第5話 『クレセンドの面汚し』

 前世の記憶を思い出し、今の俺に適した訓練法を手に入れた。

 牛歩の如くではあるが、死を待つだけだった人生に、多少なりとも彩りを与えてくれたように思う。


 そんな順調にも思える中で、一つ、大きな問題が浮上していた。


 それは――


(……暇だ)


 この一日の大半を占める、『退屈』だ。

 新たに生じたわけではなく、目的ができた分浮き彫りになったというのが正しいのだけれど……正直、かなりしんどいものがある。


 日中は常にアズリアが傍にいて、訓練はできない。

 俺に与えられた自由時間は深夜だけだが、体力の限界もあり、現時点で使えるのはせいぜい使えるのは2時間程度か。

 それ以外は……まぁ、ベッドで寝ているくらいしかない。

 この間盛大に倒れたおかげで、しばらく書庫にも連れて行ってもらえないだろうしな。


 ただ、寝続けるのだって限界がある。日中の大半寝ていれば、どうしたって目は冴えてしまう。

 人間、たとえ病気だろうが、一人で立って歩くのさえままならなかろうが、無限に眠れるわけではないらしい。


 さて、どうしたものか。夜中の訓練のために体力を備えるというにも、そう単純な話ではないし。

 ……そうだ。


「アズリア、少し休むよ」

「はい、坊ちゃま。おやすみなさいませ」


 アズリアにそう伝え、掛け布団を被り、枕に頭を埋める。

 ベッドの横という定位置にイスを置いて見守ってきているアズリアは……やはり、動く気配は無い。

 寝てしまうのならその間に別の用事を済ませよう、とすぐさま部屋から出て行ってくれれば楽なのだけど、そんなの滅多にない。

 おそらくそういう用事は、俺の呼吸を聞き、本当に寝入ったタイミングですませているのだろう。そういうことができるやつなんだ、彼女は。


(まぁ、それはいい)


 どうせこうなると思っていた。

 そもそも俺が思いついたのは彼女を追い出す方法では無い。


 俺がやろうと思いついたこと……それは、いつかやらなきゃと思っていた現状の整理だ。


 前世の記憶が蘇った今、改めて、これまでのアルマは考えることさえ放棄していた我がクレセンド家と、その長男であるアルマ・クレセンドを取り巻く現状について、考えを巡らすのも悪くないだろう。


 そういうわけで……改めて、クレセンド家はこのランディオス王国において子爵の位を与えられた何代にも続く貴族の家系だ。

 そもそも、貴族に選ばれるには様々な条件、長い間積み上げてきた実績が必要になる。

 クレセンド家は元々騎士の家系らしい。簡単に言えば戦争での活躍や内乱の制圧などで武功を上げ、貴族位を与えられたのが始まりだ。 

 それからご先祖様から祖父、父と、長い時間を掛けて、当主の座が継がれ、また武功を重ね、貴族の中でも存在感を高めていくことで、男爵、そして子爵と位を上げてきたわけだが……そんなクレセンド家は現在、失墜の危機に立たされてしまっている。


 その原因は他でもない。

 この俺、アルマ・クレセンドだ。


 貴族家の大きな話題として避けられないのが、家督を誰が継ぐかという、「跡取り問題」だ。


 ランディオス王国において、貴族家の当主には男性がなるという慣習が根付いている。

 女性が当主になっている家も存在するらしいが、慣習に背く分、それなりに不利な点もあるらしい。

 なんにせよ、武功によって成り上がったクレセンド家としては、より荒事により向いた男性の当主を立てたいところだろう。


 しかし、そんな状況の中、クレセンド家に男児が生まれるのには少々時間が掛かってしまった。

 先に生まれた三人の子は全て女性。その後に生まれたのが、この俺、アルマだった。

 つまり、クレセンド家にとって俺は、長く嘱望され続けた念願の跡取り候補だったわけだ。


 そりゃあ仲の良い貴族家や、更には王族までも俺の誕生を喜んでくれたとか。

 俺がまだ母の胎にいた頃、魔法で性別が判明した翌日から、アルマという名前は各所に広まっていたらしいし、生まれてもないのに婚約者さえ決まっていたという。


 けれど――蓋を開けてみれば、この通り。

 アルマは重い病気に冒され、とてもではないが家督など継げる器じゃなかった。

 無理やり形だけ継がそうにも、間違いなく、現当主である父より先に死ぬだろう。

 その事実に、周囲は激しく落胆したという。期待が大きかった分、余計に。


 さらに悪いことは重なる。

 俺の病状に気を病んだ母も体を悪くしてしまい、もう子どもを産むのは難しいと診断されてしまったのだ。


 ここで普通の貴族家であれば、妾を用意し意地でも男子を産むか、遠戚からでも養子を取ってその子に家督を継がすか……とするのだろうけど、父の決断は違った。


 父は義に厚い男だった。国へもそうだし、家族へもそうだ。

 彼は何より、自分の愛する妻を慮った。


 父は今、クレセンド家の跡取りを三人の娘の内誰かにしようと準備を進めているという。つまり、クレセンド家の次代当主を女性にしようというのだ。

 仮にその結果、クレセンド家の名や信頼が大きく揺らぐことになったとしても、跡取りを実子から出すことに重きを置いたらしい。

 それはおそらく、これ以上母に精神的な負担を強いないようにだろう。


 もしかすれば、父、母、そして三人の姉妹。

 家族全員が手を取り合い、協力して『この苦難』を乗り越えることで、クレセンド家の絆はより強固なものになるかもしれない。

 そうしていつの日か、『この不幸』を神が与えたもうた乗り越えるべき試練だったと、感謝するのかもしれない。



 ……さあ、ここで取り残されたのがアルマ・クレセンドだ。

 父の素晴らしい決断によって、アルマの存在は救いようがないまでに、完全に、悪役になった。


 クレセンド家を苦境に貶め、母親さえも苦しめ……本人は貴族の息子という恵まれた環境に胡座を掻き、毎日だらだら温かなベッドに寝転んで過ごしている。


 ああ、なんていい身分なんだろう。

 お前の家族が、両親が、姉たちが、更にはお前の家に仕える使用人たち、繋がりの深い貴族たちが、お前のせいでどれほどの負担を強いられているのかも知らずに。

 ……まぁ、実際知らないから気の揉みようがないけど。


 そうして付けられたのが、『クレセンドの面汚し』なんてオシャレなあだ名だ。

 面を汚しているんだから当然、生まれる前に交わされた婚約も破棄済み。

 家同士の繋がりは依然として強いので、何度か顔を合わせた――というか見舞いに来てもくれたのだけど……まぁ、多少申し訳無い気持ちはある。


 とはいえ、無理に婚約を継続したところで結婚できる年まで生きれる保証も無いし、先方も納得――ホッとしていることだろう。


 ただ、契約が無くなれば他人同士な婚約者と違って、家族との縁は簡単に切れない。

 父も、母も、姉たちも、表向きに俺を排除しようとせず、家族として見てくれているらしい。めったに会わないが。


 一縷の望みを掛け、医者という医者に当たり、時間があれば教会で祈りを捧げているとか。

 そんな慈愛に満ちた姿が彼らへの同情に繋がると同時に、俺への悪意を余計に増長させているというのは言うまでも無い話だ。


(ああ、こればっかりは今の俺でも心に来るものがあるな……)

 

 前世を思い出した今の俺ならある程度の折り合いがつけられるとも思ったが……やっぱりダメだ。

 拠り所にするにはリバールとしても家族愛溢れるエピソードに恵まれたわけじゃないし。


 つらすぎてちょっと泣きそうなまである。自分の存在が家族に不幸しか与えていないという事実が余計に重たい。


 でも……それでも以前よりはマシか。

 リバールの記憶を思い出す前、未来も見えずいつ死ぬとも分からない。

 

 何にもすがれず、泣きつくことも許されず……悪の元凶として腫れ物扱いされて。

 そして、他でも無い俺自身が、その扱いを妥当な物だと思い、受け入れてきた。


 ただ死を待つだけ……いや、早く死んでしまった方がと無意味に悩み散らかすくらいに。


(……けれど、もう違う。作り笑顔で取り繕ったりするものか)


 胸の奥から、何か闘志のようなものが湧いてくる。

 絶望して俯くより、ここから這い上がってやるというような……そんな感じ。


 そうだ。俺は手に入れたんだ。ようやく、きっかけを。


 (「クレセンドの面汚し」……言わせておけばいい。誰も期待していないなら、何をやったっていいってことだしな)


 たとえ家の面に泥を塗ろうが、なんだろうが……生まれてしまったんだ。

 だったら足掻く。この状況だって、なんだって利用してやる。


 足掻いたって何も変わらないかもしれない。

 ただでさえ短い寿命が、余計に縮むハメになるかもしれない。


 けれど、構わない。このまま無駄に死ぬよりは。


 別に期待を取り戻したいわけじゃない。家名への拘りもない。

 俺はただ、俺が望むように生きて、後悔なく、死ぬ。


 かつての俺リバールがそうしたように。

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