beautiful ruin's world~影姫、《救世主》、《滅びの魔女》と救世の旅を始めること~
藤倉 一至
プロローグ
聞き慣れない剣戟の音が、絶え間ない怒号が、断末魔の叫び声が城内に鳴り響く中、それから逃れるために私は――私たちは石畳の通路を駆け巡っていた。息を切らし、無我夢中で。
狭い地下通路を走り抜けた先に待っていたのは、行き止まりにしか思えないどん詰まりの石の壁。背負ったままの彼女の指示に従い、壁にあった窪みに彼女から預かったペンダントを嵌め込むと、がたんとなにかが動く音がして左側の壁が開いた。
ペンダントを忘れず回収してから、ぽっかりと開いた空間に急いで飛び込んで、再び狭い通路を走り抜ける。硬い足音が後をつけるように耳に飛び込んでくるのが、恐ろしかった。まるで死神の足音みたいで。
そして、私には焦れるくらい長い時間に思えたけれど、実際にはそれほどではなかっただろう時間が過ぎて。懸命に走り続けた末に、小部屋のような空間に辿り着く。
そこにあったのは、大きな姿見のようなものだった。
ただ普段見慣れているそれと違うのは、鏡を張っている面がまるで水面のように波打っていることだろう。
指さして確認する私に、頷いて肯定する彼女。それでようやくほっとできた私は、ひとまず背負っていた彼女を床に下ろす。もちろん、優しく、丁重に。
それから――少しだけためらってから、思いきって鏡面に手を伸ばした。本当の水面のように腕が沈みこんでいく。その先がどうなっているのかわからない恐怖を押し殺して、一気に顔も突っ込んでみたけれど、夜だからか周りは闇に包まれていて状況はよくわからない。
それでも、すぐそばまで迫ってきている危険に比べれば、まだましなはずだろう。
だから私は一旦体を鏡の向こうから引き戻すと、そのまま彼女へ手を差し伸べた。すぐに、いつものように手を握ってくれることを疑いもせずに。
なのに――どうしてだろう。彼女がその手を取ってくれることはなかった。
「……どうしたの? 急がないと、もう時間が――」
「ごめんなさい。私は行けないわ」
一瞬、彼女がなにを言ったのかわからなかった。私はただ、彼女の闇の中でも白く浮かび上がる綺麗な顔を見つめたまま、凍りついてしまう。
「逃げるのはあなただけ。私はここに残ります。……そういうことよ」
「……待っ、て。待ってよっ。どうして、そうなるの? ここまでこれたんだから、いっしょに逃げればいいでしょ?」
「それは無理だから。……私のこの体では、あなたの足手まといにしかなれないでしょ。だから、逃げるならあなた一人がいいわ。それに――」
肩まで届く赤い髪に誰よりも澄んだ鳶色の瞳。私と同じ顔、同じ髪色、同じ色の瞳を持ったまだ幼い――と言っても、わたしと同じ年のはずだけど――少女が、その幼さに似合わない大人びた表情で、静かに言葉を紡いでいく。残酷に過ぎる、言葉を。
「私は逃げるわけにはいかないの。お父様とお母様の、国王陛下と王妃殿下の娘なのだから。最期まで一緒にいないといけないでしょ?」
「そんな!? アデルが残るなら私だって――」
「あなたはだめよ。だってあなたは、…………」
それに続く言葉に返す言葉を、私は持ち合わせていなかった。それは確かな事実で、彼女と私をはっきりと分かつものだったから。
だから私はそれ以上口を挟めないまま、ただ彼女の最期の言葉に耳を傾けることしかできなくなったのだった。
「私はこんなだったから、あなたにはずいぶんと迷惑をかけてしまったわね。それでも私は貴方と過ごせたこの六年とても楽しかったから、あなたもそうだといいけれど」
「…………っ」
「積もる話もいろいろとあるのだけど、時間もないことだから無駄話はやめにしましょうか。お別れは綺麗にしないと、ね。――この六年、私と一緒にいてくれてありがとう。でも、ごめんさない、残念だけどここでお別れみたい。だから、これが最期のお願いよ」
眼を細めて、くすりと笑みがこぼれ落ちる。それから、彼女は無防備な私の胸を、そっと押した。か弱く、力の全くこもっていない、いつもの弱々しい手つきで。
なのに――どうしてなのか。
「――さようなら、リア。どうか幸せにね」
私は耐えることもできず、そのまま後ろに倒れてしまう。疲れ切った無力な体はそのまま鏡面に再び沈み込み、視界がまた闇に包まれた。そして波打っていたはずの鏡面も、やがてただの平面に変わっていく。それで、すべてが閉ざされたのだと、私は理解する。
最後にとっさに伸ばされた手は、けして届くことはないままに――
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