第8話 イスカ姉様

 そして、あっという間に3日が経った。

 おそらくアルマの人生にとって、最も短く感じた3日間だった。

 足りないという焦りに常に尻を叩かれながら、しかし逆に待ち遠しさも感じる、なんとも不思議な時間だったと、今になってはそう思える。


 正直、渦中に置いてはパニック以外の何ものでもなかったけれど。


 深夜という限られた鍛錬の時は、今までよりもずっと根を詰め、必死に臨んだ。それこそ夢の中でも鍛錬するくらい、必死だった。

 それでも全然足りない。でも、少しずつ、確かに前に進んでいる感覚は楽しかった。アルマとして過ごしてきた人生があまりに停滞で満ちていたからだろうか。


 この身体に向き合うと、時間の価値をしみじみ感じられる。

 たかだか3日。されど、残りの寿命で割ったとき、その価値はいったいどれほどまで膨れ上がるだろう。


(……さぁ、こうなったら腹を括るしかない。あいにく、まだギリギリ、最後に足掻くだけの時間はあるからな)


 遠く——おそらく屋敷の入口の方から、使用人達が揃って誰かを出迎える声がした。アズリアも招集を受けているらしく、ここにはいない。


 イスカがここに来るまで、後何時間かかかるはず。

 まずは父と母に挨拶して、早ければその次だけれど……まぁ間に色々挟まるだろう。俺はこの家の長子ではあるが、優先順位は限りなく低い。


 とはいえ油断は禁物。イスカ姉様は誰にも計れないと有名だからな。

 今はとにかく、ギリギリまで、呼吸法の鍛錬を——


——ドンドンドンッ!


「……ん?」


 床を踏みしめる、豪快な足音が聞こえる。

 近付いてくる……?


——ドンドンドンッ!!


(おい、待て。まさか……)


 それは次第に大きくなっていく。

 確実に近付いてきている……!


——ドンドンドンッ!!!


 そして、すぐそこ。

 部屋の扉の前で、止まり——


「ただいまぁ! お前の大好きな姉が帰ったぞ、アルマ!」


 バァンッ! と豪快に、まるで壊す勢いで扉を開けて、彼女は入ってきた。

 イスカ・クレセンド。我が家が誇る最強の姉であり、俺に残された数少ない希望……なのだけど。


(まさか、父への挨拶もすっ飛ばして、ここに直行したのか!?)


 そうでなければありえない速さだ。

 いや、でも、しかし……本当にいいのか?


 貴族の常識なら、何があろうとまずは当主の顔を立てるべき。

 

 しかし彼女にはそんなの全然どうでもいいらしく……実に堂々とした態度でいらっしゃる。


 ……なんだか全身の力が抜ける感じ。ああ、この人は変わらず、イスカ姉様のままだ。

 その自由さ、豪快さは、親衛隊という名誉ある立場を得た今でも変わらないらしい。


 そんな彼女は、ニコニコ笑顔を浮かべつつ……なぜか騎士の制服を脱ぎ捨てた。なぜ!?


「アルマ~! 会いたかったぞ~!!」


 わざわざ薄手のアンダーウェア姿になってから俺を抱きしめてくるイスカ。

 筋肉質な体つきながら、ふくよかな胸は、や、柔らかい……けど、なんで!?


「ね、姉様!?」

「万が一、制服の無駄に固い布で、アルマの絹糸のように柔らかな肌を傷つけては大事だからな!」

「は、はあ……」


 それについてはなんと返すのが正解か分からないけれど……そ、そんなことより、腕の力が強すぎて、つ、潰される……!?


「っと! つい感極まってしまった! 苦しくないか、アルマ!」

「だ、大丈夫、です……」


 や、やっぱり……イスカ姉様だ。良い意味でも、悪い意味でも。

 幾ら姉弟とはいえ、こうも遠慮無く来られるとこちらも面食らってしまう。


 クレセンド家全体に言えることだが、この家の人間はどいつもこいつもかなりの美形揃いだ。

 イスカも日焼けせず、体に傷跡を張り付かせず、身にドレスでも纏ったなら、引く手数多な淑女になるだろうに。


 しかし現実は……ガサツ、脳筋、猪突猛進。

 彼女を、言葉を選ばず表現するのであれば、こんな言葉になってしまう。

 

 我が家の長女サマは、中々にパワフルなお方で、そりゃあ男性達も敬遠してしまうほどなのだ。


「お、おかえりなさい、姉様」

「うん、うんっ! ただいま、アルマ!」


 俺をハグからは解放しつつ、両手を握ったまま感慨深く頷くイスカ。

 なんていうか、すごく嬉しそうだ。


「でも、どうしてこんな急に帰って来れたのですか? 親衛隊の方は……」

「辞めたっ!」

「えっ——ゲホッ、ゴホッ!」

「わっ、アルマ!?」


 あまりの驚きに、つい血を吐いてしまった。

 いや、でも、辞めただって……!?

 親衛隊にまで登り詰めたっていうのに!?


「ど、どうした、アルマ!? 大丈夫か!?」

「……イスカ様」

「わわわっ!? アズリア!? こ、これは、その……」


 いつの間にか部屋に入ってきていたアズリアが、責めるような……いや、責めるどころか殺気さえ混じった鋭い視線をイスカ姉様に向ける。

 片や使用人、片や跡を継ぐかもしれない当主の娘――なのだが、そんな立場を感じさせず、むしろ完全に逆転したみたいに、イスカ姉様は身を縮こまらせた。


「アルマお坊ちゃまはイスカ様なんかとは違って繊細なのですから、どうか無理をさせないようにと言いましたよね!?」

「そ、それは、でも、私なりにだなぁ!」


 私なりに?

 気を遣っていたと?


「…………」

「す、すまん、アズリア!」


 親衛隊にも所属するエリート騎士が、自分ちのメイドに頭下げてる……他所の人間に見られれば、威厳に関わる一切合切が跡形も無く崩れ去りそうな光景だ。


「頭を下げるべき相手は私ですか?」

「う……ごめん、アルマ。嫌わないで!」

「あ、いえ……大丈夫ですよ、姉様。よくあることですから」

「許してくれるのか……?」

「許すもなにも、僕は最初から怒っていませんよ」

「ううっ! アルマぁ!」


 大げさに泣き叫ぶ姉に、呆れて溜め息を吐くアズリア。

 そして俺もただただ苦笑するしかない。


 女性でありながら歴代最年少で親衛隊に登りつめた天才騎士。

 同じ道を歩む者達からすれば遥か高みに立つ憧れの存在であろう彼女が……まさか、裏ではこんなのだなんて想像もつかないだろう。


 イスカ・クレセンド。

 客観的に、前世の知識も踏まえて彼女を評価するならば、彼女の一番の欠点は——


「アルマ、ごめん……! アルマに嫌われたら、私……私はぁ……!!」


 この、度を超えたブラコンなのだ。

 自分で言うにはあまりに、間抜けすぎると思うけれど。

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