第75話  ☆fourteenthvisitor 気ままな退屈吟遊詩人(4)

 優雅な音と離れ、また雑音に満ちた安酒場へと戻ってくる。


「あーうー」


 足早にカウンターとテーブルの間をすり抜けて、出口に向かおうとしたエミールの服の裾を、何かが掴む。


「赤子か ――ん?」


 やんわりとその手を振りほどこうとしたエミールは、唐突に動きを止めた。


 赤子の耳が長い。


 虹彩や、体温の高さに鑑みるに、純潔のエルフではない。


 つまり、それが示すところは。


(――ハーフエルフ、だと。それに、この顔、声、漏れ出る魔力の匂い。まさか、姉の子どもだと?)


 この時ほど、鈍感なヒューマンだったらと思ったことはない。


 偶然にしてはできすぎている。


 しかし、エミールの鋭敏な感覚の全てが、その推測を肯定していた。


「こらこら、坊、他の客においたしちゃいけないよ。悪いね。――おや、あんた、エルフかい。珍しいね。この子もお仲間を見つけて嬉しかったのかね」


 赤子をたしなめたドワーフの老女が、優しげに目を細めて赤子の頭を撫でる。


「ご婦人。……立ち入ったことを聞くが、そのハーフエルフの赤子は婦人の実子ではないな。どこで手に入れた」


 エミールは、なるたけ失礼にならないよう、丁寧な口調で老女に問いかける。


「ダンジョンでの拾い子さ。この子の両親はモンスターにやられちまってね」


「何か、遺品はなかったか? 例えば、弓、もしくは、加護の魔法を編みこんだアミュレット、なんでもいい。そこに、神聖文字でアルセと記名があるはずなのだが」


「ああ、確かにあったよ。あたしは、文字が読めないから詳しいことは分からないけど。なんでそんなことを聞くんだい?」


 老女が訝しげにエミールに視線をくれる。


「ああ。それはな――」


 エミールは簡潔に、自分が他種族の男と駆け落ちした姉を連れ戻すために里を出たことを説明する。


「なるほどねえ。そうかい。そうかい。それじゃあ、あんたは坊のおじさんって訳だね」


「ああ。そういうことになるな」


「じゃあ、とりあえずこれはあんたに返すよ。家族の遺品だからね」


 老女は懐から取り出したアミュレットをエミールに差し出してくる。


「感謝する。これは……間違いなく姉のものだ。そうか、死んだか」


 エミールは記名を確認し、噛みしめるように呟く。


 残念には思うが、それほどの悲しみは覚えなかった。


 エミールと同じく、姉もまた、風の精霊を信仰していた。


 彼女が自らの意思を貫き遠し、自由に、思うがままに生きたのなら、どんな結果になろうとも、それは嘆くべきことではない。


 エミールはそう考える。


「……それで、あんた。姉を連れ戻しに来たということは、やっぱり、この子もエルフのお仲間のところに連れていくつもりなんだろうね?」


 老女が消え入りそうな小さな声でエミールに問いかける。


「ん? あ、ああ……そうだな。確かに、里の決まりでは、そうなっているが」


 エルフは外の種族と交わることを喜ばないし、その子も祝福はされないが、だからといって、さすがに殺すような野蛮なことはしない。かといって放っておけば、エルフの血が拡散するため、基本的には里に連れて帰り、他のエルフと同様に、外界と隔離された生活を送らせる決まりだ。


 この姉の子も、里に戻せば、一応、生存は保証されるだろう。


 最も、子孫を残すことが許されないなどの、種々の権利の制限は課されるが。


「そうかい。いつか、こんな日がくる気がしてたんだ。寂しいけれど、かえって良かったのかもしれないね。あたしのようないつくたばるかわからないようなババアに育てられるよりは、お仲間と仲良く安全な所で暮らした方がさ」


 老女が諦めたような口調で言う。


(待て待て待て! よくよく考えれば、この子を連れて帰れば、私がヒューマンの世界を旅する大義名分がなくなってしまうではないか)


 エミールは、姉を探すという名目で里を出ているのだ。この赤子を連れて帰り、姉の死を報告すれば、エミールは、もう里の外に出ることは許されないだろう。


(どうする……)


 普通に考えれば、この赤子を連れながら旅するというのが無難だろう。


 しかし、正直、エミールは赤子が苦手だ。


 赤子はままならず、その庇護者を振り回す、自由を制限する存在だ。


 端的に言って、赤子連れでは、音楽を極めることの邪魔になる。


(と、すると、残る手段は一つか)


 見た所、この老女は悪い人間ではない。


 ハーフとはいえ、エルフの血が入った子どもを奴隷商に売り渡せば、幾何の金になるのに、そうしなかった。


 アミュレットも、対価を要求せず、エミールに返した。


 故に、身なりはみすぼらしくとも、品性は卑しくない。


 それに、赤子自身も彼女に懐いている。


 ならば――


「いや、必ずしも、エルフの里に連れて行くことが、この赤子のためになるとは限らない」


 時間にして数秒、思考をまとめあげたエミールは口を開いた。


「どういうことだい?」


「エルフの里に連れて帰るのは簡単だ。しかし、一度里に入れば、掟により外に出ることは許されない。もし、この赤子が成長し、自我を持った時に不満に思ったとしても、だ」


「ほう。エルフって、そういうものかい」


 老女は興味深そうに頷く。


「ああ。だが、この赤子は、半分はエルフで、半分は人間だ。つまり、どちらの世界に所属するかを選択する自由がある。この赤子が物心つく前に、その自由を奪うのはよくない」


 エミールは理路整然と語る。


 それは、咄嗟に考えた言い訳にすぎなかったが、存外、エミールの自身の信仰にも合致していた。


 自由を愛する精霊は、この決断を祝福するだろう。


「なるほど。じゃあ、この子が大きくなるまで、あんたが育てるっていうのかい?」


「ああ。本来ならばそうすべきだろう。しかし、私は吟遊詩人を生業にしている。詩人は人気商売だ。子連れでは格好がつかない」


 エミールは、様々な国を渡り歩き、色んな吟遊詩人や大道芸人を観察してきた。


 その結果分かったことには、どうやらヒューマンは『何を』したのかではなく、『誰が』したのかで物事の出来を判断するところがあるようだ。たとえ同じ出来の音楽を披露したとしても、老人か、若者か、醜いか、美しいか、そんなささいな属性の違いで、貰える報酬が違ってくるのだ。


「はっはっはっ。それもそうだねえ。子連れじゃ、女子供をだまくらかせないからね」


 老女がからからと笑う。


「ああ。そこで、だ。婦人。相談なのだが、差し支えなければ、このままその赤子の養育をお願いできないだろうか。もちろん、親族としてそれ相応の金銭的な援助はする。危険なダンジョンに潜らなくても生活できるくらいの額をな」


 目の前の女は、老いているが、ドワーフだ。


 エルフほどではないが、ドワーフはヒューマンよりはずっと長命である。


 後、数十年は生きるだろう。赤子はハーフエルフだから、純潔のエルフよりは成長が早い。


 それだけの時間があれば、自分の意思表示ができる程度には育っているはずだ。


 そしておそらく、人間界の自由な空気に馴染んだ赤子は、わざわざ堅苦しいエルフの里になど行きたがらないだろう。


 エミールにはそんな確信があった。


「悪くない話だね。あたしも最近、めっきり足腰が弱ってきたし、いつまでも屑屋なんてやってらんないからね。もちろん、あんたが信用できるならの話だけど」


「エルフは約束を守る。これがその証拠だ」


 エミールは躊躇なく、手持ちの全財産を老女に差し出す。


「……本気みたいだね。なら、ここで金を見せびらかすのはやめてくんな。こんな大金受け取ったら、地上に出る前にあたしの命がなくなっちまうじゃないか」


「そうか。では、婦人の言う通りにしよう」


 エミールはあっさり金を引っ込める。


「ふう。でも、まさか、坊のお世話をするつもりが、逆に坊に老後のお世話をしてもらう形になるなんてね。運命っていうのは不思議なもんだね」


 老女がしみじみと呟く。


「そうだな。だからこそおもしろい」


 エミールはそう頷きながら、まだ頭の中で響いているヒューマンの音楽を思う。


 これから、忙しくなりそうだ。

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