第11話 痛み
「違う、アルマ……私は、私は……!」
イスカの動揺を煽り、俺への敵意を鈍らせることは成功した。
けれど、俺の胸の内はスッキリするどころか淀みを増す一方だ。
これは一旦の延命策であり、俺がイスカと戦う舞台を整えるため……彼女を遙かな高みから引きずり下ろすという儀式のようなものだった。
けれど、彼女を堕とせば堕とすほど、自身の矮小さが浮き彫りになって、自覚せずにはいられない。
(くそ……!)
呼吸が苦しい。全身が痛い。
体でなく、精神的な苦痛でも発作が出るのか。なんて正直な病気なんだ。
「ぐ、グホッ……」
「アルマ……!」
膝をつき血を吐く弟の姿に、イスカも動揺し固まっている。
確かに彼女がこんな俺の姿を見るのは初めてのはずだ。あまり愉快な場面じゃないし、それが弟のものであれば……相応にショックを受けてもおかしくはない。
「ふ、ふふ……これでは斬られる前に、死んでしまいますね」
そんな彼女を見ながら、俺は荒く呼吸を繰り返し、なんとか発作を抑え込む。
「姉様は一つ、誤解をしています。俺は悪霊になど取り憑かれてはいません」
「……っ! そ、その筈は無い。私は感じ取っている。アルマから放たれる気配が、以前とは変化しているのを……」
「年頃の男子ですよ。一年も会っていないんだ。変わって見えてもおかしくないでしょう」
「言葉遊びをしているんじゃない!」
イスカは大人げなく、余裕の無い怒鳴り声を上げる。
必死に何かを否定しようとしているような……縋るような叫びだった。
(もしかして、貴方も見ているのか。過去の俺達を)
姉に武勇伝をねだる弟。そんな弟に笑顔で応える姉。
仲睦まじく、温かな思い出。しかし、それは……本当に幸せなものだったんだろうか。
「もしも、たった一年ぽっちじゃ人は変わらないっていうのなら……貴方が見てきた俺が、本物じゃなかったってことかもしれませんね」
「な……!?」
「いつも笑顔を見せる、病弱な弟。貴方はそんな俺に、慈愛を与え、可愛がって……愛玩動物ならさぞ優秀だったでしょう。けれど俺は……ずっと、苦しみに耐えてきた……!」
ずくん、と痛みが走る。
興奮するといつだってこの痛みに体を蝕まれる。
それでも、俺は姉様と話したかった。彼女だけが知る、心躍る戦いと冒険を、俺も知りたかった。
憧れる遙か高みにいる姉様に、対等に見てほしかったけれど……そんな風に思うことさえおこがましくて、だから嫌われないように、姉様が求める自分を必死で探した。
「俺も必死だったんですよ。もしも貴方と一緒にいて血でも吐いてしまえば……きっと貴方は俺を遠ざけるって思っていたから」
「私が遠ざける……? 何を言っている……」
「けれど、本当は、貴方の旅の話を聞きたかったんじゃない。俺が――ぼくが、本当に知りたかったのは……」
「アルマ……お前は、いったい何を……!?」
痛い。苦しい。貧弱な肺が締め付けられ、視界がチカチカする。
全身の血が沸騰したみたいに熱い。
けれど、止まるな。この熱は、俺の力になる。
これが最後になるかもしれない。姉様に斬られずとも、ここで事切れるかもしれない。
でも、立ち向かうのなら、後悔しないやり方を選ぼう。
俺自身が――アルマ・クレセンドが、出来損ないであると、見限らないように。
「はぁ……はぁ……はぁ……!!」
「あ、アルマ……?」
「どう、ですか……姉様。これが俺ですよ。弱く、脆く、一人で立つのでさえやっとな、醜いこの姿が!」
膝を震わせ、立ち上がる。
異変――俺の呼吸が意識的に変えられていることに、姉様も気が付いたらしい。
「やめろ! お前の体が壊れるぞ!!」
「壊れる……? 違うさ、姉様。もう壊れてるんだ……! でも足りない。こんな力では、この程度の代償では貴女の足下にさえ及ばない。だから……!!」
熱が内側から体を焼いているような感覚。
不健康に青白かった肌が、今は赤紫に濁ってきている。
痛みは上限知らずにどんどん増していき、口の中は血の味で溢れていて……けれど、もっといける。
もっと熱く、もっと強く……もっと、もっと、もっと!!
イスカ姉様に力を示す。
そうだ。最初から、そう決めていたじゃないか……!
「くそっ!」
我慢の限界と言わんばかりに、イスカが剣を構えつつ、地面を蹴る。
地面を蹴った音が耳に届くより先に、直前まで距離を詰めてくる——それほどの超スピードに、俺の目は難なくついていっていた。
(覚悟がどう、と息巻いていた割に、峰打ちか)
振りかぶった際の構え、剣の角度。
命を取るのではなく失神を狙うなら、その軌道も容易に読める。
「すまない、アルマっ! ……っ!?」
「何が、『すまない』ですか?」
身を屈め、直後、頭の先を刃が掠めていった。何本か髪の毛が持って行かれる。
紙一重には僅かに遅れたか。しかし、親衛隊の騎士サマによる一撃に、髪の毛数本で済ませたのなら十分だ。
「フッ!」
イスカには動揺があった。迷いも、恐れも。
剣を振り抜いた今でもそれは変わらず、むしろ痛々しいほどに悪化している。
剣閃は鈍り、心身のバランスが崩れれば普段当たり前にこなしている動きにも歪みが生じる。
俺はその隙を見逃さず、イスカ——彼女の手首を容赦なく蹴り抜いた。
「ぐっ!?」
全体重を乗せた蹴りだが、骨をへし折るほどの威力は無いが……問題無い。
「っ! 手が痺れて……!?」
不意を打ったというのもある。けれど、意図もしていた。
俺の蹴りを受け、イスカは思わず剣を手から零す。
「これ、お借りしますよ」
一言、形だけの断りを入れて、剣を掴んだ。
当然、今の蹴りはただの蹴りじゃない。
武術の達人が掌底で直接内蔵を穿つように、彼女の手のツボを刺激し、強制的に痺れを誘発させたのだ。
敵への攻撃ではなく、武器を奪うのを目的とした……名付けるなら、そうだな。
……いや、それは後でにしよう。
今はそんなことより――
(ようやく、この手に剣が収まった……!!)
体が喜びに震える。
たとえ生まれ変わっても、この柄を握りこんだ感覚はかつてリバールとして味わった時と遜色なかった。
想定とはまったく違う展開。俺を取り巻く現実は何度絶望したって足りないくらいにお先真っ暗なままだ。
頭がおかしくなりそうなくらい全身は痛いし、倒れてしまえばもう起き上がれる気がしないくらいに追い詰められている。
けれど……そんな状況に於いても、剣を手にしただけで、幾分か救われた気がした。
まるで世界が広がったかのような、そんな清々しさに……俺は涙を溢さずにはいられなかった。
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