序章 旅立ちは突然に
出逢いは嵐の予感
――懸命に手を伸ばすけれど、もう少しのところでどうしても届きそうもない。高く伸びた枝の先で揺れる赤い木の実に、わたしの指が触れることはできないようだ。
「あと、もう少し、なのに……っ」
これでも女の子としては背が高い方なのだけど、それでも届かないという事実が恨めしい。一瞬だけ男に生まれていれば、という思いが過ぎってしまうものの、そんな埒もない妄想は一旦棚に上げてから、わたしはどうしたものかと思い悩む。
まず、諦めるという選択は現状ありえない、ありえるわけがない。だとすれば、まず考えられるのはなにか道具を使うことだけど。
村から離れた山の奥深くまで入ってしまっているから、今から取りに戻るのは厳しいだろう。そこらの枯れ枝を棒代わりに使うのは、実を潰してしまう危険があるからやめておきたい。猿みたいに木登りするのも――できなくはないかもだけど――、登ったところでそこから実まで手が届きそうもないから、これもダメ。
ではどうしたらいいのかと――悩み続けるわたしの耳に、いきなり背後から野太い声が届いた。
「なんだ嬢ちゃん。あの実が取りたいってか? だったら、オレが取ってやろうか?」
「――――っっ!?」
思考に集中しすぎたせいで、誰かが近づいてきたことに気づけなかったらしい。その事実に芽生えた危機感が、声の主の姿を見て一気に膨れ上がってしまう。
声をかけてきたのは、いかにも流れ者――ごろつきといった風体の男だった。しかも一人ではなくて、同じような格好をしたのが合わせて三人もいる。
そして、最悪なことに、彼らはそれぞれ
「……いえ、大丈夫です。ご厚意はありがたいですけど、知り合いでもない方にそこまでしていただくのも申し訳ありませんので、お構いなく」
だから、彼らを刺激しないようできるだけ平静を装って、わたしはそう答える。気づかれないよう少しずつ後ずさりしながら。
けれどその懸命な努力も虚しく、彼らはなおもしつこく絡んできた。
「おいおい、遠慮なんざしなくていいんだぜ。困ったときはお互い様だからよ。だからな、オレらがその実を取ってやる代わりに、嬢ちゃんの村まで案内してくれや。見ての通り、食いもんが尽きて正直どうするかって悩んでたところだったからな」
「……ええと、その、すみません。村まで一緒にっていうのは、その、無理なので。できれば、わたしのことは、気にしないでください。それで、お願いできませんか?」
なるほど、改めてよく見れば男の言うとおり、三人ともみすぼらしく薄汚れた格好をしている。食い詰めている証拠に、全員頬が痩せこけているのも見て取れた。
けれど、その事実はわたしになんの幸運ももたらさない。空腹に追い詰められているということは、なにをしでかすかわからないということだ。もしもこんな連中を村に連れて行ったら、ひどいことになるのは目に見えている。
たとえわたしがどんな目に遭ったとしても、それだけは避けなければいけない、と。そう覚悟を決めて彼らの提案を拒絶するわたしに、剣呑な目を向けてくる男たち。手に持った剣や鉈をこれみよがしにぶらぶらさせながら、こちらに数歩近づいてくる。
「おいおい、嬢ちゃんよ。そいつはちょっと、つれないってもんだろ。こうやって低姿勢で頼んでんだから、もう少し親切にしてくれてもいいんじゃねぇか」
「――か弱い少女ひとり相手に、大の男が三人がかりで武器を片手にすごんでるのに、親切にしてくれはないと思うんだけどね。せめて、武器はしまっておくくらいの配慮は必要じゃないのかな?」
「「…………は?」」
そこに突然、前触れもなくかけられた
慌てて振り向くと、そこにはさらにもう二人の姿があった。その内の一人――男の方だろう、声をかけてきたのは。
きっと二十歳は超えていないだろう、せいぜいわたしと同じくらいの年頃に見える、金髪碧眼の美少年。旅の備えとしてなのか、白い
そんな少年がわたしに向けてにっこりと微笑むと、堂々とした足取りでそのままこちらに近づいてくる。
(え? ……え? え? え?)
混乱して立ちすくむわたしの目の前まで来たかと思うと、しかし、彼はなにもなかったようにただ横を通り過ぎていった。それから少しだけまっすぐ進み、わたしがごろつきたちに声をかけられたところで立ち止まると、軽く伸びをして手袋をはめたまま赤い木の実を簡単に摘み取ってしまう。
「これでいいかな? えっと……
「え? あ、はい、ありがとう……ございます?」
あたりまえに木の実を手渡してきた彼につられて、疑問形のお礼が勝手に口からこぼれ落ちた。そんなわたしと同じく予想外の状況に呆けていたごろつきたちも、そこで我に返ったのか、口々に文句を言い立ててくる。
「ちょいと待ちな、兄ちゃん。いきなり横から口出してきたかと思ったら、なにしてくれてんだ? 関係ないやつが余計なことしてんじゃねぇぞ」
「女の前だからって粋がってんじゃねぇよ、クソガキが。なにが『しまっておくくらいの配慮』だ。てめぇだって似たようなの腰にぶら下げてんだろうが。それとも、その大層なモンはただの飾りかぁ? なんならオレたちが剣の使い方を教えてやってもいいんだぜ」
口汚く罵り、挑発してくるごろつきたちを平然と見返すと、少年は少し
「大した口ぶりですね。よほど腕に自信があるようですが、いいでしょう、代わりに
すると、わたしの背後からまたも別の――今度は女性の――声がした。そして、やはり同じように誰かがわたしの横を通り過ぎて、目の前で立ち止まる。
真っ黒なローブに頭から足下まですっぽり包まれている上に、顔もヴェールで隠されているからぱっと見で性別はよくわからなかったけれど。背の低さからなんとなく女性と思っていたのは、正解だったらしい。声の感じからするとまだ若くて、わたしからは十も離れていないように思えた。
そんな彼女(?)の挑発に、大の男たちが黙っていられるわけもなく。
「へっ、偉そうに言いやがって。その言葉、後悔させてやるから覚悟しな」
額に青筋を立てて武器を構えながら、三人ともローブの人へとにじり寄っていく。
そんな風に今にも男たちに襲いかかられそうだというのに、慌てた様子を見せる様子もない彼女に向けて、見学状態の少年がのんびりと声をかけた。
「【
「
呼びかけに応えながら、ローブの袂から杖を取り出してくる
すると、少年がわたしの傍まで近づいてきて、目の前を塞ぐような位置に立つ。これから起こることを、わたしには隠して見せないようにするみたいに。
――音はしなかった。悲鳴も、破壊音も、なにも聞こえなかった。本当に静かで、なんでもないような時間があっさりと過ぎ去って。目の前の少年が横にずれて解放された視界には、ローブを纏った彼女以外の人影はもう見当たらなかった。
さっきまでそこにいたはずの三人の男たちが、忽然と消えてしまっている。まるではじめから、そこに誰もいなかったみたいに。せいぜい彼らがいたはずの地面が少し乱れているのが、わずかに残された痕跡と言えるくらいか。
……本当に、なにがなんだかよくわからないけれど。ひとまずは助かったと、考えていいのかな?
「おつかれさま、ありがとね」「いえ、それが
少年から簡単な
手に持ったままの杖と今起こった――現実離れした――現象からすれば、彼女が魔法使いであることは間違いない。その気になれば、わたしなんて簡単に殺してしまえるくらいに凄腕の。
そこまで考えてしまったわたしは、思わず背筋を伸ばして敬礼してしまう。本音を言えば両手を挙げて降伏宣言をしたかったけれど、さすがにそこまでする蛮勇は持ち合わせていなかった。
「あ、えと……その、」
「――成程。レシスの実は確かに紅熱病に効きますが、劇的な効果を期待できるほどではありません。今の彼女の症状だと、それよりもこちらの万寿草とタラニクの根の方が効き目が強いはずなので、これらを煎じて飲めば早く回復できるでしょう」
そんな奇行なんてどこ吹く風といった風情で、ローブ姿の魔法使いが袖から取り出してきた薬草をわたしに手渡してくれる。
「えっと、あの……ありがとう、ございます?」
なのに、さっきから畳みかけてくる予想外の事態続きに戸惑うわたしは、お礼を言うのも疑問形でしかできなかった。ああ――我ながら、なんて情けないことだろうか。
「そうだね。とりあえずここまで来た目的は果たせたことだし、すぐに村まで戻るとしようか。そうした方が、キミもキミのお母さんも安心できるよね?」
「あ、はい、そうですね」
そして危ないところを突然現れた旅の二人に助けられたわたしは、なんだかよくわからないまま村に戻ることになったのだった。もちろん、命の恩人である二人と一緒に。
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