第72話 ☆fourteenthvisitor 気ままな退屈吟遊詩人(1)

 とある夕刻の都の広場。


 水魔法で汲み上げられた地下水がこんこんと湧き出る噴水の淵に、一人のエルフの男が腰かけている。

 銀色の山高帽から、金糸のような長髪を垂らし、纏うのは新緑のローブ。


 中性的に整った目鼻立ちは、ヒューマンや獣人などの下賤な種族とは一線を画している。


 ミスリル彫金の魔紋が刻まれた横笛に一度口をつければ、七色の音色が周囲に溢れだす。


「なんだなんだ?」


「キャー。超イケメンー」


「吟遊詩人だ。エルフだぞ」


「しかも黒じゃなくて白エルフかよ。こりゃ珍しい」


「あれは噂の天才音楽家のエミールじゃないか。その音色で、十年間寝たきりの病人を起こしたという」

「なんだって? 『女殺しのエミール』だと!? おい! 女房を隠せ。盗られるぞ! 子どもは耳を塞げ! 教育に悪い!」


 たちまち周囲に人だかりができる。


 好評、悪評、尾ひれのついた数々の噂が、エルフ――エミールを取り囲む。


 しかし、エミールはそれらを歯牙にもかけない。


 地上にはびこる命短き者どもの戯言は、エミールにとっては言葉を覚え始めた赤子の繰り言のように、まともに相手にするべきものではなかった。


「はじめに、祈りがあった。光は祈りより生まれ、闇は願いより出でて、やがて思いへと還る」


 エミールは笛を吹きながら、同時に遥か昔の神話を歌い上げる。


 常人では不可能な演奏も、エミールになら可能だった。


 魔法で緻密にコントロールされた高音と低温が絶妙に入り混じり、絶妙のハーモニーを奏でる。


 たちまち喧騒が止む。


 女は目を潤ませ、男は息を飲み、噴水は霧となり妖しくエミールを覆う。


 道端でパン屑を食んでいた小鳥までが、エミールの肩に乗って、演奏に聞き入った。


「終わりだ。各々、心を動かした分だけの報酬を支払うがいい」


 演奏を終えたエミールは、放心している聴衆たちに、被っていた山高帽をひっくり返して差し出す。


「素敵! 抱いて!」


「いやあ、実際生で聞くとすげーもんだな」


 多くの者がチャームにもかかったようにおひねりを帽子にいれてくる。


 とはいえ、もちろん、例外もいるのだが。


「へへへ、いい曲だったぜ。だけど、あいにく今は持ち合わせがなくってな」


 冒険者風の男が、ばつが悪そうに頭を掻いて言う。


「そうか。ならば、金はいらないから、報酬代わりに何か興味深い、一見する価値があるような場所の情報を教えてくれないか。目ぼしい大国は大方漫遊してしまってな。次はどこに行こうか決めかねているのだ」


 エミールはあっさり帽子をひっこめて問う。


 エミールは退屈していた。


 外界との接触を厳しく禁ずる掟のあるエルフの里に嫌気がさし、他種族の男と駆け落ちするというタブーを犯した姉を探すという名目で許可を得て抜け出したはいいものの、楽しかったのはせいぜい最初の十年くらいの間だけだった。


 所は違えど、やたら繁殖力だけは高い短命の者たちが築いた王国の文化は低俗で、いずれもエミールの好奇心を満足させてくれるものではなかったのだ。


「おもしろい場所? そうだな。俺は行ったことないが、ここんところ冒険者の間ではダンジョンに出来た魔王ジューゴの店とかいうのが話題だぜ」


 男がしばらく間を置いてからそう答えた。


「ほう。ダンジョンに店か。確かに珍しいは珍しいが、前から店はあっただろう。なぜそのジューゴの店とやらだけが殊更口の端に上る?」


「売ってる商品とかが特殊なんだとさ。なんでも、最近はどこぞの貴族もお忍びで通っているとか」


「ほう。それほどか。いいことを聞いた。感謝する」


 エミールは必要な情報だけを聞き出すと、他の聴衆の下に足を向けた。


 やがて、十分ほどそうしていると、金も情報もそこそこに集まり、エミールはそれ以上欲張らずにおひねりの回収を中断する。


(さて、次はどこにいくか)


 住民全員が眠りに落ちた街。黄金の海。空に浮かぶ大陸。そして、怪しい魔王の経営するダンジョンの店。


 おひねりを出し渋った聴衆からかき集めた、根拠も定かでない眉唾ものの噂の数々。


 この中から、今後の旅の予定を決める。


 そんな行き当たりばったりがエミールの常だった。


 どこを目指すのが一番おもしろそうかを思案していたエミールの視界の端を、何か小さいものが横切る。


(ん? ああ。フェアリーか)


 四枚の羽根をつけたフェアリーが、クスクスと笑いながら、東の方角に飛んでいく。


 確か、あの方向にはダンジョンの入り口があったはずだ。


(縁起がいい。ここは風に従うか)


 エミールは風の精霊を信仰していた。


 風の教えがもっとも重視するのは『自由』である。


 何者にも縛られず、自然なる心の発露に寄り添って生きる。


 その信念を体現している妖精は、風の精霊の信仰者が理想であり、シンボルだった。


(次の行き先もくだらなければ、そろそろ里に帰るか)


 ふと思い立ったようにそう決意する。


 おひねりと笛を懐にしまい、夕陽が作り出す長い影を背にして、エミールは心の赴くままに爪先を東に向けた。

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