第10話 悪霊の嘲笑

「我が愛弟の体を解放してもらうぞ、この悪霊め」


 イスカ姉様は俺を――いや、俺の中にいる何かを見据え、剣の切っ先をこちらへと向けた。


(彼女が言いたいことは理解できるけど……悪霊か)


 なんとも的を射た言い方だ。

 どうやらイスカ姉様は、弟の体に起きた変化を敏感に察していたらしい。


(間抜けな顔をして、中々しっかり見ているじゃないか。いや、俺が勝手に油断していただけかもな)


 ブラコンをこじらせた姉くらい簡単に御せると侮っていたか、それとも、血の繋がった家族なら信じてくれると勝手に思い込んでいたのか。


(情けない。相手が誰であれ、侮れるような立場じゃないってのに)


 考え得るかぎり最悪の展開じゃないだろうか。


 彼女がどの段階で気が付いていたかは分からないが……もしかしたら昼の内から、姉の仮面の下で目を光らせていたのかもしれない。全く気が付かなかったが。


「貴様にも言い分はあるだろう。聞くぞ。私は騎士だからな」


 イスカ姉様はそれらしいことを言いつつ、纏っている騎士服のポケットから、透明な石を取り出し、潰す。

 直後、石に込められていた術式が展開し、中庭を取り囲んだ。


(消音の結界、か)


 肌を撫でたピリッとした感じから、結界の特性を把握する。1000年前にも似たような原理の魔法はあった。


 効力が切れるまで、この結界内で発生する物音は結界外には漏れない。それこそ、先ほど廊下でお喋りに興じていたメイド達にも、一切異変は届かないだろう。

 主に暗殺などの場面で活躍していた魔法だが……1000年も経てば石の中に込めて誰でも使えるようになるのか。


「ただし、嘘や命乞いは許さない。貴様はよりにもよってアルマの身体に手を出したのだ。その報いは必ず受けてもらうぞ」

「…………」


 さて、どうする。

 誤魔化すべきか、認めて許しを請うべきか。


 弟の面で、無知を装い甘えて油断を誘えば多少は剣筋も緩むかもしれない。

 ただ、逆に逆鱗に触れる危険性もある。


 ならば素直に認めて、彼女の騎士道によって情状酌量という可能性に賭けるべきか。

 しかし、先ほど命乞いは許さないと言っていた。認めた時点で首を落とされるなんてこともなくはない。


「……何を笑っている」


 怪訝そうに、イスカ姉様は眉をひそめた。

 指摘されて俺も初めて気が付く。そうか、俺は今笑っているのか。


 完全に無意識だったが、しかし自覚してしまうと余計に……そう、楽しくなってきた。


「挑発のつもりか? まさか、これがただの脅しだと思っているんじゃないだろうな」

「挑発なんて、まさかそんな」


 彼女を馬鹿にするつもりはない。もちろん侮っていない。

 けれど、前世が疼くとでもいうのだろうか。


 この胸の高鳴りを自覚してしまった今、もう進むべき道は決まった。


「けれど、確かに気になりますね。姉様が僕……いや、俺を本当に殺せるのかどうか」


 ああ、これは挑発と取られても仕方がない。


 俺と彼女の力量差を思えば、俺はもっと慎重に、顔色を窺うように謙るべきなんだろう。

 けれど、戦いはもう始まっている。


「その時が来れば躊躇などしない。貴様の目的がクレセンドに仇なすものであるのなら……我が弟も本望だろう」

「本望、ね」


 イスカ姉様……イスカははっきりと頷いた。

 けれど、僅かに揺らぎがあったのを、俺は見逃さない。


 確かに状況は最悪だ。けれど、屈しはしない。


(俺はようやく立ち上がったんだ。こんなところで、終わるわけにいくか……!)


 避けられないのなら、たとえ勝ち目が薄くても、それを掴むために足掻くしかない。

 剣が無くても、既に死に体でも、戦うのなら……勝つために抗う。


 たとえそれで本当に殺されたって……もう二度と、折られるわけにいくか。


(イスカには俺を斬る覚悟がある。けれど、覚悟があったって、迷いが消えるわけじゃない……)


 切り崩すならここからだ。


(悪いけれど、イスカ。あんたのこと、試させてもらう)


 呼吸の乱れを押さえつけつつ、俺は嘲るような笑みを浮かべた。


「クレセンド家のため、と仰いましたね。なるほど、それなら納得です。なんたって俺は『クレセンドの面汚し』と呼ばれる出来損ないですから。一秒でも早く死んでくれた方が家の為と思っている者は多いでしょう」

「なっ……!? 貴様! アルマの顔で、声で、そのようなことをっ!」

「正直に言いすぎましたか? けれど、遅かれ早かれだ。俺はそう遠くない未来、病で死ぬ。どうせ死ぬなら、いつ、どのように退場するのがこの家の為になるのか……さすがは聡明なイスカ姉様。素晴らしい答えをお持ちだと感心したんですよ。心の底から、ね」


 実際に、イスカが俺をどう思っていたかは今は関係無い。

 俺は前世を思い出し、影響を受けた。その変化を悪霊に取り憑かれたと断じたイスカは、確かに正しいのかもしれない。

 そして、弟が悪霊に操られ良いようにされるのならば、ここで斬り捨て解放してやるのが救いだと思うのも分からなくもない。


 だから、俺が言っていることなんて、ゲスの勘ぐり……いや、ただのいちゃもんか。

 

 しかし、彼女は自身の信念に基づいて正義を貫こうとしている。

 これこそがアルマ・クレセンドの為だと、弟への愛を示そうとしている。 


 だからこそ、存分に向き合っていただかなくては。

 正義だろうが、愛だろうが……弟を自らの手で殺す、その現実に。


「俺は貴方だけは家族として、本気で俺を愛してくれているのだと思っていました。だから会いたいとアズリアに言ってすぐ、イスカ姉様が来てくれて……本当に嬉しかったんですよ。でも貴方は俺のことを愛してなどいなかった。今までのはきっと、外に向けたアピールだったんでしょうね」

「あ、アピール……!?」

「筋書きはこんなところでしょうか。よりにもよって弟を愛する貴方が、その弟に悪霊が憑いたと気が付いてしまう。苦しみ、葛藤し……それでも正義のためと、断腸の思いで弟を斬る。ああ、なんという悲劇だ。しかし、あれだけ弟を愛していたイスカ・クレセンドが自ら手を下したのだ。弟が悪霊に憑かれたというのは事実だったんだろう! ああ、なんて可哀想なイスカ様! きっとその弟も死の世界で貴方に感謝していることだろう!」

「ふ、ふざけるな! 貴様は悪霊だ! 何が筋書きだ! ぐう……す、すべてっ! 全て事実だろうがっ!!」


 イスカは力強く叫ぶが、まったく動揺を隠せていない。

 素直な人だ。きっと彼女は本気で苦しみ、葛藤したんだろう。

 悪霊から弟を解放したい。そこにあるのは正しく愛に違いない。


 だから、ああ、心が全く痛まないというわけじゃないけれど、手は緩めない。

 悪霊と言うのなら、実にそれらしく、陰湿に攻めてやろう。


「ですが姉様。果たしてどれほどの人がそんな心温まる物語を信じてくれるでしょうか。世の中、事実を都合の良いように捻じ曲げて脚色する連中なんて、探せばいくらでもいるでしょうからね。ああ……でも、我が両親や他の姉妹達、この家の使用人達は貴方の言い分を信じなくても味方にはなってくれるでしょうね」


 きっと、イスカが嘘を吐いて、それでも家の為に弟を殺してくれたのだと思うだろう。


 イスカは出来損ないの弟のことなど愛してなどいなかった。全ては今日を迎えるため、道化を演じていたのだ。

 ならば、彼女に感謝し、一丸となってその優しい嘘を守ろうじゃないか。

 真の英雄であるイスカ・クレセンドを称えて! クレセンドの興隆を願って!


 ……なんて、そんな光景でも頭に浮かんだだろうか。

 彼女に都合のいい展開にも思えるが、もしも本当に愛故の行動だとすれば……そんな未来は彼女にとって地獄のようなものかもしれない。


「ふふふ……さしずめ俺は、悪の大魔王といったところでしょうか。実際、俺が生まれたせいでクレセンド家は追い詰められてしまったんだ。冗談にもならないでしょうけどね」

「ち、違う! 私は……私達は、お前をそんな風に思ったことなど……!」


 イスカの声が震える。目にはじんわり涙が滲み、視線だって定まっていない。

 これほどの動揺を見せるというのなら、本当に俺が吐き捨てたような企みなど無いんだろう。

 今度こそ、はっきり確信できた。


(けれど、まだだ。もっと、もっとだ。もっと追い詰めて……ぐっ!?)


「ゲホッ、ゴホッ!!」

「……っ! アルマっ!!」

 

 病によるものだけじゃない。

 俺の精神が悲鳴を上げているのを感じる。


 幼き頃、イスカに憧れたアルマの拒否反応か。

 それとも、一人の武人として賞賛した相手を、口先で傷つけることしかできないリバールの自嘲か。


 そのどちらにせよ――


(ああ、イライラする……!)


 最初から、舌戦でイスカを追い込むことに快感などなかった。

 むしろ逆。追い詰めれば追い詰めるほど、目論見が上手く回るほど……俺は、自分に対する怒りを膨らまさせずにはいられなかった。

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