第4話 最初の特訓
「さて……そろそろいいか」
屋敷中が寝静まった深夜、俺は物音を立てないように、こっそりとベッドから起き上がった。
アズリアは隣の部屋で寝ているはず。
日中は付きっきりの彼女だけれど、さすがに夜中まで付きっきりというわけにもいかず、結果的にこの時間だけ俺は監視の目から解き放たれることとなる。
もちろん、発作に見舞われる可能性もゼロではないが……そうなれば物音を察知して、すぐさま駆けつけてくるに違いない。アズリアというのはそういう女なのだ。
そして、そんな事態が起きれば最期……こうして僅かにある自由時間さえ無くなるかもしれない。
部屋の隅で持参した寝袋にくるまるアズリアの姿が優に想像できる。
となると、いきなり運動でもして身体に負担をかけるのは、リスクが高いか。
寝ずっぱりで弱々しい現状、とりあえず基礎体力を改善したいところだけれど……仕方ない。
「逆にここまで制限が付くと、迷う必要が無くて楽だな」
俺はそう自嘲しつつ、目を閉じた。
(さあ、早速前世からの贈り物を活用させてもらおう)
深く息を吐き、吸う。
普段から当たり前に行っている、呼吸。
それを深く、意識的に、じっくり試しながら、何度も、繰り返す……。
(『ストラ』だっけか。あの『夜叉王』サマ曰く)
何かと名前をつけるのが好きな女だった。
剣の型や技。立ち回りや意気込み。呼吸法に至るまで――自分のだけでなく、他人のにも勝手に口を出してきた。
――リバール。主の呼吸は、我の知るストラに似ているな。ちなみにストラとはっ! 呼吸を以て血の巡りを豊かにし、体温を上昇、体の各器官を活性化させ、身体能力の増強したり毒などへの抵抗力を高めたり……。
うんぬん、かんぬん。
こっちが一人で鍛錬をしているところに寄ってきては、得意げにうんちくを垂れる物だから、死んで1000年経ち、別の人間に転生した今でも、頭に染みついてしまった。
――そして、リバールが戦闘時に無意識下で行う呼吸法は、我の知るストラと似ていながら、段違いに効力を高めた物だ! そうっ、名付けるなら!
(『ゼタストラ』……)
あの頃は「一々名前をつけるとか鬱陶しい」としか思っていなかったが、こうなってみれば、名付けというのは中々良い方法かもしれない。
というのも、今から俺は、1000年前のリバールが無意識に行えていた当たり前を、このアルマの身体へ教え、刻み直さねばならない。
それはまるで、改めて白紙の地図を一から完成させろと言われるようなもの。
名前は概念の定着に有効。いわば地図にピンを刺すようなもの。
とっかかりの手がかりとしては実に有効……な、気がする。知らんけど。
「すぅ……はぁ……」
剣の素振りのように、ひとつひとつ確かめながら、何度も呼吸を繰り返す。
意識的にゼタストラをなぞることで、何か変わったかと言えば……ちょっと分からない。
この試行自体が的外れかもしれないし、そもそもゼタストラの再現をこの身体で行うこと自体不可能かもしれない。
けれど、それでも試すしかない。
今の俺にとって、師は前世の記憶だけだ。
本来ベッドの上でただ死を待つだけの『面汚し』である俺。その眼前に垂れた救いの糸がか細くとも、贅沢を言える立場じゃない。
両親も、兄弟も、他の誰しもが諦めた、
「なら、やるしかない。俺は……変わるんだ」
手札も無ければ、選択肢も最初から用意されていない。
選べるのはただ二つ。進むか、諦めて死を待つか、だ。
1000年前の俺は、自ら確実に死ぬ道を選んだ。
けれど今度の俺は、生きるためにあがいてみよう。
理由は簡単。
そっちの方が面白そうだから。
「すぅ……はぁ……すぅ……はぁ……」
ほんの僅かな変化も逃がさないよう、感覚を尖らせつつ訓練を続ける。
最初は手応えが無かったけれど、少しずつ、胸の奥で何か温かい熱が生まれてきた感じがする。
(この感覚……!)
俺はすぐさまそれに飛びつき、種火から薪へと燃え広げさすように、丁寧に育てていく。
(そうだ、もっと大きく、強く……この熱を、全身に――うっ!?)
咄嗟に手で口を覆う。
直後、ドロッとした液体が肺の中から湧き上がってきて……呻き声と一緒に無理やり抑え込んだ。
(駄目だ、抑えろ! こんなんでアズリアに気づかれたら……!)
まだ序盤も序盤。
一人でいられるこの貴重な時間を、まだ失うわけにはいかない。
「ん、ぐう……っ! はぁ、はぁ……」
血を無理やり飲み込み、咳も無理やり抑え込む。
この上なく嫌な気分だが、これくらい我慢できなくちゃ何も始まらない。
「呼吸を整えて……もう一度だ……」
病状が悪化したのは最悪だが、それでも確かにゼタストラの真似事が俺の身体に変化を生んでくれた。
初回から成果を得られたのは間違いなく良いことだ。
(この調子で呼吸法を極めれば、病気を抑え込んだり、運動したりもできるようになるかもしれない。この部屋から出て、また剣を握ることだって……!)
とりあえずのゴールはそこだ。けれど、それさえ果てしなく、まだ遠くに霞んでも見えてこない。
けれど、剣さえ握れてしまえばどうにだってなる。
というか、リバールだった頃にも俺には剣しかなかった。
剣鬼なんて呼び名は仰々しくて好きになれそうにはないけれど。
(正直いつになることやら……ちょっとの抵抗でここまで暴れるんだ。この身体に染みついた病魔は相当に――うっ! また来たっ!)
先ほどと同じ感覚に、すぐさま口を押さえる。
(つーか、こりゃ体力的に限界か……なんて、情けない……)
血を飲み込むと同時に襲ってきた虚脱感に、俺は逆らうことさえできず、気を失うようにベッドに倒れ込むのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます