福音、「ハイ」と答えなさい

@touya0116

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 時刻は平日の夕方15時。人もまばらで静かなファミレス店内。客は、お婆さん。子供連れの母親。それに、くたびれたサラリーマンの私。後ろでささやかにBGMが流れ、窓から陽の光が差し込んでいる。豊かで穏やかな空間だった。営業先周りの疲労を癒すのにうってつけの場だ。私は温かいコーヒーを啜り、書類に目を通していた。

 しかし、場の調和は突然乱れる。3人の男が入店して窓際の席を陣取ると、大きな声で喋りだしたからだ。

 しかも、内容は人目をはばかるような話。いったい何が面白いのか、猿のように手を叩いて笑っていた。店員は若い女性で、怯えた様子で離れた場所から眺めている。厨房に男の店員も見えたが、ホールにやってくることはないだろう。

 そんな状況だから、男たちはますます増長していく。声量はどんどん大きくなり、内容も下劣なものにエスカレートしていく。自主的に立ち去る気配もない。

 私は年寄らしくため息をついて伝票を手に取った。さっさとこの場を立ち去り、営業車で資料をまとめようと思った。道に落ちていたガムを踏んづけたようなもの。そう考えて気持ちを切り替えるしかない。私以外の客も同じく、母親は子供に早く食べるように急かし、お婆さんも席を立とうとしていた。

 ところが驚くべきことに、男3人に近寄る人影があった。思わず目をやる。男子高校生だった。不思議なほど背筋が伸びた人だった。遠目からでもはっきり分かる、目印のような佇まい。高校生は男3人に声をかける。1度目は無視された。2度目は声をかけ、テーブルをノックした。

「静かにしてもらえませんか?」

 店内に凄まじい緊張が走る。私は浮かせていた腰を下ろす。何か始まるようだ。男の1人が高校生を睨めつける。

「何? 意味わかんねーんだけど」

「そういうのホントにいいから」

 相手にされなくても、高校生は揺らがない。眉ひとつ動かさない。あまりに堂々としている。怯えた気配も譲る気配もない。肝が座っているのか、怖いもの知らずか。高校生は言い返す。

「喋ってもいいけど、声が大きくて迷惑してます。もう少し声抑えてもらえませんか」

 高校生の言葉に男3人が笑い出す。ゲラゲラ。メイワクシテマス、とふざけた調子でモノマネをした。同時に一番大柄な男が勢いよく立ち上がる。椅子が倒れる派手な音。揉め事が始まる合図だった。

「お前が外出れば解決するだろー?」

 男は高校生の肩を強く突き飛ばした。高校生は尻餅を̇̇̇̇̇̇̇̇つかない。踵は少しもずれなかった。

 私は身を乗り出す。何か今おかしなことが起きた。高校生は突き飛ばされなかった。びくともしない。体幹が見た目以上にしっかりしている。

 今度は男が胸ぐらをつかもうとしたが、高校生は素早く避ける。涼しい目をして言い放つ。

「殴られたら面倒になるから、やめろよ。警察が来る。いいことない」

 その言葉に男は頭に血が上ったらしく、足払いを食らわした。同時に、強く床を叩く音がした。高校生の体が宙に浮く。

 思わず感嘆する声が出た。高校生は後方へバク宙をした。この高校生は新体操の選手だろうか? 私は思わず拍手をした。子どもも、すごい! と歓声をあげた。

 何気取ってんの? キモ。男3人はそう毒づいていたが、声音に張りがなかった。後方宙返りをみて、完全に威勢を削がれたらしい。

「こんなのもできるよ」

 高校生は歓声に気を良くしたのか、バックハンドスプリングを3回披露した。机と椅子の隙間を器用に縫って体を跳躍させた。手慣れた様子でぽんぽん飛ぶので、本当になんでも無いことのように見えてしまう。幼子は更に手を叩いてはしゃぐ。いつの間にかアルバイトの店員も仕事の手を止めて様子を見ていたし、会計待ちの客もわざわざカウンターを離れて様子を見に来ていた。

 気づくとその場が、高校生によって支配されていた。ブレザーでアクロバットを演じる姿はまるで俳優のようだ。特撮映画のワンシーンに見えてくる。3人の男たちは何事か毒づいていたが、すっかり勢いをなくしていた。

「人集まってきたし、バタフライツイストも見せます!」

 高校生は両手を振って、注目を集める。私がゆっくりした手拍子を始めると、子連れの親子も、店員さんも、注文待ちの客もつられて手拍子を始めた。厨房の店員も奥から出てきて、ホールの女性店員に何事か尋ねていた。

「​​ちょっと道開けてもらっていいですか?」

 私が机を動かして道を開けると高校生が礼を言う。

「じゃあ行きます! バタフライツイスト!」

 足を大きく開いてかがんだ姿勢を取ると、左足で地面を蹴って、体を横向きにして右足を大きく開いたまま空中で1回転させた。左足を軸にして着地すると、ピタリと静止する。体幹がしっかりした、危なげのない演技だった。わあっと拍手が湧き、高校生は観衆にVサインをした。さらに大きな拍手が湧く。

 観客が次々高校生に声をかけた。「すごい! とってもかっこよかったです」とアルバイトの店員。「スタントマンとかですか?」と注文待ちの客。「アンタ、すごいねえ。足にバネでも入ってるみたいだ。怪我しないようにね」とおばあちゃん。「かっこいい! すごい!」と子ども。それらの称賛にひとつひとつ応えながら、高校生は騒ぎを起こしたことを謝罪していた。なんと気持ちの良い若者だろう。

 3人の男はいつの間にかいなくなっていた。伝票がテーブルにないので、そそくさと支払いをして帰ったのだろう。騒々しい輩だったが、彼らのおかげでこんな高校生に出会えたので、礼を言いたい気分だ。

 虹を目にしたような、無性に清々しい気分だった。これからの商談にも気合が入りそうだ。私はすっかり冷めたコーヒーを飲み干し、席を立った。まだ観客の質問に答えている高校生を横目に、彼の席から伝票を抜き取り、千円札を2枚巻いて再び伝票立てに差し込んだ。そのまま自分の会計を済ませ、早足でファミレスを後にする。戻った車の中で、繰り返し深呼吸をした。

 ハンドルを握り、エンジンを掛ける前。手足の先がやけに温まっていることに気がつく。何度か握って開いてを繰り返し、深呼吸をして心を落ち着ける。まぶたを閉じればその裏で、バタフライツイストの華麗な残像が焼き付いていた。

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