第9話 表と裏
改めて、イスカ・クレセンドは良い意味で騎士らしい女性だ。
銀色の髪も、碧い瞳も、どちらもクレセンドの血によって受け継がれてきた外見的特徴だが、それが清々しく凜々しい雰囲気を存分に演出している。
先ほど見せられたアンファーウェア姿は、男の――というか1000年前に戦場に立っていた俺としても、見惚れる均整の取れた筋肉の付き。
しなやかで、逞しく……体格だけで彼女が優れた戦士なのだと理解できる。
そんな彼女だ、外でもただ歩いているだけで注目を集める存在なのだろう。
彼女には何か、神秘的なものが宿っているんじゃないかとか、そんな噂も立てられたりして……大げさかもしれないが、完全に否定できる気もしない。
もし今が戦乱の世なら確実に英雄の一人に祭り上げられ、後世に名を残したに違いない、そんな傑物の器。
それこそがイスカ・クレセンド。俺はそう分析し、どうしてまったく同じ血が流れているというのに、俺とこれほどまでに違うのだろう……と溜息の一つも吐きたくなる。
そんな、俺から見れば比較するのも馬鹿馬鹿しいほどに遥か高みにいる彼女だが——
「ごめんなさい」
今、俺の前で膝をつき、深々と身を伏し、頭を床に擦りつけるように下げていた。
古くより変わらない最上級の謝罪スタイル――即ち土下座である。
「じゃあ姉様、騎士団辞めたというのは嘘だったのですか?」
「うん……アルマが喜んでくれるかな~って」
「嘘で喜ばせても、真実を知れば悲しくなるだけでしょうに。それも分からないなんて、相変わらずですねイスカ様は」
やっぱりイスカには辛辣なアズリア。
二人はアズリアがこの家に来る前からの知り合いらしいけれど……おそらく仲がいいからこそのやりとりなんだろう。
「だって、お前が言ったんじゃないか! アルマが私に会いたがっていると! だから喜んでもらえると思って、私はすぐさま休暇届を出し、文句を言う隊長を黙らして急いで来たんだぞ!?」
黙らして?
黙らす(物理)じゃないよな?
「ですが、嘘をつけとは言っていません」
「ぬぐぐ……正論ばっかり吐いて! もっと融通効かせてくれたっていいじゃないか!」
「私はアルマ様の専属メイドですので。イスカ様に忖度するいわれはございません」
どうやら口ではアズリアの圧勝らしい。
とはいえ、俺の専属だとしてもクレセンド家に雇われたメイドであることに代わりはないのだから、アズリアの言い分は明らかな暴論なのだけど。
しかし、この状況はあまり良くないな。
アズリアはイスカが俺の体調を悪化させる危険性があると知った以上、席を外そうとはしないだろう。
過保護もいいが、イスカと話すには少々厄介だな。
どうにか二人きりで話せる時間が作れればいいんだが……。
「姉様はいつまでこちらにいらっしゃるのですか?」
「そりゃあアルマが望むならいつまでも!」
「えっと……」
「……と、言いたいところだが、休暇は三日間だ!」
「そうですか」
すぐ帰る、というよりはマシだが、さほど時間があるわけでもない。
場合によっては、多少無理してでもタイミングを作り出すべきか。
(アズリアが俺の側を離れるタイミングとなれば……やっぱり、あの時間しかないよな)
それを実現させるには、かなり無茶をしなきゃいけない。
ただ、良いように転ぶのを悠長に待っているほど、イスカの休暇も俺の寿命も長くない。
祈って待つというのを否定する気はないが、何にでも適材適所というものがある。
(なんにせよ、イスカを味方にできなければ八方塞がり……やるしかない)
溜め息をぐっと堪えつつ、俺はなんとか決意を固めた。
◇
そして、館中が寝静まった深夜。
「……そろそろ行くか」
俺は毎晩のようにひっそりと起き上がると、しかしいつもと違い、部屋の扉を静かに開け、廊下に出た。
こうして自分一人で部屋から出るのは、生まれて初めての大冒険だ。
万が一アズリアにバレれば、きっと歴代一位を更新する勢いで説教されるだろう危険な行動。
そんなこれまで冒さなかった挑戦をわざわざするのには、当然理由がある。
イスカとの交渉を二人きりでやれるのはこの時間しかない。
なので、帰ったばかりで悪いが……寝ているところ押しかけさせてもらおうと決めたのだ。
言うなれば、夜這い。いや、それは少々10歳の行動としては聞こえが悪すぎるので、夜襲ということにしよう。
どちらにせよ、寝込みを襲うこと自体が重要なのではなく、あくまで話をするだけだ。
仮に襲おうとすれば、たとえ寝ぼけた彼女相手でも確実に返り討ちに遭うだろう。
(よし……位置は分かるぞ)
深夜どころか一人で屋敷を歩くのも初めてな俺にとっては、どこが誰の部屋でどこか客間かなど、分かるはずもない。
しかし、昔から……これはアルマ、リバール共にそうなのだが、人の気配にはすこぶる敏感だった。二人の数少ない共通した取り柄と言えるだろうか。
この屋敷のどのあたりに誰がいるか、なんとなく感じることができる。
特に相手が強者であれば尚更強く感じられる……この屋敷内だと、父、母、アズリア、数人の使用人、そしてイスカ。
今は眠っているからか気配は探れないけれど……彼女が去ってからも気配は追い続けていたので、部屋がどの位置にあるかは覚えている。
とはいえ気は抜かない。夜中と言っても働いている使用人もいるからな。
彼らに気付かれないよう、抜き足差し足……とはいえ、彼らもまさか俺が夜中に部屋を抜け出すなんて思わないだろうけど。
「にしてもビックリしたよね。まさか、旦那様に挨拶もされないなんて」
(っと、こっちはまだ起きてるか)
廊下を塞ぐようにメイド達が雑談に興じていた。
構造的にこの先の階段を上がるのが近道っぽいんだけど……参ったな。
どうやら、ここに来た時のイスカについて話しているようだ。
ただニュアンス的に、イスカの行動自体ではなく、イスカが父より俺を優先したことに対して、何か揶揄するような……そんな感じに思えた。
今更気にするものでもないけれど、立ち聞きしてしまうには少々気まずい話題だ。
(仕方ない。回り込むか)
俺の部屋からイスカの部屋へ、人生初の大冒険。
思わぬアクシデントだが、切り替えて彼女らから離れるように、別方向のドアを開けた。
瞬間、僅かに風が吹き込んできた。
「ここは……中庭か?」
扉の向こうには、中庭が広がっていた。
貴族らしい煌びやかな装飾が施された鑑賞しがいのあるものではなく、平らに整地されたどこか殺風景に思える庭。
味気も趣もなく、無駄に広く感じられるが、よく見てみれば地面は固く整備されていて、組み手や訓練を積むに適した設計に思える。
中庭というより屋外訓練場と言うべきか、中々疼くものがある。
(当然だけど俺の部屋とは段違いだ。こんなところで鍛錬できたら……いや、イスカの協力が得られれば、それも遠い話じゃないぞ)
そんな未来に想いを馳せつつ、中庭に足を踏み入れる。
いっそ、メイド達が立ち去るまでここで鍛錬でもしていこうか……そんな浮かれた考えさえ浮かび始めた、そんな時。
「ッ!?」
突然、首筋に悪寒が走った。
身が竦むような、この感じ――俺はすぐさまその場を飛び退き構えるが、予期していた何か、衝撃などが襲い来ることはなかった。
代わりに――
「ほう、僅かでも殺気を察知できるとは。意外とやるようだな」
昼間聞いたのとはまったく違う、敵意に満ちた冷淡な声。
それを吐き捨てながら彼女は中庭の、暗闇の中から現れた。
右手に剣を握り、鋭い眼光でこちらを睨み付けながら。
「しかし、これからの返答によっては、殺気をぶつける程度では済まないと分かっているな? よもや私から逃れられるなどと無駄な算段を打たぬことだ」
これが、今の時代を生きる騎士。
若くして戦果を上げ、王族からも認められるほどの高みに至った英雄の器か。
「さぁ、答えてもらおう。貴様の目的を」
いったいいつから気が付いていたのだろうか。俺は誘い込まれたのか。
昼間脱ぎ捨てていた騎士服をきっちり着こなし、剣を握り――イスカ・クレセンドは万全の体制で、中庭の中央に立っていた。
「そして、我が愛弟の体を解放してもらうぞ、この悪霊め」
この俺を、完全に敵と見なして。
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