第12話 アルマの意地
俺にとって『剣』は、特別な存在だった。
前世に於いて、物心ついた時から家族に捨てられ天涯孤独だった俺が、なんとか食い扶持を手に入れられたのは、これまた誰が捨てたかも分からない銅剣を拾ったからだ。
スプーンとフォークの握り方より先に魔物の殺し方を覚え、人に恋するより先に人の命を奪った。
決して長い時間ではなかったかもしれないが、俺が俺として生きられたのは、間違いなく剣と出会ったからだ。
そして今生に於いても、やはり特別な思いがあった。
おそらく剣とは、人間の持つ武器で最も普及したものだ。
1000年前に悪神が滅ぼされ、現代に於いて魔物の脅威は当時ほどでも無いにしろ、全くゼロというわけでもない。
さらに、外からの脅威が無くなれば内側から――悪人だって存在する。
武功で成り上がったクレセンド家。イスカのような騎士。かつてアズリアがそうだったという冒険者。
かつてと比べれば平和であってもなお、武力が求められる時代であることに変わりはない。
だからこそ、生まれつき病弱で部屋から出ることもr許されなかった俺にとって、彼ら彼女らの存在は憧れそのものだった。
何度も妄想したものだ……剣を握り、大いなる脅威に立ち向かう自分の姿を。
ただそれは所詮妄想で、きっと一度も剣を握ること無く死ぬんだろうという諦めもあったけれど……前世を思い出し、全てが変わった。
そして、とうとう――
「っ……!」
ああ、こんな状況なのに、気を抜けば涙が溢れ出してしまいそうだ。
けれど、それはまた後にしよう。
思いを馳せた形とは全然違うが、目の前にあるのは間違いなく常人であれば味わうことのない大いなる脅威だ。
しかし、先ほどよりもずっと心は軽い。
こうして剣さえ手にしてしまえば、力の差など些細な問題だ。
身体能力や種族の違い……すべて剣一本で覆してきたんだ。
そんな前世の実績が、今の俺に希望をくれる。
(イスカは丸腰。これでどうにもなりませんでした、なんてなったら一生笑い者だな)
動揺しつつ拳を構えるイスカを見据えつつ、俺も手にしたばかりの剣を、あの頃のように構え——
——カラン……
「ん?」
「…………」
何かが地面に落ちる音がした。
イスカもぽかんと口を開けつつ、俺の足元を見ている。
というか、なんだか違和感が……?
「って、落としてる!?」
思わず叫んでしまった。
イスカから奪った剣。それを利き手である右手で握り込み、構えた瞬間!
俺の手からするりと滑り落ちてしまっていたのだ!!
理由は簡単。
(俺の手、剣を構えるほどの握力さえ無いのかよ!?)
俺の握力には、剣の重さに耐える程度の力さえ備わっていなかったのだ。
考えたこともなかったが、確かに剣は金属の塊なわけで、そこそこに重い。
更に振るとなれば、それ以上の負荷が掛かってくるわけで……。
イスカの剣は片手で持つことを想定された、所謂片手剣。
剣としては比較的軽めの、極一般的なサイズ、重さだ。
それすらまともに操れないのは——これは笑い者確定か。
「ガフッ!」
いけない。動揺が肺に来た。
うっかり吐いてしまった血をズボンで拭いつつ、落とした剣を拾う。
まったく持てない訳じゃない。呼吸で体も強くなっているんだ。
おそらく握力まではまだ力が行き届いていないってだけだろう。
意識的に握れば落としはしない筈……けれど、剣を振るう時に握力に集中するバカもいない。
(となれば、多少不格好だが……)
俺は細身の片手剣を、両手で握る。
取り回しの良さは無くなったけれど、意外と不格好じゃないな。
大人から見れば小ぶりな剣でも、10歳の子どもからしたらまあまあ適正サイズなのかも。
「う……!」
そんな俺の姿を見て、イスカが怯んだように呻き声を上げる。
こうして目の前で必死に剣を握る姿を見せつけられれば嫌でも解ってしまっただろう――自分の弟の限界が。
そしてイスカは、直視できないとばかりに目を逸らした。
大きな隙――いや、彼女のその感情を読み取った瞬間、俺は衝動的に地面を蹴っていた。
「哀れんだか! イスカ・クレセンドっ!」
怒りか恥か、感情を整理する余裕はない。
ただ衝動に背中を押されるまま、俺は一切の容赦なく、剣を振りかぶった――が、
(くそッ! 体が引っ張られる!)
走る勢いを合わせれば、想定以上に制御が効かない。
重心がブレて、体が開く。間抜けな大振りに、剣閃は乱れ、速度も出ず――
「く……」
あれほど動揺していたにもかかわらず、イスカにはあっさり躱されてしまった。
いや、こればかりはただただ俺が間抜けだった。
(体を動かすのに必死すぎて、振ったときのギャップを想定できていなかった)
先ほどの蹴りはイメージ通り上手くいった。
しかし、それと同じように剣も扱えるというほど、この体は器用じゃない。
元々体力も無ければ、常時湧き出てくる痛みはどんどんと増していっているんだ。
時間を掛ければ掛けるほど、無意識に痛みを避けようとして、動きが雑になってしまう。
もっと集中しろ。後のことなんか考えるな。
問題は山積みだけれど、まだ絶望には遠い。
「なぜ笑う。もう満身創痍だろう」
「そんなの、足を止める理由にはなりませんよ」
満身創痍って意味じゃ、こうして立って歩くだけでその域に達している。
限界なんてものはいつ振り切ったか分からない。
「本当の絶望はね……姉様。全て最初から諦めさせられることなんですよ。そして、それを何も知らないフリして、諦めて、ただ受け入れることしかできない……それがどれほど惨めか、貴方には分からないでしょうね」
「諦めさせるなんて……私達は、お前を思って……」
「全てを諦め、生まれてきたことを呪いながら死を待つくらいなら……たとえ苦しくても、今の方がずっと、生きている!」
何度も、何度も、剣を振るう。
それでもイスカには届かない。
「戦いなんだ! 立つのも、自分の足で歩くのも……俺にとっては、全て!」
「っ……! お前がそんなことをする必要は無い! 誰もお前に求めていない! 生きてくれているだけで……」
「そんなこと、勝手に決めて、押しつけるなッ! 俺はもう諦めさせない……俺の人生は、自分で歩む!!」
たとえ不格好でも、醜くても、俺は何度だって剣を振った。
決してイスカを捉えられない、越えられないと分かっていても、諦めたりしない。
それこそが……生きるということ。
たとえ出来損ないと罵られようと、病に蝕まれ余命幾ばくだろうと、この権利だけは誰にも奪わせやしない。
「ガハッ!?」
「アルマっ!」
「くそ……こんな、ちょっと動いただけなのに……。でも、まだだ。まだ、倒れちゃいないッ!」
「ぐ……!?」
イスカの動揺が一層大きくなる。
ベッドに寝かせ、部屋に閉じ込め、見ようとしなかった現実。
クレセンドの面汚しと陰口を叩かれ、事実家名に泥を塗りながら、諦めて笑うことしかできなかった弟。
それが今、お前の目の前で、必死に、愚直に、全力で足掻いている。
「その俺が、俺の足掻きが悪霊の仕業かどうか……その目で見極めてみろ、イスカぁッ!!」
血を吐きながら、俺は叫んだ。
頭がガンガン痛み、視界も霞む。窒息しそうなくらい息苦しい。
――楽しい。
生を捨ててまで闘争を求めたリバールの生き方に重なったからじゃない。
アルマ・クレセンドにとって、今が初めて、全力で生きていると実感できる時間だった。
こんなに体を動かしたのは初めてだ。こんなに何かを欲したのは初めてだ。
こんなに、自分という存在が在って良かったと思える時が来るなんて!
「うおおおおおおおおっ!!」
「ぐうっ!!」
そして――とうとう、意地だけで振るっていた剣先が、イスカの肌に届いた。
ほんの僅か、腕を裂いただけ。微量な血を滲ます程度のかすり傷ではあるが。
それでも……!
「っ……!」
イスカは咄嗟に数歩距離を取り、腕についた傷に触れる。
「そうか……これが、私の弟の……」
そして、手の平についた僅かな血を見て――戦いの場にはそぐわない、美しい微笑みを浮かべた。
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