第76話 ☆fifteenthvisitor 悠久と刹那

 光神教、第四使徒――ボルカノは焦っていた。


 苛立たしげに足踏みする度、身体中に巻き付けた武器がカチャカチャと音を立て、そのたくましい筋骨と擦れあう。


 終末の予型で神からきついお仕置きを受けてから数か月。


 ひたすらダンジョンの攻略に明け暮れ、世界の敵たる『真の魔王』を殺す日を夢見てきたが、やはり詰まるのはいつも同じ階層だ。


 499階層。通称『時の迷宮』。


 白亜の壁に囲まれた通路は広く、数十名の戦力を展開するのに十分な広さがある。


 二又、三又に分かれた通路はあるが、トラップは少ない。


 それは迷宮と呼ぶにはあまりにもシンプル過ぎ、一見、初心者でも余裕な上の階層のように見える。酸の雨が降る中、毒針の山を登り、蟻のように涌くドラゴンとデーモンの相手を強制された前の階層に比べれば、まるで天国だ。


 だが、ボルカノは知っている。


 本当の強者は、見掛けを飾らないということを。


「全員、持ったか? ……よし、転がせ」


 大の男が横一列に並んで、一斉に小石を床に下手で投げる。


 それはまるで川辺で水切り遊びに戯れるガキのような滑稽な姿だ。


 コツン。コツツン。コツツツン。


 小石は小気味いい音と共に床を転がり、やがて停止した。


「あ、あの……。ボルカノ様。本当にここまでする必要があるのでしょうか?」


 荷物持ちに連れてきた新米の教徒が、おずおずと尋ねてくる。


「必要ねえと思うのなら、てめえが一思いにこの道を駆けていけよ。そうすりゃ、俺も手間が省ける」


 ボルカノは不機嫌に答える。


 教会は今、民力の回復に注力しているため、ダンジョンに戦力を回す余裕はなく、自主的に志願してきた人間しか使えない。とはいえ、この程度の常識もない人間も使っていかなくてはいかないのは本当に面倒だ。


「す、すみません。ですが、見た目には何とも普通なので、まさかこの空間のそこかしこで時の流れが違うとはとても思えず……」


「何も分からねえならごちゃごちゃ言わずに黙って見てろ――おい。次だ」


 ボルカノは仲間たちと共に、手にした木片を投げた。


 いくつかの木片が紫色に腐食していく。


「2番。変化小。時差年単位と推測」


「5番。変化大。時差数十年単位と推測」


 仲間たちから次々に報告が入る。


 木片の変化のスピードから目の前の空間の時間の流れを推測したのだ。


「よし。仕上げだ」


 今までのチェックに引っかからなかった場所に、モンスターの死肉を投げる。


「3番。変化あり。時差数週間単位と推測」


「7番変化あり。時差数日単位と推測」


「記録したか?」


「はい。よく『100の階段を登る時は九十が半ば』などと申しますが、あと少しに見えて、中々先に進まないものですね。きっと先達の攻略者たちも同じようなもどかしさを抱えていたのでしょう」


 ボルカノの腹心にして、今は地図作成マッピング係を務めている人間の教徒が、紙に視線を落としながら呟く。


 一回の作業で確保されるのは、わずか数メートル先までの進路。


 しかもそれは、『足を踏み入れても即死はしない』という程度の保証であり、安全とはとても言えない不確かなものだ。


 さらに完全な攻略ルートを選定するには、比較的現実時間との差異が少ないと思われる進路に実際入ってみて声を掛け合い、返答までの時間差を検討するなどの手順を踏む必要がある。しかし、その作業には、石や木片を投げるそれと比べ、何十倍もの時間がかかるのだ。


「このままのペースでいったとして499階層を突破するのにどのくらいかかる?」


「そうですね。この階層の規模が498階と同程度だと仮定して、およそ50年くらいでしょうか。私たちの次か、その次の代には攻略が完了するのではないでしょうか」


「ああうぜえ。いっそのこと一か八か、一気にダンジョンを駆け抜けたくなるぜ」


 ボルカノはまどろっこしいことは大嫌いだ。


 いや、ボルカノだけではなく、一般的に獣人という種族自体がそういう生き物なのだ。


 獣人の一生は短い。


 長い者でも40年。


 まともに戦えるのは20年かそこらだ。


 衒学的ででたらめに長生きなエルフや、知能も体力も寿命も中途半端な人間のようにあれこれ迷っている暇はない。


「そんなことをすれば、また主からお叱りを受けますよ」


「うるせえ。殺すぞ。余計なことを言ってる暇があったら、さっさと調査を続けろ。もう片方の道で調査をしている奴らは経験が浅い。さっさと合流するぞ」


 涼しい顔で忠言してくる部下に、ボルカノはそう吐き捨てる。


 口調こそ厳しいが、強面の自分に臆さず物を言ってくれるこの腹心のことが、ボルカノは嫌いではない。


 そして、無茶ができないことは、ボルカノ自身もよく分かっている。


 例えば、運良く目の前の進路が、現実時間での一秒が、三秒である程度の誤差で済む空間だったとしよう。


 突き当りの壁まで走るとして、そこまでには、現実時間で二十秒もあれば十分かもしれない。


 だが、もしその僅かな間にモンスターの襲撃を受ければどうなるだろう。


 たとえそのモンスターがゴブリンのような雑魚で、攻撃がしょぼい弓での一撃だとしても、三倍速の時の流れにのったその矢は、十分な脅威になりえる。


 もちろん、使徒として加護を与えられ、卓越した身体能力を有するボルカノならば、その程度の攻撃は捌ける。しかし、部下はそうではない。いくら鍛えていようと、通常の光神教徒の身体は三倍速の世界に対応するようにはできていないのだ。


(これ以上ゴリ押しする訳にもいかねえしな)


 ボルカノは、先日、主に罰として刻まれた傷を撫でつつ思う。


 命を無駄にすることは、光神教徒が最も忌むべきことの一つである。


 ただでさえ血を流し過ぎたと主に叱られたばかりなのに、異教徒ならともかく、同じ信徒の命を無闇に危険に晒すのは、いくらボルカノとてためらわれた。


「おお怖い怖い。しかし、どうせ殺されるなら、次の階層にいるという真の魔王と戦って死にたいものです。凄絶な殉教ならば主への面目も立とうというもの」


 腹心が身振り手振りで信徒に的確に指示を出しながら微笑む。


 『真の魔王』のダンジョンは、全500階層だと言われている。


 難解な神学者たちの議論に興味はないが、ボルカノたちが住んでいる星の大きさとか、ダンジョン各回の高さを考慮して計算した結果、そういう結論に至ったらしい。


 もちろん、それが真実かは分からない。だが、この階層は突破すれば、少なくとも、ボルカノたちは、歴史上、最も主の宿敵に近づいた信徒となれることは間違いないのだ。


「はなっから殺される気でいる馬鹿がいるか。どうせなら、魔王をぶっ殺して、列聖されてやるくらいの意気込みでいけ」


 ボルカノは油断なく周囲に視線を配りながら答える。


 魔王は光神教徒の宿敵。


 その親玉たる『真の魔王』の討伐は教会の悲願であり、全教徒の夢だ。


(ま、そんな簡単にはいかねえだろうが――ん?)


 ヒタヒタヒタ、と。


 後ろから近づいてくる足音に、ボルカノは振り返る。


「ボ、ボルカノ様! 大変です!」


 遅れること数秒、息を切らして駆けてくる教徒の姿を視界に捉えた。


「ああん? どうした!?」


「そ、それが――、大量のモンスターが一瞬で出現して――うぐっ」


 恐々口を開いた教徒は、最後まで言葉を告げることができなかった。


 時を同じくして、曲がり角から顔を覗かせた、無数の棘のついた緑色の触手が、その首を締めあげたからだ。


「ふう。もういい。言わなくてもわかった」


 ボルカノは嘆息し、首を横に振った。


「どうやら、エビルプラントの種が、殊更時の流れの速い空間に紛れ込んだようですね」


 これが『時の迷宮』のおそろしいところだ。


 限りある命を生きるボルカノたちにとっては脅威な時の流れも、寿命がなく、排泄や食事を必ずしも必要としないモンスターにとっては、大きな加護となる。


 たった一粒のモンスターの種の飛来。それを現実時間で僅か一秒にも満たない間見逃した。


 そんな些細なミスだけで、種は芽吹き、成長し、また種を撒いて増殖するというサイクルを繰り返し、瞬く間にモンスターの大軍団をこしらえてしまう。


「俺一人で相手をする。他の奴らは動かすな。調査を中断し、お前はこれ以上モンスターが湧かないようにすることにだけ気を配れ」


「お任せください」


 ボルカノは現場を腹心に任せて疾駆する。


 物陰から本体を現した植物型の異形が、津波のごとく押し寄せてくる。


「凄絶なる『正義の天使』よ! ――使徒ボルカノが、偉大なる主に勇気を示す! 願わくば、神敵を屠る力を我に与えよ!」


 詠唱と共に、ボルカノの身体がいくつにも分裂する。


 それは幻影ではなく、ボルカノの生命力を等しく分け合った実体だ。


 当然傷つけば痛いし、時の流れの影響も、数十分の一とはいえ受ける。


 それでも、ボルカノは安全より速さを優先した。


 もちろん、さすがに即死レベルに時の流れが速いところは避けるが、多少の老いなら甘んじて受ける。


 命を粗末にすることは許されないが、仲間を救うための犠牲は光神教徒の誉れであるから。


「呑気に寝てんじゃねえ」


 まずは鎖鎌で触手を切断し、ボルカノに報告にきた教徒――既に気を失っている――を救出する。そのままその男を鎖の部分で身体を回収し、後ろに向かって放り投げた。


 矢よりも早く伸ばされる触手の森を掻き分け、モンスターの本体に肉薄する。


 後はそのまま怒りに任せてズタボロにすればいい――という訳にはいかない。


 モンスターに捕食された仲間が、まだ生存している可能性があるからだ。


 空間の時間の流れに合わせて複数の自分の身体の立ち位置を気にしながら、仲間を傷つけないように武器を振るう。


 面倒だ。


 本当に面倒だ。


 それでもやらなくはいけない。


 ボルカノはもっと強くなりたい。


 何よりも。


 誰よりも。


 そのためには、神の加護がもっと必要だ。


 だから、証明しなくてはいけない。


 ボルカノが、『正義の天使』の祝福を受けた第四使徒として、この世の誰よりも『勇気』の美徳を極めているということを。


「遅え!」


 ダガーを繊細にさばき、タマネギみたいな本体を剥く。


 本体に取り込まれた教徒が、赤子のようにまろび出る。


「弱ぇ!」


 鉈を振るって葉を払う。


 奥から、種を撒かれてバカみたいに頭から芽を出した教徒が発見された。


「雑魚い!」


 閉じかけたつぼみを食いちぎり、また新たに一人救出する。


 斬って、ちぎって、破って、裂いて。


 ボルカノは凄腕の料理人の如く、あっという間に植物モンスターのサラダを作り、仕上げのドレッシング代わりに炎の剣を一閃。


 種一つ残さないように残骸の全てを焼き尽くす。


「さすがですね。ボルカノ様。まるで主がこの世に降臨されたかのようなお強さでした」


 腹心が平坦なトーンで賞賛してくる。


「ちっ。心の籠ってねえ世辞はいい。それより、やられた奴らの容態はどうだ」


「傷は塞ぎましたが、状態異常がひどいです。毒の方は治せそうですが、幾人かは最悪級の呪いカースにかかっています。応急処置で呪いの進行を遅らせる程度のことなら可能ですが、本格的に治療するには教会に運ばないと厳しいかと」


 腹心が横たわる教徒たちを見遣って言う。


「ちっ。そうか」


 教会が慈善事業で傷を治しているせいか、世間の奴らは光神教の信徒なら誰でも治癒魔法が得意なのだろうと思っているが、それは誤解だ。光神教徒にも、それぞれ得意分野はある。


 ボルカノ自身は攻撃型だし、自分にくっついてくるようなダンジョンの攻略に積極的な教徒も、比較的好戦的で攻撃重視に修練を重ねてきた者が集まっている。逆に、回復が得意なような信徒は、地上での奉仕を望むことが多いので、必然的にヒーラーの層が薄くなっているのだ。


「どうされますか? ボルカノ様」


「……結界ポイントまで戻り、転送魔法で負傷者を地上の教会へ送る。っつても、ここまでかなり力を使っちまってるから、一度に全員を送り出すのは厳しい。場合によっては、誰かを切り捨てなくてはいけないくなるかもしれねえ」


「それなら、転送先をダンジョン内にすればどうでしょう。『魔王ジューゴの店』の中には、かなり等級の高い教会が存在するそうです。おそらく、あそこならば呪いの治療もできますし、同じダンジョン間での転送なら力の消耗も少なくて済みます」


「そういえば、魔王と協力してダンジョン内に教会を築いたとティリアが自慢げに言ってやがったな。気に食わねえが仕方ねえ。そこに行くぞ」


 ボルカノは苦々しげに言って、指を鳴らす。


 分裂した自分の身体が、一つに収束していく。


 その中の一つには、老いて皮のたるんだ未来の自分の姿もあった。


「それがよろしいかと。あっ。そうそう。教会と隣接している売店ではおもしろい品を扱っているそうですから、覗いてみたらいかがです。もしかしたら時の迷宮を攻略する手がかりも得られるかもしれませんよ」


「この俺に魔王の力を借りろというのか?」


「力を借りるのではなく、利用するのです。今までの攻略者たちが、正攻法で挑み成し得なかったことも、邪道ならばわかりません」


「それは異端の考えだぞ……ま、治療の合間に冷やかすくらいはしてやってもいいか。むかつく野郎ならぶっ殺してもいいしな」


(待ってろ。糞ダンジョン。俺は諦めねえ。すぐに500階に到達してやるからな)


 ボルカノはまだ見ぬ『真の魔王』を思い浮かべながら、決意を込めてダンジョンの先を睨みつける。


 ボルカノはもう18年の歳月を重ねている。


 ただでさえ少ない残り時間は、今日、さらに短くなった。


 しかし、それでも命尽きるその時まで。


 ボルカノはその魂を、熱く、激しく、燃やし尽くすつもりだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る