@chased_dogs

 なぜだか気になって、目を覚ました。

 ひんやりとした空気が頬を通り抜け、肺に広がる。

 少し顔をあげると、鏡の端にきらりと金色に光るものが見えた。

「なんだろう?」と思い僕は鏡に映るものを見ようとした。


 女の子がいた。

「だれ?」

 僕が訊ねると女の子はただにこりと笑った。そして僕のおでこのあたりに手を当てると、パッと消えてしまった。

「えっ」

 女の子のいたあたりには、金色の影法師が蠢いている。じっと見ていると影は渦を巻き、渦の一つ一つからキノコのようなものがすうっと伸びたかと思うと、キノコはさっきの女の子の形になった。キノコの数だけ女の子がいて、いつの間にか僕はたくさんの女の子に囲まれていた。

 そうかと思うと女の子はスタスタと部屋の外へ行ってしまった。


 しばらく呆気に取られていたけれど、外はすっかり明るくなっているし、起きなければ。そう思って身体を起こすと、僕は信じられないものを見た。

「か、顔が!」

 僕の顔が、鼻のあったあたりにキュっと集められたみたいに小さくなっていたんだ!

「きっとあの女の子に顔の大きさを取られちゃったんだ……!」

 僕はブツブツと呟きながら、大急ぎで女の子を探す支度をした。


 幸い女の子はすぐ見つかった。誰もいない家の中で、みんな好き勝手に遊んでいたのだ。

「ね、ねぇ!」

 勇気を出して女の子に声をかける。何人かが僕の方をちらりと見た。

「顔を、僕の顔を元に戻して!」

 僕が言うと、

「いいよ。でも、これ読んで?」

 と一人が言った。手には絵本を持っていた。

「わかった」

 僕は絵本を受け取り、リビングのソファに腰掛けて絵本を読み始めた。

「あるところに、黒いおじいさんと白いおじいさんがいました。黒いおじいさんがまるパンを転がして遊んでいると、白いおじいさんがお腹を空かせてやってきました――」


 ――そうして絵本を読み終えると、女の子は

「ありがと。これ返すね」

 といいにこりを笑った。そうかと思うと長細いキノコのようになり、どんどん縮んでくるぶしくらいの高さになると、パッと光を残して消えてしまった。

 それから、顔のあたりがムズムズとし、少しだけ顔が大きくなったような感じがした。

 玄関の鏡を見てみると、さっきよりもほんの少し顔が戻ったような気がする。女の子は何人もいたけど、全員から顔の大きさを返してもらわなければだめみたいだ。


 バタン、と冷蔵庫のあたりから音がしたので見てみると、女の子が瓶を抱えて座っていた。

「開けて?」

 僕は瓶――中身はいちごジャムだ――を受け取り、瓶の蓋を開けようとして、はたと気づいた。

「開けたら顔を返してくれる?」

 僕が訊ねると、女の子は

「いいよ。開けて?」

 と答えてくれた。

 冷たい瓶の蓋を握りしめ、ぎゅっと力を込めると、蓋はゆっくりと滑りはじめた。それを何度か繰り返すと、カポン、と軽快な音を立てて蓋が開いた。

「はい、どうぞ」

 と瓶を渡す頃には、女の子はいつの間にかトーストとバターナイフを持っていた。そのまま女の子は、ジャムを瓶からとってトーストに塗ると、美味しそうにトーストを頬張った。

「はい、どうぞ」

 トーストを食べ終わると、女の子はバターナイフとジャム瓶、それからトースト1枚を僕にくれた。

「あ、ありがとう」

 それで僕もジャムをトーストに塗って齧ってみた。顔が小さいと口も小さいので、どうしてもぎこちない食べ方になってしまうけれど、なんとか食べられた。

「おいしい?」

 女の子が聞くので、僕はうんと頷いた。

「じゃあ、顔を返すね」

 そういうと女の子はまた、しゅうっと萎んで消えてしまった。それと同時に、顔がムズムズと大きくなったのを感じた。


 ジャム瓶やバターナイフを片付けていると、ドサドサ、と何かが崩れる音がした。音の方を見やると、本棚から本が何冊か落ちていた。

「迷路やらない?」

 いつの間にか僕の後ろには女の子が立っていて、迷路の書かれた本を持って来ていた。

「私に勝ったら返してあげる」

「迷路で勝つってどうやるの?」

「先にゴールしたら勝ち。じゃあ始めるね?」

 そう言って女の子は開いたページに指を置いた。慌てて僕もその横に指を置く。そして合図もなしに女の子は指を動かし始め、鼻歌まじりに迷路を進んでいった。この迷路は僕も何度も遊んだことがある。だからゴールへの行き方は分かっていた。けれど迷路の道が狭すぎて、女の子の指が先にある以上は追い抜くことができなかった。

「ゴール。私の勝ち」

 結局、僕は追い抜けずに負けてしまった。

「もう一回やる?」

「やる。次、僕が勝ったら顔を返してくれる?」

「勝ったらね」

 女の子はそう言うとページをめくって別の迷路を開いた。今度は道も広いから追い抜けそうだ。

「じゃあ、」

 二人ともスタート位置に指を置く。

「はじ――」

 ――「め」を言い切らずに女の子は指を動かし始めた。僕も後からスタートする。

 女の子の方は「あ、違った」とか「こっちじゃなかった」とか、行き止まりの方に進んでいた。僕の方は正しい道筋を逆算しながら指を動かしていく。

「やった、ゴールだ!」

 これで顔の大きさが元に戻る、とそう思ったとき、

「もう一回やる?」

 と女の子が言った。

「えっ。でも僕、勝ったから……」

「もう一回やろ? してくれたら返してあげる」

「えっ、でもゴール……」

「ねっ?」

「……」

 結局、もう一度だけ迷路で遊ぶことになった。次の迷路はまた負けてしまったけれど、約束通り顔の大きさは返してもらえた。


 部屋はとうとう僕ひとりっきりで、誰もいる感じがしない。だけど玄関の鏡を見ると、まだ僕の顔は小さいままだ。

「外に出ちゃったのかも」

 僕が独り言を言っているその横で、ガチャっとドアの開く音がした。見ると女の子が鍵を開けて玄関に入ったところだった。女の子は僕を見るなり、

「お散歩行こう?」

 と言った。女の子が真っ直ぐ僕を見て言うので、僕はちょっとびっくりしたけれど、顔を返してくれるならと返した。

「いいよ」

 女の子はそう言うと僕の手を取って歩き出そうとした。

「あ、待って! 鍵!」

 僕は慌てて家の鍵を閉めながら、女の子に引き摺られるように外へ出たのだった。


 それから女の子とは色々なところを歩いた。水車小屋のある公園や、たくさんの梅の木の並ぶ公園、ちょっとしたお茶室とその横の池、大きな川を渡す飛び石の上、鬱蒼とした竹林の中の小道、などなど。パン屋の移動販売車の音が聞こえる頃には、お昼はすっかり過ぎていて、僕たちのお腹はすっかり空いていた。


 パン屋の前まで来ると、パンを買う子供たちで行列ができていて、その中にはあの女の子の一人が並んでいた。

「これと、あと、あれが欲しいの」

「私はこのパンが良い」

 女の子たちは僕の顔を見るとあれこれ注文をしだした。上着のポケットを見ると、少し前に貰ったお年玉の500円玉が2枚入っていた。

「すみません、このクロワッサンと、メロンパンと、このシャルロトカと、あとロシアパンを一つずつください」

 僕はなけなしのお金をパンに替えると、女の子たちにパンを渡した。

「あっちの椅子で座って食べよう」

 僕が言うと二人は何を言うでもなくついてきた。

「パンを買ってくれてありがとう。食べ終わったら顔を返すね」

 椅子に座るなり女の子の一人が言った。

「うん。ありがとう」

 なぜだかその時、僕はお礼を言いたい気持ちになっていた。それから僕たちは何も言わずにただパンを食べた。


「ごちそうさま」

 言うなり女の子は消えていなくなり、また僕の顔がムズムズしだした。

 パンを食べ終わる頃には、日が傾いて空に夕焼けが見え始めていた。

「じゃ、帰ろうか」

「うん」

 それから僕たちは寄り道せず、まっすぐ家に帰った。


「ただいま」

 玄関に入ると人気ひとけない家に向かって挨拶をした。

「おかえり」

 後ろから声が返ってくる。

「おかえり」

 僕もオウム返しに言うと、

「ただいま」

 と女の子は言った。僕は返す言葉が見つからなくって、先に靴を脱いで家に上がった。女の子も何も言わずついてきた。

「散歩が終わったら、それでお終い?」

 居心地が悪くなって、僕は唐突にそう訊ねた。

「……眠たくなったからベッドを貸して」

 女の子はぼんやりした顔でそう答えた。


 ふらふらする女の子を支えながら階段を上がるのは、想像するよりずっと大変だった。階段を二人並んでは上がれないし、一歩一歩の歩調は合わないし。それでもなんとかベッドに辿り着き、女の子を寝かせることができた。それからベッドの横にクッションを敷いて座り、女の子が満足して起きるまで待つことにした。


 夕陽もなくなり、段々と足元が寒くなる。女の子はまだすうすう寝息を立てている。じっと女の子の様子を見ているだけというのは根気が要るもので、次第に「あ、歯磨きしてなかった」とか「服を着替えたいけど、着替えてるときに女の子が起きたら嫌だな」とか些細なことが頭に浮かぶようになった。そのうち僕は、じんわりと墨を零したように目の前が暗くなっていくのを感じた。


 目を覚ますと僕はベッドに寝ていた。外はまだ暗く、ベッドの横には誰もいない。

「顔は返してくれたかな?」

 ペタペタ顔を触ってみる。たぶん元通りだと思う。よかった、と思うと眠気がいや増して、もう一眠りしようという気持ちになった。そう決心が固まると途端に何かが顔をペタペタと触る感じがした。しばらくは眠さが勝っていたが、次第に気になり始め、目を開けてしまった。

「わっ」

 眼の前にあの女の子がいた。びっくりして起きあがろうとすると、おでこ同士がコツンとぶつかった。目の前に星が散り、床に落ちていく。床からはキノコが生え、女の子に変わり、そしてまた僕の顔は小さくなっていた。

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