第28話 終わりと始まり

 血液というのは、全身に酸素を送る役割があるらしい。

 なるほど、通りで呼吸が苦しいわけだ。


 おそらく脳内物質が麻薬のように脳みそを刺激しているから、意識は冴え渡っているけれど、五感は違う。

 視界はどんどん狭まっていくし、鼻も舌も血の感触でいっぱいだし、音も滲んだ感じがするし、触覚も希薄になってきている。

 おかげで痛みも感じづらく、持病による全身の痛みも緩和され、多少の傷を負っても影響を受けないというメリットもあるが。


 なんであれ、自分が一秒ごとに死に近づいている実感がある。

 世界が掠れ、離れていく。


 けれど……そうして失って、失って、失って……

 だからこそ、鋭敏に感じるものもある。

 欠けたものを補うように、強く、感じる。


「う、ぐぅああああああああッ!?」


 まさに迫真とも言える悲鳴は、ヤツにとってあの剣が、ただの武器ではないことを証明していた。


 戦いながら、死に近づきながら、予感は確信になっていた。

 首筋の痣――聖痕。それがヤツの持つ神剣に深く結びついているのを。


 あの剣は、エンフィレオの一部なのだ。昆虫の触角、竜の尾のように。

 だから四肢は無傷でも、刃を折られたことで、相応の痛みが彼を襲っているのだろう。


「貴、様……なぜ、こんな……!?」

「さっさと立て。お前に対して、一片たりとも容赦するつもりは無いが、這いつくばっている相手に追撃するのは少々気が引ける」

「ぐぬぬ……!」


 何の捻りも無い雑な挑発だが、自分を特別だなんだと宣う相手にはこれで十分。

 感情の揺らぎ、怒り……そして、企みも伝わってくる。


「調子に……乗るなッ!!」


 エンフィレオは憎悪に表情を染め、立ち上がりつつ、先の折れた神剣を振るう。

 俺とは距離がある。当然、残った刃で俺を斬り付ける為の行動じゃない。


 俺は一歩、横に跳んだ。

 振り返る必要は無い。ヤツの剣から繋がっているのは感じ取れている――


 直後、さっきまで俺が立っていた場所を、金色の球(おそらくアズリアが閉じ込められている)が通過した。

 意志を持ったような動きは、明らかに俺に体当たりし吹っ飛ばすためのもの。

 もちろんその意志はアズリアではなく、エンフィレオの意志だ。


 あの球の中の声は外には聞こえないが、アズリアが元気に憤慨しているのは気配から察しがついた。


「なんだと……!?」

「驚くようなことか? あの球はお前が作り出したものだ。ただ封じ込めているだけだなんて、信用できるはずないだろ」


 なぜ、エンフィレオが一人を除き敵全員を拘束するのか。

 それはきっと彼が戦いに向いていないからだ。性格ではなく、技量の問題だ。

 むしろ性格は戦闘向き――いや、戦闘したがりと言うべきか。

 傲慢でサディスティック。力の差を見せつけないと気が済まない。


 だから弱者を残し、順番にいたぶり殺していく。

 そしていたぶっている最中、球の中に閉じ込められた者からエネルギーを吸い取っているのだ。

 じわじわ弱らせ、順番が来る頃にはすっかり弱り切っているように。

 俺とエミィの序列が入れ替わったとき、エンフィレオは驚いていたので、エネルギーを吸っても序列が入れ替わらないように無意識の調整がされているはず。


 ……いや、ヤツの能力、全てが無意識か。

 あまりに性格を濃く反映しすぎている。

 狡猾で、残忍で、卑怯で、小物で――それを肥大させ形にするのがあの聖痕とやらの役目か。


(なんにせよ、浮かばれない。この村の人々も、ドンヴァンも)


 これまでの発言から、ヤツがこの村の人々を養分として喰らったのは想像がついた。

 女子供も、老人も、構わずヤツに嬲り殺され、命と尊厳を奪われた。


――ジャリ。

「ひいっ!?」


 俺の足が地面を擦った音に、エンフィレオが肩を跳ねさせる。


「け、軽率な行動を取らぬことだ! こいつらは我が輩の牙であり盾! 不用意に攻撃を繰り出せば、貴様の仲間が死ぬことになるぞっ!!」


 三つの球がエンフィレオと俺を分かつように宙を踊る。


(アズリアはまだ元気。ラウダも意識を保っている。問題はエミィか。序列は変わっていないが、どれくらい養分を吸われてしまったか)


 選定とやらはまだエミィより俺が弱者だと判別を下している。

 しかし、俺の状態自体がかなりのデッドゾーンだ。そのギリギリに迫ったとすれば、エミィの体が耐えられるかどうか。


「正直、もっと大物を期待したけれど……いや、こいつが来てくれなきゃ危機一髪だったのは確かだな」


 種が割れてしまえば、エンフィレオは強くない。

 けれど弱いのは俺も同じだ。アンリーシュが現れなければどうなっていたことか。


「……ふふっ」


 ああ、嬉しいな。

 この世には、たとえ魔物の脅威が殆ど無くなっても、斬っていい悪は残っている。

 それに、小ぶりな相手にも肩透かしをしなくていい。俺自身弱いのだから、いくらだって死闘は演じられる。


「貴様……何を笑っている……!?」

「ああ、悪い。未来に思いを馳せていた。本当に、生まれて良かったってさ」

「っ……戯れ言を!! 貴様は死ぬ! 我が輩の手でッ!!」

 

 エンフィレオが剣を振るう。

 そして、三つの球が意志を持ったように宙を踊り、それぞれ俺めがけて襲いかかってきた――が、同時に俺も駆け出し、隙間を縫って躱す。


「な……!?」


 盾を手放したんだ。俺とエンフィレオを阻むものはもう何も無い。

 もしも新たに、人質に何か手を加えようとしたとしても――もう遅い。


(楽しいよな、アルマ・クレセンド。最高に生きてるって感じがする。今だけじゃない。これからも、もっとだ)


 未来に想いを馳せると、胸が弾む。

 これはその、第一歩目だ。

 

「じゃあな」

「や、やめろ……助――」


 最後に彼が何か言おうとしていたが、聞きそびれてしまった。

 

 ごとん、と音を立てて落ちた首を眺めつつ、俺は全身の熱が急激に引いていくの感じ、膝をついた。

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