみたいに彼女の名前を呼び続けながら、地面を這いずって進み続ける。少しでも前へ、あの子が示してくれた方を目指して。

 土を掻く指先が痛い。走り続けた足も痛い。体中のすり傷も含めてもう全身が痛い。けれど、なによりも心が痛かった。

「……ひっく、ひっく……うぁぁ……あぁぁぁぁ…………っっ」

 気がつけば、いつの間にか目の前がひどくぼやけている。こんなだと前が見えなくて危ないのに、困ってしまう。ああでも、どうせ暗くて明かりもないから、ろくに見えないのは一緒なのか。だったら、このままでもいいか。もう、なんだって。

 ぼんやりと麻痺した頭のまま、体だけ動かし続ける。進み方はゆっくりすぎたけれどそれでも一晩中頑張った甲斐はあったのか、空が白み始める頃にはちいさな街道みたいなところまで出ることができた。

 人の気配がするところに辿り着けたことで緊張が緩んでしまったのか。それとも闇夜を剥ぎ取る夜明けの光に張り詰めていた糸が切れたのか。その辺りで私の記憶は途切れてしまう。


 ――そして、次に私が目覚めたのはドリード村だった。

 いろいろ消耗していた私は数日間村長さんの家のベッド過ごした後、村長さんたちからいろいろ聞かされることになる。

 このドリード村は私がいたスティリア王国の飛び地のようなもので、城が攻められたときに王族が逃げ込める場所であったこと。村人たちはみな、逃れた彼らを助けるために村に集められていたこと。そして、持ち回りで四日おきに誰かが移送機まで状況を確認しに行くことが定められていて、私が逃げてきたのがたまたまその日に当たっていたということなどなど。

 加えて、私の身元がアデルから結果的に託されることになったペンダントにより証明されたことなど(もっとも、本物ではなく偽物だとわかってもらうのには少し時間がかかったけれど)。

 その後、どこに行く当てもない私はこの村で――義母さんセルマの元に引き取られることになる。

 その際に私は、素性が――偽物とは言っても――バレないように髪を短く切り揃えた上で、村人の中に居あわせた魔法使いに頼んで赤から栗色に変えてもらった。呼び名もリアンと、微妙ではあるけれど変えてしまうことで、別人となれるように。

 そうして私は、王女様の影姫からただの村娘として生きていくことになったのだった――

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