第2話 蘇る記憶

 物語の始まりには、常に偶然が必要だ。

 物語に描かれるまでもない誰かが、物語に描かれるに足る、その権利を得るだけの偶然が。


 主人公に若者が多いのは、彼らが人生において上り坂にいるからだ。

 転機に触れやすい。劇的に人生を動かす、偶然に。

 逆に大人になれば厳しい。

 職が定まり、生活もそれに沿った物になる。

 偶然が入りこむ余地が無くなっていくんだ。

 人によっては、この時点である程度、自らの人生の最期を明白に想像できるようにさえなるらしい。


 では、ぼくはどうだろう。

 ぼくは……今からでも物語の主人公になり得るだろうか。


「……ま。アルマ坊ちゃま」

「え?」

「申し訳ございません。少し意識が遠のかれているように見えましたので」

「う、ううん。ごめん。少し集中してただけ。言ったでしょ、今日は調子が良いんだ」


 ぼくの顔を心配げに覗き込んでくるメイド、アズリアに「大丈夫」と笑みを返す。

 なるたけ得意げに……でも、アズリアは安心してくれず、不安をより濃くした。


「やはり、自室にいたほうがよいのではないでしょうか。書庫の本は、部屋にも運べますし……」

「ううん。この雰囲気が好きなんだ。本に囲まれる……重圧っていうのかな。心地良い息苦しさが」


 などとそれらしいことを言ってみるけれど、実際は彼女の言う『自室』に居たくないだけだ。

 あそこは本当に、ただただ息苦しい。

 個人用の部屋としては広く、快適かもしれないけれど……ぼくにとっては『棺桶』みたいなものだから。


 ぼくは生まれつき、不治の病に冒されているらしい。

 それも、治らないだけならまだしも、時間を重ねれば重ねるだけ病状は悪化し、遠くない未来に死に至るという。


 その最期が5年後か、1年後か……来月、来週、明日……いつになるかは分からない。

 ただ、全てはぼくの気力次第だ、と医者は言う。

 なりたくて病気になったわけじゃないのに、まるでこちらの責任みたいに言われるのは……ちょっとつらい。


 その医者が言うには、運動や興奮は病を強める毒になるらしい。

 だから両親は比較的広い客間をぼくの部屋に改装し、そこに大きなベッドを置き、穏やかに、ストレスなく『余生』を過ごせるように慮ってくれた。


 さらにはこのアズリアを専属につけて、身の回りの世話を全て彼女に任せ、何かあったときもすぐに対応できるようにって……


(それが、ぼくの『世界』だ)


 アズリアには分からないだろうな。この途方もない閉塞感は。

 7つ年上の彼女は、元々は冒険者だったという。

 冒険者っていうのは……雇われ仕事を常とする傭兵のような稼業のことだと本で読んだ。


 彼女がなぜその暮らしを捨てて、うちのメイドになったのかはよく知らないけれど、メイドとしてはすごく仕事ができるって評判だとか。


 何かに秀でた人間は、その経験を生かして他の物事も普通以上にこなせるっていう。

 そういう意味でアズリアは、人としてとにかく優秀なんだろう。


 ぼくには分からない。

 自分の足で、自由に広い世界を歩ける――そんな人生を捨てるなんて。


 ぼくにとっては、部屋から100歩も離れていないこの書庫に来るのだって、十分『冒険』だ。

 辿り着くまでに何度も断念したことがある。

 それでも、何度だって僕はここに来た。来たがった。


 アズリアにとってはひどく迷惑な話だろうな。

 ぼくが本を読んでも、使う予定の無い知識を無駄に蓄えるだけだし。


 でも、ただ部屋の中で時計の針が進む音を聞いているのと違って、本を読めばその分だけ、ぼくの世界が広がるような錯覚に溺れられる。

 自分の何かが変わるような……期待ってほどじゃない、ちょっとした夢を見られる。


「あ、坊ちゃま。その本は……」


 今まで開いていた本を読み終え、次の本に手を伸ばしたとき、思わずと言った様子でアズリアに止められた。


 ぼくの取った本は、謂わば伝記。

 約1000年前、この世界を悪神から救った四英雄の物語だ。


「大丈夫だよ。もう何度も読んでるし、今更興奮しないって」


 小説や伝記の類いは、人を喜ばせ、夢中にさせ、感情を揺さぶるような工夫が凝らされている。

 ぼくはこの手の読み物が大好きだけれど……当然、感動すれば、ぼくを蝕む病も激しさを増してしまう。

 だからアズリアの心配は尤もだ。


 実際、それが原因で読書中に倒れたことも一度や二度じゃないし。


「お医者様も言ってたでしょ。読書はいいんだって。文字を追う時間は、心を落ち着かせてくれる……そう、お医者様が言ってたんだから間違いないよ」

「坊ちゃま……」

「そんな顔しないで。……分かったよ。少しだけ。あと少しだけ読ませて。そうしたら、もう戻るから」


 アズリアはしょんぼりと肩を落としつつ、ぼくから視線を放さない。

 何かあったら自分が助けるという使命感があるんだと思う。

 たとえそれが、うちの親から任された仕事によるものだとしても……ぼくは彼女に感謝しているし、恩も感じている。

 余計な心配を、負担をかけたいわけじゃない。


(でももう少しだけ。この本だけは……)


 1000年前に実際にいたという、四英雄の物語。

 この世界の殆どの人が知っているというこの物語が、ぼくは始めて触れた日から大好きだった。

 かつては世界中に溢れていた、魔物という悪しき存在を祓ったという四人の英雄。


 今生じゃ絶対無理だけれど、もしも生まれ変わり――来世ってものがあったら、彼らのようになりたい。

 そんな妄想するくらいいいだろう。ぼくにとっては数少ない自由のひとつなのだから。


 勇者イオス。

 賢姫ラトリア。

 聖女エルディネ。

 夜叉王サイラ。


 彼らのように、長く、人の記憶に残れたら――


(……あれ?)


 この本、もう一人、記述がある。

 ぼくがこれまで読んできた四英雄の物語のどれにも触れられていなかった、彼らのもう一人の……仲間?


「……『剣鬼』?」


 その文字に触れた瞬間、胸の奥から激しい痛みと、ドロッとした塊がせり上がってきて――

 ぼくは咄嗟に口を押さえた。


「ぐ、ガフッ!」

「坊ちゃま!!」


 大丈夫、ただ血を吐いただけ。いつものことだって。

 そうアズリアに伝えたかったけれど、でもそんなことより、今はただ目の前の本に書かれた『真実』に捕らわれていた。


 剣鬼リバール。


 史実から消された修羅。

 五人目の、英雄…………?


(……いや、そんなんじゃない。英雄なんて、むず痒いもんじゃ)


 イスから崩れ落ち、アズリアに支えられながら、ぼくは、思い出していた。

 自分のものとは異なる、鮮烈な経験。肉を斬り、裂かれる生々しい感触。


(そんな、ぼくは……オレは……!?)


 物語の始まりには、常に偶然が必要だ。

 ぼくは今日、1000年前を生きた『自身の記録』に偶然触れ、理解した。


 剣鬼リバール。血と戦いに飢えた修羅。

 四英雄とは異なる、1000年前に生き、そして死んだその男こそ……今にも息絶えそうな病弱貴族、アルマ・クレセンドの前世である、と。

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