第3話 病弱貴族
「アルマ。大丈夫なの? また血を吐いて倒れたのでしょう?」
「大げさですよ、母様。いつものことですから」
「いつものって、貴方ね……そのいつもので、いつかもう目を覚まさないかもしれないと思うと、とても安心などできません」
アズリアに自室まで運ばれ、ベッドに横たわりつつ、母からのお小言を聞く。
母の心配は尤もだし、心配を掛けて申し訳無いとも思わなくもないが――
(いい加減、慣れないものだろうか)
血を吐くなんてほぼ毎日の恒例行事。
シーツを汚さず一日を終える方が珍しいわけで、一々気に病んでいたら心臓に穴でも空いてしまうだろう。
(……なんて、さっきまでの『俺』なら考えもしなかったな)
前世、剣鬼リバールとしての記憶は蘇って早々俺の精神に大きな影響を及ぼしていた。
俺の名前はアルマ・クレセンド。
今年10歳になったばかりの、クレセンド子爵家の長男だ。
クレセンド子爵家は代々武功をあげて成り上がってきた貴族家。
先祖、両親……家系図に連なる誰しもが優秀な武人として名を上げており、その子ども達も当然そうなるよう期待されている。
この俺を除いては、だが。
齢10歳にして俺は、「クレセンドの面汚し」という二つ名で評判らしい。これは、偶然にも部屋の前で俺の話をしていた使用人の会話から盗み聞いて知った。
俺は生まれつきの病気で、ろくに立ち上がることもできず、武人などとはほど遠い。
我が家の使用人でも、いや、だからこそ文句も言いたくなるのだろう。
「坊ちゃま」
「……ん」
気が付くと、部屋から母上が消え、アズリアと二人きりになっていた。
アズリアは相変わらずベッドの横に膝をつき、心配げに俺の顔を覗き込んできていた。
(彼女も大変だな。面汚しの専属なんて、未来の無い……)
「お加減はいかがですか。奥様のお話の最中も、心ここにあらずな様子でしたが」
「ああ、それは……ううん、大丈夫だよ、アズリア」
そう、アルマの喋り方はこうだ。
自分も、相手も、波風を立てぬように、僅かな波紋さえ広げないように、おずおずと伺い立てるような。
そんな自分が、『ぼく』は嫌いだった。
「……アズリア、一個聞いてもいいかな」
「はい、なんでしょう」
「アズリアは、この後どうするの?」
「え? ええと……坊ちゃまがお眠りになられるまで傍におります。落ち着かれたらお洗濯と、あとお食事をお持ちしておこうかと」
「ああ、言い方が悪かった。ごめん」
難しいな。慣れないことをしている。アルマの身体的にも、リバールの性格的にも。
僅かに呼吸が苦しくなる感覚を覚えつつ、俺は質問を改めた。
「お……じゃなくて、僕の専属の任が解かれたらの話」
「……え?」
これでちゃんと伝わっただろうか。
そういえば、以前は自分を「ぼく」と呼んでいたけれど、リバールの記憶を思い出してからは自然と「俺」と呼ぶようになった。
リバールの「オレ」と似ているけれど、なんとなく今では粗暴に感じる。
とはいえ以前の「ぼく」も弱々しく……これもこれで違和感がある。
もしかしたらこれは俺が、以前までの自分とも前世の自分とも、異なる存在になりつつある証拠なのかもしれない。
……なんて考えていると、
「う、うう……」
「あ、アズリア!?」
「あっ、も、申し訳ありませんっ! 気になさらないでください、坊ちゃま!」
アズリアが突然泣きだした!?
呆然と固まりつつも、思いっきり、ボロボロ大粒の涙を溢していた! なぜ!?
「ただ……そんなこと、お聞きにならないでください。私は貴方の専属メイド。貴方の命がある限り、それ以外の生き方など、考えられません」
「う、うん……ごめん。変なことを聞いて」
アズリアは、俺の専属にしておくのはもったいないくらい有能で、献身的だ。
だから専属の任が解かれるというのはつまり、俺が死んだときという話になるわけで……それを今の時点で考えるのは不敬だと思っているのかもしれない。
だとすれば、俺の問いかけは彼女の忠義を試すようないやらしいものに感じられたのかも……いや、そんなつもりは全く無かったのだけど。
(でも……あー、びっくりした)
アズリアの印象は基本的には常に冷静沈着。
俺が突然血を吐いて倒れるものだから、驚かせたり焦らせたりしてしまっているが、それにしたって大分落ち着いている方だろう。
仕事は仕事と割り切るタイプなのか、普段は感情の起伏をあまり見せないし、当然泣いている姿なんて見たことなかった。
(それだけ、今の質問は禁句だったってことか……悪いことをした)
血の繋がらない、他人である彼女から、たとえ仕事とはいえこれだけ献身的に思われているのであれば、アルマ――俺も不幸一辺倒というわけでもないんだろう。
ただ……。
(だからって、このままでいるわけにはいかないよな)
病弱で、死を待つだけだったアルマ・クレセンドに、1000年前の剣鬼の記憶が宿った。
これは間違いなく、俺が待ち望んでいた変化だ。
ただベッドの上で死を待つなんてもったいないと思えるような、劇的なきっかけだ。
(長生きは諦める……けれど、なにかないか。俺が、俺で良かったと思えるような何かが)
俺は剣もろくに握れそうにない貧弱な手を見下ろしつつ、考える。
リバールとして生きた経験。アルマとしての現状。それらを掛け合わせ、できることはないか。
俺の僅かな興奮に病が刺激されたのか、胸の奥はズキズキと痛みを発するけれど、俺は不思議と、窓を開け放ったような心地よさを感じていた。
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