天草鉄道物語
清水らくは
天草本渡駅レンタサイクル
1-1
天草
始発列車は6時ちょうどの三角行の快速である。始発が快速というのは珍しいと思われるだろうが、これには事情がある。天草鉄道は天草本渡から三角を結ぶ路線だが、JR三角線を乗り継げば熊本市内まで行くことができる。通勤、通学に利用できるようにと、始発列車は松島町駅以外を通過して、6時55分に三角駅に到着するのである。
ちなみに、普通だと1時間10分の道のりである。最初の普通は6時50分発。これを過ぎると、3時間に2本の頻度で天草鉄道は運行されている。
下りの始発普通は8時ちょうどに天草本渡駅に到着する。こちらは池島駅と前島駅には停車しない。本渡への通学、通勤に利用する人々が乗っているのである。
折り返し7時10分発の三角行き普通列車を見送ると、僕の特殊な仕事が始まる。これがあるから天草鉄道に採用されたと言ってもいいかもしれない。自転車の点検である。
天草本渡駅にはカフェとレンタサイクルがある。カフェはスペースを貸しているのだが、レンタサイクルは天草鉄道が直接運営している。そのため職員が自転車の管理をしなければならない。
レンタサイクルの営業開始は9時から。9時15分着の列車が到着すると、心構えが必要となる。実際には10時台以降からの利用が多いのだが、旅人というのはぶらりとやってくるものである。
とはいえ、9時台の利用というのはめったにない。そんなわけで、ちょっと気が抜けているのも事実である。
「あの……」
一人の女性が、改札からこちらを覗いている。
「はい、どうしましたか」
「自転車を借りたいんです」
「ありがとうございます。電動と普通のがありますがどちらにしましょうか」
答えながら、何か違和感があった。初めて会った気がしないのだ。
「電動って、楽なやつ? 高いの?」
「楽ですよ。4時間1200円です。普通のは1000円」
「そうなんだ。4時間あれば大丈夫かな」
「どこまで行くんですか?」
「第三病院。バスがあると思ってたけど、この時間なくて」
「あー、さっき行っちゃいましたね。確かに意外とないんですね……あ、安斎さん?」
「え、あー、町田君だ!」
違和感の正体は、知り合いだということだった。女性は、高校の同級生だったのである。
「安斎さん、確かに本渡って言ってましたもんね」
「そうそう。あれ、町田君はこっち?」
「いや、たまたま就職」
「そうなんだー」
「実家に帰ってきたんですか?」
「そ。離婚しちゃって。あ、ごめん、仕事中だよね。自転車どこ?」
僕は、冷静にレンタサイクルの準備をしているのを装いながら、内心とても動揺していた。同級生が、離婚? 僕には結婚の機会もなかった。まだ、高校を卒業して五年しかたっていないのだ。いやまあ、五年もあれば結婚して離婚するには十分と言われればそうなんだけど。
「必ず鍵はかけてくださいね。あと、四時間は持つはずですけどこちらのランプがすべて消えたら充電が必要です」
「わかった。ふふ、町田君、敬語だ。あ、でも高校の時もそんな感じだったっけ?」
「え、いやー」
正直、高校生の時は安斎さんとはあまり話したことがなかった。安斎さんは明るくて人気者で、「所属が違う」人だったのだ。
僕は、地味なタイプのメンバーと地味に過ごしていた。早く家に帰って自転車で出かけたい、日々そう思うような高校生だったのである。
「うん、よさそう。ありがとうねー」
「では、六時間まで……だぜ」
「なにそれっ、じゃあ、またあとで」
小さく手を振る僕と、腕を大きく振る彼女。
冷静になって、思う。レンタサイクルで病院行く人ってかなり珍しくね?
11時50分。白い1両編成の列車がホームに入ってくる。
そこから人が下りてくることはない。逆に僕が乗っていく。
中には野菜をはじめとして、いろいろなものが箱に入って置かれている。値札もついていて、買い物カゴもある。これは、「物産販売列車」と呼ばれ、一部からは「動く道の駅」と呼ばれている。確かに売っているラインナップはとてもそれっぽい。
かつて、スカスカだった昼間の列車を見て駅員の一人が思いついたものらしい。途中駅では約20分ずつ、そしてここ天草本渡駅では1番線ホームの奥に停車して、二時間ここで開店する。そのあと車庫に入り、明日は三角駅で「天草物産店」を開くのである。
なんでも、関西の方で魚を運ぶ「鮮魚列車」があるのを知り、かつての社員が思いついたらしい。乗客が少ないなら、乗客を乗せない列車を作ればいい、というわけだ。
列車はホームの一番奥に止まる。ここは「0番ホーム」と呼ばれ、特別な改札口が設けられ、鉄道を利用しない人も入れるようになっている。こうして週に三日、天草本渡駅では市が開かれるのである。
「町田くーん」
改札に戻ってきたタイミングで、元気な声が聞こえてきた。
「安斎さん」
「病院行けたよ」
「良かった」
「今、何やってるの? 積み下ろし?」
安斎さんは物産販売列車の方を指さした。確かに今出てきた人は、野菜の入った大きなケースを持っていた。車で来て大量に買い込む人もいるのである。
「あれはお店ですよ。熊本の野菜とか」
「へー! カフェもあるし、いろいろあるんだね。列車使わなかったから、気が付かなかった」
「良かったら見ていってください」
「うん。あ、自転車はここでいいの?」
「いいよ。片づけときます」
跳ねるようにして安斎さんは物産販売列車の方へと走っていった。しばらくその後姿を見ていた。
「そういえば、私服初めて見るな」
高校生の時を思い出す。地味な制服で、近所ではダサいと言われていた。僕は、ダサいのを制服のせいにできるので好きだった。
「買いすぎちゃった!」
しばらくしてやってきた安斎さんは、両手に大きな袋を抱えていた。中には野菜や調味料が入っているようだ。
「面白いでしょ」
「うん! 全然好きじゃないのに、懐かししいからからしレンコン買っちゃった」
満面の笑み。
そんな彼女が、どんな経緯で離婚することになったのだろうか。それを聞けるほどには、親しくはないのである。
「はは、あんまり普段は食べないよね」
「そうそう。歩いて帰らなきゃいけないのに。私、自転車かおっと。じゃあまたねー」
そう言うと、安斎さんは袋をぶんぶんと振りながら去っていった。
「からしレンコン、買っとこうかなあ」
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