最後の家族会議
「――それで、あんたはどうするつもりなんだい?」
食事の後片づけを終えて、一息ついたところに義母が改まった口調で話しかけてきた。そうなることはわかっていたはずなのに、すぐに答えらなかったわたしは、そのまま沈黙を選んでしまう。
【
だからこうやって義母に訊かれるのはあたりまえのこと、なのだけど。突然の勧誘にまだ混乱していたわたしに、その準備はできていなかったらしい。
そんなわたしの様子を見て、義母はわざとだろうか大げさに息を吐き出すと、
「突然のことだし、いろいろ混乱するのもわかるけどさ。最終的に決めないといけないのは、あんただからね。まず自分がどうしたいのかよく考えて、それをあたしに教えてくれる。まずはそこから始めないといけないね」
幼い子を諭すような口調で語りかけてくる。
「……で、これは参考程度でいいんだけど。あたしの意見としては、」
そして、噛んで含めるような言い方で義母が次に口にしたのは、
「あんたはあの二人について行った方がいいんじゃないかと、あたしはそう思うね」
そんな思いがけない一言だった。
「――っ。義母さんは、それでいいの……?」
奥歯をぎりっと噛み締めながら、わたしはたまらず口を開く。
「わたしがいなくなっても、それでいいの? そうしたらこの家は義母さんひとりになるんだけど、それで本当に大丈夫なの? 今回だって、わたしがいなかったら義母さんはどうなってたかもわからないんだよ? 死んでも構わないって言うの?」
涙まで目に滲ませて一気呵成にまくし立てるわたしに、義母はおやおやとばかりに目を丸くすると、柔らかい笑みに穏やかな声音でそっと言葉を返してきた。
「なんだい、不細工な顔してやかましいね。確かにちょっと不覚は取ったけど、あたしがそう簡単にくたばるもんかい。あんたがいようがいなくなろうが、その程度でどうにかなるほどあたしは
なんせ百まで生きるつもりなんだからね――と、今年で四十三になる義母がからからと笑い飛ばしてくる。
「そもそも危なかったのはあんたの方だろ。山で危ない連中に襲われそうだったって聞かされたときには、もう少しで心臓が止まるかと思ったよ。もしも二人が助けてくれなかったら、こうやって話をすることもできなくなってたかもしれないんだからね」
「……ごめんなさい。それはわたしも軽率だったって、反省しているから」
義母の言うように、わたしの命が危うかったのは事実だ。それを助けてくれたのがエストとオルテンシアの二人だったことも。つまり、あの二人はわたしたちふたりの命の恩人ということになってしまうのだと、改めて認識する。
ちなみにまず村を訪れた二人は、そこで義母の症状とわたしの行動を知ると、そのままわたしの後を追うような形で山に向かったそうだ。もちろんわたしがごろつきに襲われることを予想していたはずもなく、ただより強い効能のある薬草を求めてのことなのだけど、そうしてもらっていなければわたしがどうなっていたかを考えると、感謝以外思い浮かばない。
けれど、それが彼らの提案を受け入れないといけない理由にはならないはずだから――
「こほん。えっと、それはともかく。たとえ義母さんがひとりで――わたしがいなくなっても大丈夫だとしても、それがわたしが
あくまで引かない姿勢を見せつけるためにも、わたしはあえて強い口調で言い切ってみた。たとえどんな理由があっても、この村を出るつもりはないのだと。そんな意思を込めてまっすぐ義母を見つめると、義母は視線を逸らすことなくちゃんと受け止めてから、再びおもむろに口を開く。
「そうだね、他のやり方で治療費の問題が解決したとしようか。それで、あんたはどうするんだい?」
「どうする、って……そんなの、今までどおりここで義母さんと一緒に暮らしていくのに決まって」
「それで、あたしの世話をしながら一生をここで使い潰していくつもりなのかい?」
わたしの言葉を遮るような義母の冷たい言葉に、わたしは続く言葉を失ってしまう。
「……そん、なの……」
「あんた自身にそのつもりも、自覚もないかもしれないけどね。端から見てたら、そういう未来図しか浮かばないんだよ。あたしが死ぬまではあたしの世話に明け暮れて、その後はひとりで寂しく死んでいくだけのあんたの人生がさ」
そうしてわたしのこの後の行く末を勝手に決めつけてくる義母に、わたしはたまらず声を張り上げていた。
「ちょっと――ちょっと待ってよ義母さん! たとえ義母さんにだって、そんなこと言われたくないから! わたしのこと、勝手に決めつけないでよ!」
「そうだね。あたしだって、あんたがそんな風になるなんて思いたくないよ」
激高した私とは対照的に、淡々とした口調のまま語り続ける義母。……まるで、感情を押し隠しているみたいに。
「けどさ、だったらあんたはどうしてひとりで山に行ったんだい? レシスの実を取りに行くにしたって、誰かと一緒に行けばよかっただろう? ……今回のことだけじゃないよ。あんたはいつだって自分のことはほったらかしで、誰かのためだけに動こうとするじゃないか。まるで、そうでもしないと自分がここにいる資格はないって、そう思い込んでるみたいにね」
「……っ!? それは――、」
痛いところを突かれたせいで、言い返すことができなくなる。そんなわたしに仕方ないねとばかりに、義母が苦笑を浮かべてみせた。
「この村に――あたしのところにあんたが逃げ込んできて、もう六年になるかね。ちょうどあの人が亡くなってどうしたもんかと思ってたところにあんたを引き取ることになって、最初はあたしも戸惑ったのを今でもはっきり思い出せるよ。なにせ子育てなんてはじめてだったからね、赤ん坊じゃなかったからまだ楽なもんとは言ったって、まともに母親ができるかどうかわかりゃしなかったしね」
「…………」
もしかしなくてもはじめて見せてくれた義母の
けれど、それも長くは続かない。
すぐにまたいつものからっとした笑い顔に戻ってみせてからの、
「ま、そんな不安はすぐに消し飛んだけどね。やらなきゃいけないことはたんまりあったし、肝心のあんたはなかなか打ち解けてくれないから、あたしも意地になってこのわがまま娘をさっさと笑えるようにしてやろうって夢中になって――気がついたら六年だよ。まったく、あたしも年を取っちまうもんだね。まさか
義母の相変わらず飾り気のない口ぶりには、こちらも思わずくすりとしてしまうしかなかった。
そう、この義母の気取りのなさと朗らかさとなによりも優しさに何度も救われてきたことを、わたしは改めて思い出す。同時に心底敵わないなぁとも、思わされてしまう。……もう何度目のことなのかも、わからないけれど。
「あたしが母親として合格かは自分ではわかりゃしないけど、あんたに娘としての合格点くらいはあげられるよ。実際、あんたは誰にも優しくてよく気がつく働き者な、どこに出しても恥ずかしくない自慢の娘だからね。――たとえ、それが罪悪感からくる自己犠牲からのものでしかなかったとしても、さ」
「……義母さん、それは――」
思わず口を挟みかけたわたしを遮るように、手を突き出してきた義母はそれから滅多に見せたことのない慈母の眼差しを向けてくると、
「だからね、リア」
六年ぶりに耳にする――
「あなたがひとり生き残ってしまったことを罪なんだって、そう思うのをやめろなんて言うつもりはないんだけどさ。だからって、自分なんてどうでもいいなんて風に振る舞わられるとさ、見てるこっちの方がやるせなくなるんだよ。少なくとも、あたしはあなたが犠牲になってまでなにかをして欲しいなんて、思ったことは一度もないんだからね」
初めて会ったときの呼び方に戻った義母が――セルマが不意にこちらに背中を向けたかと思うと、懐から取り出した鍵で長櫃からなにかを持ち出してくる。
「これをあなたに返す日が来ないことをこっそり祈ってたんだけど、どうやら今日がその日みたいだね。ちょうどいい機会だから、本当の持ち主に返させてもらうよ」
そう言ってセルマが――義母が差し出してきたのは、掌にちょうど収まるくらいのペンダントだった。表面に鷲の紋章が刻まれた、少し古ぼけたそれを見て、わたしの心がちくりと痛んだ。
「それ……でも、わたし、偽物だか」
「あなたが本物か偽物かなんて、あたしには知ったことじゃないよ。なにせただの一度も姿を見たことがなかったんだからね。あたしがこれを受け取ったのはうちに逃げ込んできたあなたなんだから、それが本当は誰の持ち物かなんてどうでもいいことだよ……今ではね」
反射的に突き返そうとするわたしの言い訳を、義母はお得意の豪快な理屈で吹き飛ばしてしまう。だからわたしは、拒むこともできずペンダントを受け取ってしまう。六年ぶりに触れるそれはとても軽いくせに、とても重く感じられてしまった。
「あたしはしょせん他人だから、偉そうなことは言えないけどね。あなたがそうやって罪悪感に押し潰されて自分を殺し続けるのを、他ならぬ王女様本人だって望んでないんじゃないのかって、あたしはそう思うんだけどね。リア、あなただってそろそろ自分が幸せになることを考えたっていい頃だよね?」
「……わからないよ、そんなの言われたって、わたしには。……義母さんは、そう思うの?」
「ああ、断言してあげるよ。あんたは幸せになっていいんだってね」
なんの迷いも見せず、はっきりと言い切ってくれる義母。その温かい表情と言葉に、わたしは彼女との最期のやりとりを思い出してしまう。
『――さようなら、リア。どうか幸せにね』
今のわたしの在り方は義母が言うように、アデルの最期のお願いを踏みにじっているのだろうか。……わからない。ただ、このままではいけないことくらいは、今の私にも理解できたような気がした。
そう、思い出してみれば六歳と十二歳と、わたしの人生に二度大きな転機が訪れてきたわけだけど。だとしたら十八歳になったこの今に三度目の転機が訪れるのも、わたしの運命として決まっていたのかもしれないなんて、そんな考えも少し頭に過ぎってしまう。
「…………」
だからわたしは強くペンダントを握りしめながら、義母の顔を無言のままじっと見つめ。それから、ゆっくりと口を開いた。
「……うん、わかった。いや、わたしが本当に幸せになっていいのか、そもそもなにが幸せなのかはよくわかってないけど。でも、義母さんがわたしのことをちゃんと考えてくれてることと、わたしは
声が掠れる。震えそうになるのを、必死でこらえる。目が潤みかけるのだけは、止められそうもなかった。
「だから、わたしは、あの二人についていくことにするね。村を出ることになるから、義母さんとはこれでお別れになっちゃうけど、ちゃんと元気でいてね。わたしも、できるだけ、頑張るから」
「ああ、行っておいで。余計な心配しなくたって、あたしはちゃんと百まで元気でいてあげるからさ。あんたは気にせず、勝手に幸せになりな」
少し湿ったような温かい声と、大きくて暖かい体に優しく抱きしめられる。その温もりに応えるように、わたしも義母の体を思いきり抱きしめ返した。
――その日の夜は、久しぶりに義母と一緒のベッドで眠った。義母の元に引き取られてすぐの頃に戻ったように。
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