【救世主】の提案

 そろそろ煮詰まってきた気配に、スープをかき混ぜていた手を止めて一口味見してみた。

「……ん、大丈夫、かな」

 具材に火も通っているし味もじゅうぶん染み渡っている感じなので、そろそろ火力を弱めようと炉にくべた薪の量を減らしておく。

 さて、準備も整ったしそろそろ盛りつけてもいい頃合いだと――そう思ったところで、寝室の扉が開いた。そこから覗いた顔を見て、わたしは少し慌ててしまう。

「ちょっと、義母かあさん。まだ起きてきちゃ駄目じゃない。熱が下がったばかりなんだから――」

「なにを言ってるのさリアン。もう五日も寝たきりだったんだから、そろそろ体を動かしておかないといいかげんなまっちまうよ。それとも、あんたはあたしに寝たきりになってて欲しいのかい?」

「そんなわけっ、……ないから。わたしが、なんで、そんなこと……。もう、本当に心配したんだからね、くれぐれも無茶はしないように。約束だからね、義母さん」

 数日前までベッドにずっと伏せていたはずの義母の、普段どおりの豪快な言動にほっと胸をなで下ろしたりやきもきしたりもしながら、わたしは思わず苦笑をこぼしていた。

 ――目の前の義母が熱を出して床に伏せったのは五日前。その症状から村の薬師は紅熱病と診断を下した。レシスの実が特効薬になるかもと聞き出したわたしは、普段山菜を採っていた時に見かけた記憶があった村の裏山に、すぐさま一人で採りに向かうことにした。

 そこでいろいろあった末に、命の恩人となった二人にさらに効果の高い別の薬草をいただいてしまったわたしは、意気揚々と村に凱旋する。結果はまさに効果覿面てきめんで、あんなに高かった熱も程なく引いてくれた。それから三日ほどはまだ寝込んだままだったのだけど、さすがにそろそろ飽きてきたらしい。

「じゃあ、ちょうどできたところみたいだから、晩御飯にさせてもらうとしようかね。……そういえば、あの二人はどうしたんだい? 姿が見えないようだけど」

「え? ああ、いろんな人に頼まれごとされてるみたいで、今は外に出てるところ。たぶん、そろそろ帰ってくるころだと思うけど……」

 わたしたちが住んでいるここドリード村に医者はいない。一応その替わりとして薬師はいるのだけど、それでも今回のように役立ってくれる保証はないわけだから。薬草の知識が豊富そうな魔法使い(魔女?)様に、村人たちがこの機会にと頼りたがるのは理解できた(わたしだって、時間があれば教えを受けたい気持ちはある)。

 なにはともあれ、二人が我が家にやってきて義母の容態が落ち着いてからの二日はずっとそんな感じだったけれど、それでも食事の時間には必ず戻ってきていたのだから。こちらから呼びに行かなくても、そのうち戻ってくるに違いない、と。

 わたしの予想は外れることなく、件の二人が我が家に姿を見せたのはそれから程なくのことだった。

「ごめんね。少し遅れちゃったかな?」

「いえ、ふたりとも食べ始めたばかりなので、むしろちょうどよかったかと」

 食卓についたばかりの少年と隣の彼女にお椀を手渡しながら、謝罪を口にした彼に問題なしだと返しておく。ちなみに、くだけた口調の彼に対してわたしの口調が硬いのは、距離感がまだ掴めていないからだった。

 出会ってから三日経っているとは言っても、最初はわたし自身義母の看病の方に気を取られていたし、その後もほとんど話す機会がなかったのだからあたりまえだと言えなくもないだろう。

 と言うか、そもそも――

「そういえば、ですね。お世話になっておいて今さらなんですけど、その、自己紹介ってまだでしたよね? お二人をどうお呼びすればいいのかわからないので、お名前を伺ってもいいですか? あ、わたしはリアン=リンツといいます。ほら、義母さんも」

「はいはい、あたしはセルマ=リンツだよ。ま、さすがに命の恩人の名前も知らないのは恩知らずが過ぎるってもんだからね。よかったら教えてもらえないかい」

「あー、そういえば確かに。ごめんね、すっかり忘れちゃってたよ」

 うっかりしてたと続けそうな調子で、ぽっかり大きな口を開ける金髪の美少年。

 なお、隣の魔女様はこちらの会話を聞いているのかいないのか。関心を向けてくる様子もなく、ヴェールは外さないままその隙間にスプーンを入り込ませ、器用にスープを飲み干していたり。……うう、そっとヴェールを捲って素顔を覗き見たい欲求が、欲求が(やったらきっと、あいつらと同じ目に遭うからやるつもりはないけれど)。

「じゃあ、改めまして僕から。僕はエスト=クライス、一応【救世主メサイア】として、各地を旅しています」

「「……………………は?」」

 いきなり飛び出してきた思いがけない言葉に、わたしと義母の二人で揃って間抜け顔を晒すことになった。

 一方、少年――エスト? 【救世主メサイア】?――は口元に微笑を浮かべたまま、視線で隣に続きを促している。それを受けた彼女はおかわりを椀に運ぶ手を止めると、口の中の物を咀嚼しているのかそれとも他の理由があるのか、少しの間沈黙してから、

「…………オルテンシアと、そう名乗っておきます。呼び方は好きなように。後は、そうですね、私は【救世主メサイア】様の従者ということになるかと」

 鈴の鳴るような綺麗な声でそう名乗った。

 明らかに偽名ですと言ってるような自己紹介だけど、それよりも気になってしまうのは二人ともが口にした聞き慣れない単語ことば

「その……お名前はよくわかりましたけど。あの、ですね……【救世主メサイア】ってなんですか?」

 わたしがおずおずと投げかけてみた根源的な問いに、本人たちは仲良く顔を見合わせると、

「【救世主メサイア】とは世界を救う者の名称で、すなわち【我が主マスター】のことですが。他に説明が必要ですか?」

「ちょっと、ちょっと。【師しマス】、っと、ベ――オルテンシア。さすがにその説明は足りなさすぎじゃないかな。いろいろと」

 端的に言い切ろうとしたオルテンシア? を、さすがに見かねたのかエストが嗜めてくれる。

「とりあえず、もう少し詳しく説明しておくと。どうもこの世界のたが? みたいなものが外れかけてるらしくて、このまま放置していたらじきに世界が滅んでしまうんだよね。でも、そのことに気づいてるのって、僕の知る限りだとオルテンシアしかいないから。だから僕と二人で、こうして世界を救う旅に出たっていうわけなんだ」

 細かい説明は省略したけど、大まかにはそんな感じかな――と、相変わらず手袋をはめたままの手でスプーンを小刻みに揺らしながら、一息に説明を終える自称【救世主メサイア】様。

 それを聞いて、信じられないと言いたげに顔をしかめる義母に、

「世界が滅ぶって、いや、いきなり言われてもピンとはこないねぇ。確かにここ十年くらい、西のエルドール帝国があちこちに攻めまくっているようだし、そうでなくても大戦以来ずっと各地で戦続きではあるんだけど。それだってよくある話と言えなくもないわけだしさ」

「あ――でも、そういえば義母さん。若い頃に比べて冬の冷え込みが厳しくなったって、よく言ってたじゃない。それに、小麦や野菜とか凶作になることも増えてきて、あちこちで飢饉も増えてるって話も噂でよく聞かされてるでしょ。世界がどうこうはわたしもすぐにピンとは来ないけど、つまりはそういうことなんじゃないかな?」

 なんとなく思いついた例を挙げてみる。ちらりと二人を窺うと、正解だったのか満足そうに口元を緩める金髪の少年の姿が見えた。

「お嬢さんの言うとおりですね、セルマさん。もちろん、まだそこまで酷いことにはなっていないので、気にしてる人はそういないですけど。でも、このままだと日照りや大嵐、大雪や地震みたいな災害が次第に増えていき、何年、何十年後には世界全体が崩壊してしまう恐れがあるんです。少なくとも、その予兆はこうして現れていますから」

 その言葉に思い出されるのは、彼らと出会うきっかけになったあのごろつきたちの姿。飢えに耐えかねて荒事に手を染めようとしていたあの姿も、つまりは世界崩壊の予兆のひとつなのだと、そういうことなのだろうか。

「はぁ、なるほどねぇ。実際どうなのかはあたしにはわからないけど、あんたらがそう信じてるってのはよくわかったよ。で、その【救世主メサイア】様がこんな辺鄙へんぴな村に来たってことは、その外れかけてる箍? みたいなものがこの辺りにあったってことなのかい?」

「そう、ですね。そう考えてもらえればいいかと」

 若干口を濁すような気配も見せながら、端的に義母の言葉を肯定する【救世主メサイア】様。

 今は口元が少し歪んでしまっているけど、普段見せている柔和な表情は対面する相手に安心感を与えてくれるはず。さらに短く切り揃えられた金髪は清潔感を、澄んだ碧眼は透明感を、整った顔立ちは高潔感を同じように与えてくれるから、確かに【救世主メサイア】と呼ばれても不思議じゃない気もしてしまう。

 義母が素直にこんな荒唐無稽な話を信じる気になったのも、きっとその辺りが原因なのだろう、と。

 わたしがそう結論づけて、与太話めいた自己紹介も終わったから食事に戻ろうと思ったところに、

「――ですから、これもひとつの縁ということで。その世界を救うための僕たちの旅に、お嬢さんも一緒についてきて欲しいと思っているんですが。二人とも、それで構わないですか?」

 その【救世主メサイア】様から衝撃発言が飛び出してきた。

 え? どういうこと? なんでわたし、誘われてるの? なにもできないのに、どうして?

「……えっと、え? え? え? あの~……」

「……こりゃまた、いきなりだねぇ。どうするか考える前に、まずは聞かせて欲しいんだけどね。なんでこの子を連れて行こうって思ったんだい? 大事な旅なんだよね?」

 頭が真っ白状態の私に代わって、義母が顔をしかめながら聞きたかったことを聞いてくれる。

「そうですね、とても大事な旅だと思います。だからこそ、僕――いえ、僕たちがお嬢さんについてきて欲しいと思ってるのは、本気だということになりますね」

「私と【我が主マスター】の二人だけでは、旅を続けるのに手が足りないことが多いと実感してきましたから。ですから、誰かもう一人従者として雑用――いえ、私の補佐をしてくれる者がいたらと、思っていたところに渡りに船といったところでしょうか」

「えっと、お二人が雑用が――ではなく、従者をもう一人欲しがっているのはわかりました。でも、それがどうしてわたしになるんでしょう? 自慢じゃないですけど、わたし力もそんなにないですし、手先も不器用な方だと思いますからお役に立てるとは思えないですよ」

 謙遜ではなく本気でそう思って断ってみたわたしだけど、それで簡単に諦めてくれるような人たちではなかったらしく。

「まぁ、一番の理由は縁が合ったからになるんだけどね。それだけでもなくて、他にもいろいろとあるんだけど、そうだね、一番わかりやすいのはこれかな」

 淡々と説得を続けてくるエストが、中味スープも残り少なくなった大鍋を指さしてきた。

「? ……え、スープ、ですか?」

「うん、そうだよ。これを作ったのはキミなんでしょ? とても美味しくて気に入ったから、できれば旅の間もキミの料理を食べてみたいと思ってね。それがキミを従者にとお願いしたい理由のひとつなんだけど、どうかな? ……オルテンシアも気に入ってるみたいだし、ね」

「……その意見に、私が賛同するつもりはありませんが。それでも、もし貴女がまだ同行を渋るというのなら、貴女の母親の治療費代わりという形を提案させていただきます。万寿草とタラニクの根、けして安くはありませんよ」

「…………う゛ぅ゛……」

 二人の連携攻撃に、わたしはぐうの音も出せなくなる。

 エストの出してきた理由は、嬉しくはあるけれどまだ断りようはあった。けれど、オルテンシアの方に抵抗できる方法なんて、わたし(の家)が持ち合わせているわけがない。

 確かに義母の亡くなった旦那さんは村の有力者の一人だったから、我が家はそれなりにゆとりのある生活はできているけれど。値の張る薬草代をぽんと出せるくらいに、裕福というわけではないのだから。

「あぁ、確かにそこを持ち出されると痛いところだねぇ」

 それは義母だってなにも変わらない。だから少し困った顔をしながら、言葉を曖昧に濁して。

「ただ、世話になったのはあたしの方だからさ。この子にその肩代わりをさせるっていうのも、母親という立場的にはちょっと抵抗があるわけなんだよね。だから、さ――。一晩考える時間をくれないかい? 二人でよおっく話してから、ちゃんと結論を出したいからね」

 そんな風に時間稼ぎをするくらいしかできやしない。

 そうして、ある意味では卑怯と取れなくもない義母のその提案を、

「そうですね。いきなりの提案でしたから、すぐに結論を出せというのも難しいのはわかります。こちらも時間はさしあげたいと思いますから、どうぞ、じっくりと考えてくださいね。その上で、色よい返事をいただけるのを期待しています」

 【救世主メサイア】様は爽やかすぎる笑顔で、快く受け入れてくれるのだった。

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