第79話 ☆Extrachallenger 真の魔王
「おい。準備はいいか?」
500階層へと続く階段を前に、ボルカノは後ろを振り返る。
左手に斧。
右手に剣。
いつ敵が来てもいいような臨戦態勢だ。
「……」
仲間たちが静かに頷く。
「いくぞ」
改めて向き直った物言わぬ白亜の階段は、深淵にまで延び、その先は見えない。
幾度となく繰り返してきた下層への降下。
しかし、今回は特別だ。
一段一段踏みしめて進む。
そして終端が近づく。
音はしない。
臭いもない。
気配もない。
「ふうー」
ボルカノは大きく息を吸い込むと、思い切って最後の数段をまとめて跳び降りた。
その勢いのまま、ボルカノは姿勢を低くして床を転がり、500階層への先陣を切る。
やおら起き上がったボルカノの瞳に映った光景――それは、真正の闇。
『よくぞここまで辿り着いた。真の魔王よ。欲望を極めし者よ。汝の望みを叶えよう』
それを認識した刹那、ボルカノの頭の中に、直接何かが語りかけてくる。
男でも、女でも、老人でも、若者でも、獣人でも、人間でも、エルフでも、ドワーフでもないその声は、無性にボルカノの不安を掻き立てる。
恐怖ではない。
嫌悪ではない。
もしこの世に生れ落ちる瞬間の記憶があったなら、そして、いずれ
「……何を言ってる? 俺が魔王だと? ふざけるな! 誰だてめえは!?」
ボルカノは自身の感情をかき消すように声を張り上げる。
『器である。器である』
「ああ!? どういうことだ。使徒の俺に精神汚染は聞かねえぞ! 神の敵が! 出てこい! 魔王!」
無窮の闇に向かって呼びかける。
『全ての者が魔王であり、全ての者が神である。受動によって誕生する生命は、能動によって存在を確定する。不確定たる世界は意思によって観測される。秩序と混沌は巡り、永遠は淀む。理だ。理だ』
「どうされました!? ボルカノ様?」
「敵ですか!? ――ブライト!」
駆けつけてきた仲間たちが、詠唱と共に聖なる光を灯す。
辛うじて足下が見える程度の明るさを得る。
しかし、いつもはまばやくボルカノたちの前途を照らしてくれたその光も、今は消えかけたろうそくの光のように貧弱だ。
別にそれはいい。
視覚に頼って戦うような、柔な鍛え方はしていない。
魔法が使えなくたって構わない。
この腕がある。
だけど。
もし。
万が一。
ひょとして。
まかり間違って、この『声』の言う通り自分が魔王なのだとしたら、――自分は誰と戦えばいいのだ?
「ごちゃごちゃ訳分かんねえことを言ってんじゃねえ! 俺はぶっ殺しに来たんだ! 出せ! 俺の敵を!」
『意思を観測した。汝の望みを叶えよう。真の魔王よ』
目の前の闇が凝縮し、わずかに視界が晴れる。
次の瞬間、ボルカノの眼前に巨体が現れる。
四本の足と、六本の腕と、七つの頭をもった毒々しい緑の化け物。
「出やがったな! 真の魔王! 今ぶっ殺してやるぜ!」
ボルカノは歓喜した。
これぞ神の敵。
『真の魔王』だ。
まさにボルカノが思い描いていた理想の宿敵に相違ない。
だから、ボルカノは武器を取る。
理性が主張する些細な違和感を、興奮で押し流して。
「いくぞ! 野郎ども! ――凄絶なる『正義の天使』よ! 使徒ボルカノが、偉大なる主に勇気を示す! 願わくば、神敵を屠る力を我に与えよ!」
「悪の化身よ! 神罰を受けよ!」
「主よ! 我らをお守りください!」
決戦であった。
死闘であった。
足から崩す。
腕を斬り捨てる。
頭を潰していく。
二人の部下が死んだ。
五体満足な者は一人もいない。
ボルカノの自身も、腕と足と片目を損じた。
しかし、それでもなお、最後には信仰が打ち勝った。
「とどめだ!」
残った腕で、最後の一撃を放つ。
巨大な棍棒が、八つの目を持った異形の頭を肉塊に変える。
グオオオオオオオオオオオオオオオオ!
世にもおぞましい断末魔をあげて、化け物は仰向けに床へと倒れ込んだ。
「見ましたか! 主よ! 俺こそが、あなたの一番の僕だ!」
ボルカノは咆哮する。
神は答えない。
『願いは叶えられた。器は覆される』
ただ、『声』だけがボルカノの脳内に響く。
部屋に溜まっていた濃い闇が急速に晴れていく。
いや。
違う。
晴れたかと思った闇はまた生まれ、ボルカノの背後の階段から怒涛の勢いで排出されていく。
闇は次から次に生まれ、終わる気配を見えない。
もどかしかった。
はがゆかった。
時間にすれば、一瞬だったのかもしれない。
しかし、ボルカノにはそれが永遠のように長く思えた。
それでも、やがて悪夢にも終わりがやってくる。
ついに最後に闇を放出しきった空間が、ボルカノの前に真実を晒す。
何もない。
英雄に与えられるべき宝も。
悪が最後のあがきに残した呪いも。
先ほど倒したはずの真の魔王の姿すら、ボルカノの前から消え失せている。
そこにあるのは、ダンジョンにおいて最もシンプルな、土壁でできたがらんどうだけ。
「ぼ、ボルカノ様。我々はこれまでのようです」
「あなた様と共に戦えたこと、光栄でした」
仲間たちが、息も絶え絶えに言う。
「馬鹿が! 諦めてんじゃねえぞ! 俺が全員運んでやる」
ボルカノとて限界は近い。
しかし、後一回程度ならば、力を使えるはずだ。
「――凄絶なる『正義の天使』よ! 使徒ボルカノが、偉大なる主に勇気を示す! 願わくば、神敵を屠る力を我に与えよ!」
ボルカノは高らかに詠唱する。
しかし、何も起きない。
「凄絶なる『正義の天使』よ! 使徒ボルカノが、偉大なる主に勇気を示す! 願わくば、神敵を屠る力を我に与えよ!」
「凄絶なる『正義の天使』よ! 使徒ボルカノが、偉大なる主に勇気を示す! 願わくば、神敵を屠る力を我に与えよ!」
「凄絶なる『正義の天使』よ! 使徒ボルカノが、偉大なる主に勇気を示す! 願わくば、神敵を屠る力を我に与えよ!」
詠唱を繰り返す。
しかし、現実は変わらない。
「なぜだああああああああああああ!」
ボルカノの慟哭が、虚ろな部屋に木霊した。
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